後味の悪い事件(別事件)
あるいは、時間を自由自在に操れる神に命じてのことなのか分からないが、
「一日が終わって、また次の日になれば、プロメテウスは、自分の身体の蝕まれた部分が、元に戻っていて、この瞬間だけ、一日が終わった時点で、果てしなく、その一日がループする」
というような感じにである。
つまりは、
「死ぬこともできずに、苦しみだけが永遠に繰り返される」
ということである。
しかも、前の日の記憶、またその前の日の記憶だけは能吏にあるのだから、どういう苦しみが繰り返されるのか? ということが分かるというものだ。
これこそ、
「タイムスリップ」
ではなく、
「タイムリープ:
というべきであろうか?
先ほどの、百姓の話もそうだが、この、
「パンドラの匣」
という話も恐ろしい。
それを考えると、
「人間を作った神様」
というのが、ある意味、
「一番人間臭い」
といってもいいだろう、
心理的、精神的な問題
「人間の醜さを神が懲らしめる」
というのであれば、神の醜さを、誰が裁くというのか?
もし、それがゼウスだというのであれば、
「不倫はするし、自分のわがままで、他の神を使って、自分の勝手な不満から、人間社会の一つの国をぶっ潰す」
というようなことをするゼウスを裁く人がいないというのもおかしいだろう。
それこそ、
「タマゴが先か。ニワトリが先か?」
という、
「永遠のスパイラル」
といってもいいだろう、
宇宙だって、今までの研究で、どんどん広くなっている。
今までは、
「宇宙は一つ」
と言われてきたものが、実は、今分かっているだけの宇宙という存在が、かなりのかずあるという、
「マルチバース理論」
もあるという、
それらの理論は、
「量子力学」
というもので、証明されるというような話を聞いたことがあった、
清川は、最近、自分がいろいろな発想を持っているというようなことを考えるようになった。
「宇宙の神秘」
というものに興味を持ってみたり、
「心理学的なこと」
にも興味をもったりしている。
心理学的なこととして、最近、気になっているのが、
「カプグラ症候群」
と呼ばれるものであった。
これは、今から半世紀くらい前から言われるようになったものらしく、この発想として、
「自分のまわりの近しい存在の人が、自分の知らないところで、どこかの秘密結社のような連中の手下に、取って変わられる」
という、いわゆる、
「都市伝説」
のようなものを信じるということである。
これらの発想は、SF小説であったり、特撮や、マンガの世界で、テーマになりそうなものではないか、
これらのことを、
「カプグラ症候群」
と呼ばれるのだが、これは、心理学的なもので、
「一種の病気」
あるいは、
「精神疾患」
なのではないかということである。
「都市伝説」
というのは、
「昔から言われているようなことではなく、かなり最近、言われ始めたことをいうので、この、カプグラ症候群というのは、そういう意味では、都市伝説なのかも知れない」
と言えるだろう。
そもそも、
「秘密結社」
というのが、どういうものなのか?
ということを考えると、正直、ピンとこないではないか。
今の時代のSF小説やマンガなどで、やっと考えられるものである。
特に特撮などになれば、基本的に、秘密結社というと、
「自分たちが知らない科学力を持っていて、密かに暗躍している」
つまりは、
「世界転覆を狙う集団」
であったり、
「異次元の生物」
であったり、あるいは、
「人類よりもはるかな科学力を持った宇宙人」
というのが、その代表例である。
それらが、そんなに昔から、特におとぎ話の時代からあったというのも考えにくい。
そう考えると、
「カプグラ症候群」
というのが、最近の考え方で、そこに生まれてくる発想というものを、
「都市伝説だ」
とするのも当たり前だということであろう。
ただ、
「果たして、おとぎ話の時代というものが、まったく都市伝説とかけ離れている、何もわかっていなかった時代だ」
ということをいうのは、時期尚早なのではないだろうか?
特に、
「浦島太郎」
の話のように、明らかな、
「相対性理論」
で考えれば、説明がつくような話もあれば、
さらに、
「かなで書かれた、日本最古の物語」
だといわれる、
「竹取物語」
というのも、月というものをテーマにした話で、あの時代の人間が考えたこととしては、かなり、
「SFチックな話になっている」
と言えるのではないだろうか?
それを考えると、
「都市伝説というものは、あながち、近代だけのことではないのかも知れない」
と言えるのではないだだろうか。
それを考えると、
「カプグラ症候群」
というのは、昔からあったのではないだろうか?
今のいわゆる、
「カプグラ症候群」
というのは、
「秘密結社」
という敵の存在が明らかで、その存在がどういうものか分からないということで、恐怖におののくということである。
日本のように、
「平和ボケ」
をしている国はさておき、そうではない国とすれば、
「相手が分かっていて、攻撃方法も分かっているから、それに備えたり、訓練もできるので、何とか精神状態も保てているが、相手がどこの何者なのか分からず、分かっていたとしても、どんな攻撃で来るのか分からない」
ということであれば、手の打ちようもなく、ただでさえ、恐ろしいいものとなるのではないだろうか?
それが、一種の、
「カプグラ症候群」
というような、
「恐怖を巻き起こす」
ということになるのであろう。
それを考えると、
「過去の時代」
というものに、
「カプグラ症候群」
が存在していたと考えるか?
あるいは、
「過去という時代を、人間と時代背景が違って、大まかなところでは、周期的に繰り返している」
という考え方もできるのではないだろうか?
ともいえるのだ。
日本のように、
「平和ボケ」
をしている国は、そもそも、
「恐怖とはどういうものなのか?」
ということすら分からない。
だから、SFなどのドラマを見て、
「どこからくる恐怖なのか分からないが、漠然と恐ろしさを感じる」
ということになるのだろう。
これも、当然、恐ろしいことには変わりはないのだった。
そんな、
「カプグラ症候群」
というものを考えてみると、SFやホラー小説などで言われているもので、意外と、、ほとんど誰もが知っているというものに
「ドッペルゲンガー」
というものがあるという。
実際に、大学生になるまで、そんな、
「ドッペルゲンガー」
というものの存在を知らなかったことで、正直、
「お前、そんなことも知らないのか?」
と言われて、愕然としたことがあったことで、自分なりに調べたりもした。
そもそも、ドッペルゲンガーと呼ばれるものは、
「もう一人の自分」
という発想である。
もう一人の自分というのは、自分に似た人ではないので、
「この世に自分に似た人は、3人いる」
と言われているが、その3人ではないのだ。
作品名:後味の悪い事件(別事件) 作家名:森本晃次