後味の悪い事件(別事件)
「国が勝手に、ランクを下げて、我々病院側の痛手をお考えないようにしているのであれば、病院も病院で考えがある」
とでもいいたいのだろう。
国と病院側で勝手に喧嘩するのはいいのだが、肝心の患者に対してひどい目にあわされるということであるのであれば、それこそ、目も当てられないということになるのであろう。
それが国というもののやり方で、病院も、国に対して、露骨に敵対心を持っているのだろう。
そういえば、あれは、パンデミックがまだ、その正体も分からず、ワクチンもなかった頃のことであったが、
当時ある程度の、マニュアルめいたものが、厚労省から、病院に通達されていた。
その中に、
「微熱が4日間続いたら、近くの保健所に連絡を取って、それから病院に通う」
というマニュアルになっていたのだが、実際には、
「3日までのうちに、病状が急変し、亡くなった方がいた」
ということがあった。
そこで、責められた、当時の
「厚生労働大臣」
が、言いだしたことが、常軌を逸していた。
「私は、病院への通達において、このマニュアルはあくまでも、マニュアルというだけのことなので、病院側で、臨機応変にやってほしいと、前から通達していた」
などと、記者会見で言いだしたから大変だった。
何を言っているのかというと、
「責任をすべて病院側に押し付けて、自分には責任がない」
と言いたいようだ。
「おいおい、待てよ。指示を出したのであれば、それがちゃんと実行されているのかどうかということまで含めたところで対応したといえるのではないか。お前はただ指示を出しただけで、ボールをただ投げただけで、それが実行されているかどうかの検証をやっていないということを言っているだけじゃないか」
と国民は思ったことだろう。
「指示するだけだったら、誰にだってできる。最後まで面倒見てこそ、政治家と言えるのではないか?」
ということなのだ。
それができてもいないのに、
「自分は指示を出しているのに、従わなかった病院側が悪い」
というのは、あまりにも無責任だというものだ。
病院側にもそれなりに事情があるだろう、それを無視して、すべてを病院側に押し付けられたら病院もたまったものではない、
一般の会社でも、
「対応するのは、部下の仕事で、上司の仕事は、責任を取ることだ」
と言われているではないか。
それなのに、政府がすべての責任を、国民や病院に押し付けてどうするというものである。
だからといって、病院もあんまりである。
その時の恨みのようなものを、今度は、何の罪もない患者に向けられるというのは、
「本末転倒、甚だしい」
と言えるのではないだろうか・
だから、病院も、その時の厚生労働大臣の無責任な言葉があることで、完全に、
「大臣は、病院や医者全員を敵に回した」
という意識があるのだろう。
そうなってしまうと、もう、誰も、病院側を抑えることなどできるわけもない。
だから、政府が今度は勝手に、
「後は、国民と病院に任せる」
ということでの責任転嫁をしたのだ。
その大義名分として、
「これまで抑えつけてきた経済を、回さなければならない」
という、政府によって、都合のいい言い訳ができたことで、
「自分たちに都合のいい、病気のランク下げができた」
ということであろう。
「大義名分は恰好がいいが、実際には、自分たちのことしか考えていない」
ということになる。
人によっては、
「かの大東亜戦争の時の日本政府や軍部と似ている」
という人がいるかも知れないが、
「日本国や、国体を守る」
ということを考え、自分たちの保身を冠が合えたわけではない当時の政府は、今の、
「自分のことしか考えていない政府」
に比べれば、どれだけマシだといってもいいだろう。
そういう意味で考えれば、
「怖いのは、病気もそうだが、政府が本当は一番恐ろしい存在なのかも知れない」
と言えるであろう。
大日本帝国という国は、今と違って、
「立憲君主国」
だった。
今の主権は、国民だが、当時は、
「天皇」
だったのだ。
天皇が、
「国を統治する」
というのは、最高法規とされる憲法で決まっていることであり、そのため、国防に一番大切な、
「軍隊」
というものを、国家元首である天皇が、直轄で管理していたのだ。
その間には、何人も入り込むことができず、政府と言えども、軍には口出しはできないし、戦争を初めても、首相は、戦争責任者でも何でもないのだ。
これが一番の当時の問題であり、
「大日本帝国」
では、
「国家元首は天皇であり、天皇に、戦争責任があるかどうか?」
ということが、敗戦後に問題になったのだった。
そもそも、日本は、
「無条件降伏を受け入れた」
というわけなのに、誰も、
「敗戦」
という言葉を使わずに、
「終戦」
という言葉を使う。
さらに、
「大東亜戦争」
という言葉も、戦争開戦の時の閣議で、
「盧溝橋港事件に端を発した、シナ事変から以降を、総称して、大東亜戦争と命名する」
ということになったはずで、確かに、敗戦から、占領時代にかけては、
「大東亜戦争」
というのは、封印すべきであっただろう。
なぜなら、
「欧米の支配から、東アジアを開放し、日本が中心になって、東アジアだけで共存共栄という形の、
「大東亜共栄圏」
を作り上げるというのが、戦争のスローガンだったわけで、このままなら戦争の大義名分は日本にもあるということになり、占領時代には、許されることではなかったといってもいいだろう。
それを考えると、
「占領時代だけでも、別の言葉で」
ということで生まれたのが、
「太平洋戦争」
という言葉だったはずだ。
日本は、
「サンフランシスコ講和条約」
において、独立国として成立したのだから、その時に、それまで制限されてきたものを開放してもいいはずなのに、なぜか
「太平洋戦争」
という言葉だけが、残ってしまった。
これでは、あの戦争は、
「日本が大義名分もなく、ただ、私利私欲のために引き起こした侵略戦争」
ということになり、
「本当にそれでいいのか?」
ということである。
ナチスにしても、確かに、侵略戦争で、
「領土的野心」
というものを、ヒトラーが、完全に持ったために、世界から、バッシングを受けたのだが、彼らにも彼らなりの、大義名分があった。
それは、
「ドイツ民族の栄光」
ということであった。
確かに、ユダヤ人迫害などという、
「消せない悪夢」
を引き起こし、アウシュビッツを中心とした強制収容所で、
「ホロコースト」
と称して、-
「民族迫害」
というものを、大々的にやっていた。
しかし、それは、ヨーロッパのような陸続きの国において、一つの民族が独立国家を築くというのは、正直難しい。
ヒトラーのようなことをしないと無理かも知れないということであれば、
「いくら、人道に反する」
といっても、仕方のないところがあったのではないか。
それを考えると、
「人種差別」
の正当性を考えると難しい。
何と言っても、ドイツと敵対していた、
「連合国」
というのは、世界各地に、
作品名:後味の悪い事件(別事件) 作家名:森本晃次