後味の悪い事件(別事件)
これが、中学生や高校生になってからでは、苛めが昔と違って陰湿だということもあって、きっと、大人にもどうすることもできないだろう。
しかし、そんな時代だからこそ、母親は、学校に怒鳴り込んでいきそうな勢いを感じた。
だから、母親から、
「あんた、苛めを受けているんだって?」
と言われた時、とっさに、
「そんなことない」
と答えてしまった。
最初は、怒鳴り込んでいきそうな勢いだったのが、急に何も言わなくなったのだから、清川も拍子抜けしたが、
「母親だって、本当は、波風を立てたくない」
ということを考えているのだと悟った。
だから、子供の言葉を、まともに信じて、ホッとしたような顔になったのだ。
「何だ、本当はただの、ポーズではないか?」
ということが分かった。
ということは、逆に怒鳴り込んでいけば、その態度はかなりオーバーだったに違いない。
怒鳴り込むことにまわりを意識していないとでもいうのか、それとも、
「子供がいじめられている」
という大義名分があることで、日ごろのストレスを解消できるとでも思ったのか、逆にその思いを悟られたくないということで、余計に、言い方がひどいものとなるのだろうと思うのだった。
だが、この思いが、逆に、子供が抱く感情も同じことで、
「自分を虐めている連中も、最初は軽い気持ちだったのだろうが、一度苛めてしまうと、自分が苛めっ子だということをまわりに宣伝してしまったようになるので、ここで辞めるわけにもいかない」
ということになるだろう。
だから、苛めはエスカレートしてしまって。こちらも、大げさにして、本当の気持ちをごまかそうとしているのではないかということだ。
つまり、
「大げさにしてしまう時は、大人も子供も同じ理由で、大義名分があったりすると、それをまわりに印象付けようとして、そんな態度をとってしまうのだろう」
ということであった。
それを考えると、
「自分にとって、どうすればいいか?」
ということは、自ずと決まってくるのだ。
「そんな大人や同級生連中の、勝手な渦の中に巻き込まれたら、たまったものではない」
と考えると、そこから先、考えることというと、
「石ころになってしまうことだ」
ということであった。
石ころになってしまうと、
「俺は、苛められることも、苛めを通して、母親のストレス解消の的にされないことができるのではないか?」
と考えるのであった。
母親に対して、
「苛められていない」
と言った時、あの時の感覚はある程度無意識であった。
苛めのために、学校に怒鳴り込んでいくなどというのは、下手をすれば、余計に苛めがエスカレートしてしまうということを、無意識のうちに考えていたのだろう。
子供時代というのは、そんな意思がつよかった気がする。
だから、今まで、
「石ころ」
というものが、自分と同化してしまっているという感覚になったのだが、
「石ころをまわりが、どのように感じているのか?」
と、自分で考えたことはあったのだろうか?
「あったと言われればあった」
というような気がするし、
「なかったと言われれば、なかった」
というような気がしたのだ。
「俺は考え方まで石ころになってしまった」
と言えるのだろう。
そんな子供時代から、中学、高校という思春期になってくると、
「どうしても、避けて通ることのできない時期だ」
ということを身に染みて感じたのだ。
特に中学に入って、2年生になるかならないかというくらいの頃になって、とたんに異性を意識し始めた。
それは、
「男子からの影響も、女子からの影響もあった」
ということであった。
どちらが強いかといえば、微妙であったが、
「女子からの意識」
というのは、他の男子とは、若干違ったのかも知れないと思ったが、それは聴いたわけではないので、ハッキリとはしないが、自分だけだったということではないかと感じたのだった。
というのは、
「どうしても、意識したのが、そのコスチューム」
だったのだ。
というのが、学生服というものだった。
セーラーにしても、ブレザーにしても、皆、同じ学校なら、同じ服なのだ。
ということは、
「服は一緒でも、着ている人間が違うのだから、似合う似合わないというのは、当然違って見える」
ということだろう。
「可愛い子は、とてもよく似合って見え、そうではない子は、それなりに」
という、
「昔懐かしのコマーシャル」」
という番組で見た、確か、
「使い捨てカメラ」
か何かのコマーシャルだったのを思い出していた。
だが、制服というのは、魔力のようなものだった。
しかも、それを着ている期間というのは、女の子にとっても、
「思春期」
であり、
身体の発育が顕著に見え、胸のふくらみ、お尻のふくらみと、さらなる、発育の進化のようなものが見えることで、制服の魔力は、倍増するのだった。
そんな女の子への意識に、男としても発育途上なので、身体が反応してしまい、精神も必死で肉体についていこうとするのだった。
それを思うと、
「制服の魔力」
には、
「どうしても勝てない」
と言えるのではないだろうか?
それが、女子に対しての思いであり、男性に対しては、今度は違う意味での意識となるのだった。
男性同士というと、どうしても、嫉妬心というものが湧いてくる。
これは、女性に対しての嫉妬とは違い、ストレートなものではなく、
「自分が同じ立場であるにも関わらず、相手が、自分よりも先に進んだり、相手に優越感を持たれることで、自分が劣等感を持つという」
いわゆる、
「自分を劣等として見る」
ということが、
「嫉妬というものなのだ」
と初めて知った気がした。
つまり、
「小学生の頃は、とにかく、まわりを意識せず、自分を石ころと思えば、それで、時間だけが過ぎていき、とにかく、平和にやり過ごせる」
ということを考えていた。
だから、何とか小学生の頃は乗り切ったmpだが、苛めも、いつの間にかなくなっていた。
「まったく反応のない奴を苛めても、何が楽しいかということなのだろう」
と感じたのだ。
さらに苛めというものが、どいうものなのかということを考えてみると、
「相手が力を反発させるものを叩いた場合には、こっちもいい感触を得ることができるだろう」
と言えるが、逆に。
「力を吸収するようなものであれば、こっちが疲れるだけだ」
ということになるだろう。
それは、
「モグラたたきゲーム」
というものに似ていて、
「逃げるモグラを叩いても、ストレス解消にはならないや」
というものであった。
小学生であったが、いくら石ころになって、ストレス解消を免れようとしていても、なかなかうまくもいかない。
そんな時に、ゲームセンターでの、
「モグラたたきゲーム」
というのは、重宝したのだった。
中学生になって、男子への嫉妬ということであるが、
これは、
「自分よりも先に彼女を見つけて、実に楽しそうなカップルになっている」
というのを見ることだった。
それが、自分と立場的に似ている人間であればあるほど、そう感じる。
自分よりも年上であれば、
作品名:後味の悪い事件(別事件) 作家名:森本晃次