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生きてはいけない存在

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 だといってもいいだろう。
 本当であれば、
「勧善懲悪」
 というべき、
「正義を助け、悪をくじく」
 という言葉であるべきの、正義のヒーローとは、真逆なのである。
「いや、言い方が間違っていた。今の政府と言ったが、そのあたりは、今も昔もというべきなのではないか?」
 つまりは、
「政府における悪」
 というのは、今に始まったことではない。
 要するに、
「人間は、権力を持つと変わるのだ」
 特に刑事ドラマなどでよくあるではないか。
「警察で、自分のやりたいことがあるのであれば、偉くなること」
 ということである。
 しかし、偉くなるには、
「自分の周りを蹴落としてでも、どんな悪どいことをしようとも、出世しなければ、やりたいことはできない」
 ということになる。
 しかし、
「俺は、こんなことをするために、警察に入ったんじゃない」
 という思いが強く、確かに、
「未来において、好きなことができるようになるためには、今の現状に目を瞑らなければならない」
 しかし、
「目を瞑らずに、一時の感情に身を任せると、出世などできず。できないことを、下の方でぼやいているだけの、負け犬になってしまう」
 ということである。
「現所の一つ一つを、今の立場でできるだけのことをする人生を選ぶか?」
 あるいは、
「今、我慢をして、目の前でどんなことが起きようと、自分の出世のために、果たして、目を瞑ることができる」
 ということになるのだろうか?
 極端な話、
「目の前で、人が殺されそうになっているところを、果たして、見て見ないふりをして、自分の出世のために、勧善懲悪の精神を捨てられるか?」
 ということである。
 もちろん、誰にも見られておらず。誰にも知られないところで、事件が起こったとすればという話なだけであり、もし誰かに見られていて、殺人が行われようとしているのを見逃してしまった、
 しかも、それが、
「わざとである」
 などということになると、今度は、
「警察官としての、倫理の問題として、軍部であれば、軍法会議のような、いわゆる、
「査問委員会」
 というものに掛けられる、部類である。
 下手をすれば、懲戒解雇になりかねない。
 そう、昔の軍隊であれば、完全に、
「敵前逃亡」
 ということになる。
 軍法会議であれば、
「敵前逃亡は、銃殺刑」
 というのが当たり前、警察でも、普通なら、
「一発解雇」
 といってもいいだろう。
 そもそも、
「市民の生命と財産を守る」
 というのが警察の任務である。
 それを放棄してしまったのであるから、それは当然、極刑に値するというものであろう。
 警察というのは、そういう意味では、
「偉くなればなるほど、辛い」
 という職業なのかも知れない。
 だが、そんな出世とは、まったく関係のない男がいた。彼は、高校を卒業してから、警察に入ってきた人で、出世とは最初から、
「まったく無縁なんだ」
 ということを言っていたのだ。
 実際に、昇進試験を受けようという気持ちもなかった。
「出世してどうなるっていうんだよ。どうせ、出世したって、上はキリがない。結局、上にヘコヘコして仕事するんだよ。特に上に行けば行くほど情けない」
 と言っていた。
 どうやら、
「刑事ドラマを見過ぎだ」
 といってもいいだろう。
 実際に、
「事件が、起きているのは、会議室ではない」
 と言ったあのドラマや、
「刑事をしていたが、管理官と捜査方針でやりあってしまったため、巡査勤務を命じられた」
 というあのドラマなどを見ていると、彼のような気になるのも無理もないことであった。
 そういえば、刑事ドラマも変わったものだ。
 確かに、昔も若干の上司との捜査方針の違いなどをテーマにした話もあった。しかし、あくまでも、それは、ドラマ全体のテーマというわけではなく、
「警察組織というところは、そういうところだ」
 という、ワンポイントとして描いた内容の回があるくらいであった。
 どちらかというと、主題は、
「犯人やその時に主人公となっている刑事の、気持ちの交流」
 であったり、
「犯人が、事件を起こすまでの経緯を、その精神状態において、いかに描くのか?」
 ということであったりというのが、テーマになっていて、そのため、イメージとしては、
「一話完結の話」
 というのが多かったのだ。
 途中から、テーマが、
「キャリア組と、ノンキャリとの間の確執」
 ということが多くなると、
「一話完結というよりも、細かい事件は、一話で完結するのかも知れないが、主題が、一話ごとにハッキリしてくる」
 ということになるであろうか。
 もっといえば、
「同じヒューマンドラマではあるが、昔の方が、世相を反映したような話が多く、まったく違った話であっても、どこかに繋がりがあるというような、そう、昔の刑事ドラマは、何か貫徹したテーマがある中での、連作になっている」
 といってもいいではないだろうか。
 今の刑事ドラマというと、確かに貫徹した話にはなっているのだが、その話の内容が、どこか、ドラマ自体によって、
「正当性のようなものを、訴えてくるように作られている」
 というように思えてならない。
 言い方は悪いが、
「押しつけの正義に思えて仕方がない」
 のである。
 だから、ドラマというものが、テーマ同様に、重たさが滲み出ている。
 これは、刑事ドラマに限らず、
「何かの専門職」
 というドラマにはありがちだ。
 だから、刑事ドラマよりも、さらに、
「人間の命」
 というものに直結しているという意味で、
「医療ドラマ」
 というものも、刑事ドラマよりも、はるかに重たい内容になっているといっても過言ではないだろう。
 そんな中で、今回、問題となる、
「数十年前に発生した踏切事故」
 というのを、目撃した警官がいた。
 彼は、ちょうど、その時のことを思い出せるかどうか、微妙なところにいる。
 実際に、その時の事故がトラウマのようになって、目を瞑れば、その時の光景がよみがえってきそうなのだが、そのギリギリのところで、まるで、
「夢から覚めた」
 かのように、意識が飛んでしまうのであった。
 つまり、思い出そうとするのを、意識的なのか、無意識なのか、そこにいたるものを、自らで、遮断しているかのようだった。
 実際に覚めたと思う夢であっても、夢の続きを見ているような感覚であるし、覚めていないと思っていると、今度は、新しい夢であるかのように思うのに、そのくせ、
「初めて見た」
 という感覚になれないのだ。
 この感覚を、
「デジャブ」
 というらしいが、これも、
「無意識な状況がなせるわざだ」
 と考えてみると、デジャブというものの、実質的な正体は、
「夢というものの、発展形ではないか?」
 と考えられるように思うのだった。
 つまり、
「無意識な状態」
 と、
「夢の中」
 というのが切っても切り離せないような状況だったとすれば、デジャブも、その二つを同じように絡み合っていて、
「トライアングル」
 を形成しているのではないか?
 と思うのだった。
 ただ、このトライアングルが、正三角形だとすると、それぞれの関係性はどういうものなのだろう?
作品名:生きてはいけない存在 作家名:森本晃次