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後味の悪い事件(別事件)

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 という発想は、あくまでも、
「日本を中心とした地図で見るからである。
 大西洋を中心とした地図で見ると、案外すぐそこだったりするのではないだろうか?
 それこそ、
「日本からハワイの方が、却って遠い」
 という感覚である。
 特に、地球のように丸いものを図で表そうとするならば、それは、
「錯覚の嵐」
 だといってもいいだろう。
 そんなジャズとクラシックであったが、実は他の音楽。それぞれとは、今まで融合などという発想がなかったものを思い浮べた時、想像を絶する音が、感じられたに違いない。
 しかし、今までにない音楽を、
「受け入れる」
 という姿勢で聴いていれば、そこに見えてくるものは、
「今までにない旋律」
 であり、
「大胆に省略したり、付け食わせたりする」
 というプロの絵描きが言っていたのを思い出すに至ったのだ。
「それらの音楽に、なかなか日本固有の音楽は結び付かないだろうな」
 と思っていたが、意外と、
「琴の音」
 であったり、三味線の音色などは、プログレッシブだといってもいいではないだろうか?
 特に、戦国時代であったり、武士が活躍した中世を音楽で表すと、かなりの勇ましい音楽になるというものだ。
 そもそも、戦においては、ほら貝の音などで戦をあらわしたり、
「源平合戦」
 と言われた、
「治承・寿永の乱」
 を弾き語りするという、
「琵琶法師」
 というものだっていたではないか。
 そういう意味では、日本古来(朝鮮から伝わったのかも知れない)の楽器には、いいものが結構あったりするだろう。
 プログレッシブロックは、アコースティックな部分と、電子音が重なって聞こえてくることで、
「環境音楽」
 になったり、歴史的なイメージとして、宗教音楽として聴かれる場合もあった。
 そもそも、クラシックというのが、どこか宗教的なイメージがある、それだけに、プログレも、
「宗教音楽の一種ではないか?」
 と言われることがあったのだ。
 そんな中で、清川は、大学時代に、いろいろな音楽を聴いていた。ロック、ヘビーメタル系、ソウルミュージック、さらには、ジャズ、そしてクラシックと聞いてきて、ある程度、
「音楽にも飽きてきたかな?」
 と思っていた。
 プログレというジャンルは、名前は聴いたことがあったが、
「かなり昔の音楽で、前衛音楽で、しかも、どこか宗教音楽っぽい」
 というような話をしている人がいたので、
「それだったら、いいや」
 という具合に、自分から関わろうとは思わなかった。
 ロックや、ジャズなどは、一種の、
「たしなみ」
 のような感覚で聴いていた。
 そういう意味で、
「どのジャンルの音楽が好きなんですか?」
 と言われて、何が好きなのか?
 ということを、言えるまでには言っていなかった。
 しかし、プログレというのが、
「あらゆる楽器を駆使して、前衛的な音楽を作り出す」
 というのを聞いた時、イメージとして、
「テクノポップ」
 を思い出した。
 こちらも、70年代終盤から、80年代前半にかけてくらい、一世を風靡したと言われているので、こちらは、一度聞いた時、嵌ってしまったものだった。
 シンセサイザーなどの最新楽器を駆使しての音楽ということで、それが、しかも、アジアを中心にした音楽が代表的だったこともあって、神秘的なイメージがあったのだ。
「テクノ」
 というだけ、完全に、リズムが、電子音で、それが、アジアの雰囲気にマッチしていることで、
「新旧のいいものを取り入れた音楽」
 ということで、よく聞いたものだった。
 ただ、こちらも、そんなに長くブームとなったわけではない。
 全世界を魅了するほどの、ブームは駆け巡ったのであるが、実際に、本当のピークというのは、1年くらいだっただろうか?
 プログレというのも、60年代後半から、70年代前半くらいの短い時期だったという。
「ビートルズに変わって人気が出てきたのだが、それから、時代は、ちょうど、ベトナム戦争などの。反戦ムードが高まってきた頃から、あまり暗い音楽は、流行らなくなったのではないか?」
 という話を言われていると聞かされたことがあったのだ。
 そういう意味で、当時は、プログレというのは、どちらかというと、
「裏で流行っていた」
 といっておいいかも知れない。
「音楽以外でも、表があれば、裏がある」
 ということもあって、音楽界では、裏の世界が、プログレだったのかも知れない。
 ただ、裏と表というのは、その世界の人間でないと分からないので、他の人たちには分からなかったことだろう。
「もし、分かっていれば、もう少し、ブームは長かったのかも知れない」
 と言われるような気がするのだった。
 そんな音楽をやっていて、ピアノもある程度上達してきた。
 しかし、それをまわりの人は誰も知らない。
 何となく恥ずかしがり屋で、あまり人と交遊もない清川は、ピアノも、最初は独学でやっていたくらいだ。
 途中から、音楽教室に通い始めたが、そこでも、あまり人との交流があるわけではなく、ほとんど、無視していた。
 当然、まわりからは、あまりいいように言われることはなく、そのせいで、孤立を余儀なくされた。
 しかし、本人は、
「慣れている」
 ということで、別に気にしていないようだった。

                 苛めと石ころ

 自分も気にしていないし、まわりでも彼を意識している人もいないのだから、別にそれでいいのだろう。
 会社の仕事に支障をきたすようなことがあれば、問題なのだが、そんなこともない。孤立しても、仕事がなくなったり、周りから、
「苛め」
 のようなものを受けるわけでもない。
 どちらかというと、苛めを受けないかわりに、
「石ころ」
 のような存在になるというわけだ。
「そういえば、子供の頃、木登りをしていて、背中から落っこちて、ちょうどそこに石ころがあり、ひどい目にあったっけ」
 ということを思い出した。
「石ころなんて、そんな時でもなければ思い出すことはないんだ」
 という意識であったが、逆に、
「石ころというのは、普段意識しないだけに、意識する時というのは、これほど恐ろしいものはない」
 といってもいいのではないだろうか?
 そんな清川は、
「俺にとって、何が怖いのかというと、そういえば、そんなことを意識したことはなかったな」
 と考えた。
 どちらかというと、もぐさで、整理整頓もしたくないという考えから、次第に、何かを考えるということを、自分から拒否し始めた。
 だから、
「まわりが何を考えているのか?」
 あるいは、
「自分をどんな目で見ているのか?」
 などということを、あまり意識もしていない。
 そんなことを気にしていたのは、小学生の頃までであっただろうか?
 小学生の頃は苛めに遭っていた。
「苛めに遭わないには、どうすればいいのか?」
 ということを考えた時、
「無視するしかない」
 と思うようになっていた。
 しかし、3年生の時だったか、苛めに遭っているのを、母親は分かったようだ。