後味の悪い事件(別事件)
つまり、
「いるはずのない、同一次元の同一時間に、存在する、もう一人の自分」
という考え方である。
ドッペルゲンガーというものには、
「その本人と別のところには、現れない」
ということであったり、
「喋ったりはしない」
ということであったりと、言われていることがいくつかあるが、それに該当すれば、その人は、
「ドッペルゲンガーだ」
ということになるだろう。
さらに、ドッペルゲンガーが、いろいろな人に信憑性を持って、信じられているのは、
「昔から、著名人などが、ドッペルゲンガーを見た」
という話が残っているからだ。
そもそも、ドッペルゲンガーの何が恐ろしいのかというと、
「ドッペルゲンガーを目撃すると、近い将来、命を落とす」
と言われていることだった。
実際に、いろいろな著名人が、
「ドッペルゲンガーを見た」
と言ったその後に、自殺を試みたり、暗殺されたり、事故で亡くなったりと、伝説が本当のことになるから、そのため、
「都市伝説などというレベルで図れないものだ」
と言えるのではないだろうか?
そういう意味では、ドッペルゲンガーには、かなりの信憑性がある。
例えば、芥川龍之介など、
「死ぬ前の日に、自分が編集者の前で破り捨てた原稿が、死んだとき、綺麗なまま、机の上に残っていた」
という話や、リンカーン大統領は、暗殺されるその日の朝、秘書に向かって。
「誰か、私の暗殺を企てているという話を聞いてないか?」
ということを言っていたという。
リンカーンの場合は、
「虫の知らせ」
ということで片付けられるかも知れないが、芥川龍之介には、それは当て嵌まらないだろう。
そういう意味で、
「虫の知らせ」
というものも、バカにはできないのではないだろうか?
人によっては、
「虫の知らせ」
のいくつかは、ごく少ない確率かも知れないが、それこそ、
「ドッペルゲンガー」
なのかも知れない。
さて、このドッペルゲンガーであるが、これは、果たして、
「超自然現象として考えればいいのか?」
それとも、
「心理学の範疇」
として、現象は、あくまでも偶然として考えるべきなのか?
ということである。
偶然が必然となるのが、
「このドッペルゲンガーというものの正体なのかも知れない」
ともいえるのではないだろうか?
実際にドッペルゲンガーというものを、どういうものなのかを真剣に考えてみたことはないが、とにかく、
「不気味で、恐ろしいもの」
という印象が強い。
これだけ有名なのに、誰もその正体がどういうものなのかということが分かっていないということであろうか?
それを思うと、
「妖怪や、幽霊というものが、怖い」
ということも分かる気がする。
「見えないのに、存在はしている」
ということがどれほど恐ろしいことなのか?
という実態を、誰が把握しているということなのであろう?
それが、ドッペルゲンガーの正体なのかも知れない。
そんなドッペルゲンガーが、
「一種の心理的な現象」
という人もいるだろう。
だが、日本では、ドッペルゲンガーを彷彿させるという、
「恐ろしい妖怪」
というのがいるのだ。
名前を、
「トモカヅキ」
という妖怪で、三重県の、伊勢志摩地区に伝わる伝説だというのだ。
「伊勢志摩」
ということを聞いて、ピンときた人もいるかも知れないが、あのあたりは、真珠が取れたり、海産物が豊富な場所である。
そう、
「トモカヅキ」
という妖怪は、
「海の妖怪だ」
ということなのだ。
この妖怪は、ドッペルゲンガーのように、
「その人と同じに化けることが特徴だ」
というのだ。
名前の由来は、
「同一の潜水者」
という意味であり、まさに、ドッペルゲンガ―ではないか?
そして、その妖怪から、
「アワビをやろう」
と言われるのだという。
この誘いに乗ってしまうと、
「海に引っ張り込まれる」
というのだ。
もし、アワビが欲しい時は、
「後ろ手にして、アワビを貰えばいい」
というが、その通りにして、今度は、蚊帳のようなものをかぶせられ、苦しまされることになったという話も伝わっている。
こんな恐ろしい妖怪は、
「基本的に、海女ばかりを襲う」
という。
海女が一番恐れている妖怪が、このトモカヅキだというのだ。
この話は、他の、
「妖怪の話」
と同様、他にも伝わっているという。
そして、トモカヅキよけとして、まじないに、
「五芒星」
というものを、魔よけにしているというのだ。
そもそも、
「妖怪と幽霊」
の違いというのは、基本的には、
「幽霊は、人間が怨霊として出たものだ」
ということであり、妖怪は、
「人間以外の生き物が、化けて出たものだ」
ということで、ある程度統一した話になっている。
ただ、このトモカヅキという妖怪が、
「海に潜る人」
というのが、
「まったく同じ容姿であったり、格好をしているのか?」
ということは、実に大きな謎であり、それを証明するすべはないだろう。
「海女の亡霊」
という話もあるし、
「過酷な長時間の、海中作業による妄想のようなものではないか?」
ともいわれているという。
とにかく、こんな、妖怪がまるでドッペルゲンガーを知っているかのように、昔から伝わっているというのも、おかしなものである」
といえるだろう。
そんな、トモカヅキのような妖怪もいたりする話を聞くこともあれば、中には、、
「いい妖怪」
というものいるという。
例えば、遠野で有名な、
「座敷わらし」
などがそうであろう。
大きな家の床の間のようなところに住んでいるという。
「なぜ、床の間にいられるか?」
というと、
「座敷わらしという妖怪が、住み着いた家は、繁栄する」
ということだからである。
だから、座敷わらしがいるという家では、座敷わらし用に、何かをお供えするようにしているところが多いのではないだろうか?
つまり、事業で成功したり、配下の者が手柄を立てて、主君から、褒美を貰ったりなどして、昔であれば、大名になったりした家は、同時、座敷わらしの伝説がすでにあったのだとすれば、お供えをして、敬っていることだろう。
そうしないと、座敷わらしに、へそを曲げられて、出て行かれでもすると、
「座敷わらしが、いる間は、家が繁栄するというが、いなくなったとたんに、没落していく」
という話であった。
逆にいうと、
「座敷わらしが入る時はいいが、絶えず、いなくならないように、気を付けなければいけない」
ということになるであろう。
もっといえば、それだけ、
「いなくなったら困る」
という不安と戦い続けているといってもいい。
いない時は、来てもらえるように、
「努力をすればいい」
いないものが、来てくれるということになると、喜びしかない。
「来なくても、少なくとも、今よりもひどいことになることはない」
というものだ。
しかし、今が幸せの絶頂で、
「これ以上の幸せはない」
というところまで来ていると、次の瞬間に、足元がなくなり、
「奈落の底」
に落っこちてしまうのではないか?
ということになるだろう。
作品名:後味の悪い事件(別事件) 作家名:森本晃次