生きてはいけない存在
冷めた目で見ている自分は、
「そういうことに対して、嫉妬心も湧かない。それだけ、クールで大人のオンナなんだ」
と感じていたことだろう。
それを分かっていることで、今度は、同世代の男の子が、同世代の女の子をちやほやするのは、
「愚の骨頂だ」
というところまで思っていた。
それだけ、
「自分の精神年齢は高い」
と感じるようになると、
「それにふさわしい女にならないといけない」
と感じるようになった。
そのためには、
「知識を身につけて、あの人は何でも知っている」
という風に思われるということが大切だと思ったのだ。
中学三年生の頃くらいから、結構勉強を真剣に始めた。
三年生になった頃から、学校の先生に言われていた志望校も、成績が上がっていることで、どんどん上に伸ばしていった。
志望校を決める時、
「今なら、五分五分よりも、少し確率が高いと思われる学校を志望校とするか?」
あるいは、
「ワンランク下げて、ここなら、間違いないというところを志望校とするか?」
ということであったが、彼女は、迷わず後者にしたのだ。
「高校入学がゴールではないので、何も難しいところを受ける必要はない」
ということであった。
「どうしてだい?」
と先生に聞かれると、
「だって、その高校は、自分と同等、それ以上の成績の人がこぞって入試を受けにくるわけでしょう? 合格できたとしても、自分はその中でも最低ランクだと思うんですよ。そうなると、最初から、劣等感を持って、勉強しなければいけない。それでは私は、プレッシャーの中でずっといなければいけないということを考えると、とてもじゃないけど、怖くて」
というのだった。
それを聞いた先生は、
「その通りなんだ。先生もそのことが一番怖いと思っていたんだが、それでも、お前ならできると思ったんだ。だけど、お前がそのことを意識しているとなると別だ。だったら、お前の言う通り、ランクを下げて、無難な学校に行って、そこで、さらに、余裕を持ち、上を目指すということの方がいいような気がするな」
というのだった。
確かにそうだった。
彼女がそのことに気付いたのは、あうドラマを見たからだった。
そのドラマは、勉強にしての話ではなく、
「スポーツ留学」
ということからの話だった。
中学時代に、全国大会常連で、
「ベスト8くらいには、いつでも入るくらいの実力がある」
と言われた陸上選手だった人が、陸上の名門校から、
「スポーツ留学」
の話があった。
当然、これくらいの選手であれば、有名校からの誘いなど、たくさんあってしかるべきであった。
そんな中で、一番の強豪校に、行くことに決めたのだった。
もちろん、それにふさわしいだけの成績を残してきたのだが、彼には、一つだけ心配があった。
というのが、
「最近、肝心の足が、時々痙攣をおこす」
ということであった。
それを、隠して入学する形だったので、まわりの期待をよそに、本人は、まるで、
「薄氷を踏む」
という気分だったに違いない。
彼は、結局、我慢して練習をしていたせいもあり、結局、無理をしすぎて、
「再起不能」
と診断された。
普通の生活はできるが、
「陸上選手としては、致命的」
という診断に、本人は、
「まだまだ可能性がある限り頑張る」
とはいうのだが、一度、医者から、
「再起不能」
と言われた選手を、特待生として抱えていくほど、学校側は余裕があるわけではない、
しかも、これが、プロであれば、
「1、2年棒に振っても」
ということであっても、
しかし、高校時代というのは、
「3年しかないんだ」
ということである、
たとえ、1,2年で治ったとしても、そこからリハビリ、落ちた筋肉を元に戻すなどということをしていれば、さらに数年かかる。そうなると、完全に、卒業した後ではないか。
つまり、
「学校というところは、育成ではない」
ということである。
少なくとも、
「即戦力」
である必要がある。
即戦力でなければ、高校時代というのは、
「あまりにもあっという間に過ぎる」
ということである。
もっといえば、もし、ケガもなく、順風満帆に高校時代を過ごせ、陸上では
「全国優勝」
という栄華に輝いたとしても、果たして、それがどうだというのか?
そんなことを考えないともいえないだろう。
一度頂点を掴んでしまうと、さらに、その上を目指したくなるのは当たり前のことで、結局大学でも、
「スポーツ推薦」
ということになり、
「永遠に、この道しか歩めなくなり、いずれ、引退となった時、今までそのスポーツしかしてこなかったことで、初めて、自分の今の立場を顧みることになるのだ」
スポーツ選手の寿命は短い。
普通であれば、大体、40歳前後くらいであろうか?
人生で言えば、約半分、そこで、定年を迎えてしまったということになる。
第二の人生を歩めるだけの何かを持っていないと、結果、どうすることもできないということになるのだ。
そんな人生をいかに過ごせばいいのか?
そんなことを考えていると、結局、
「人間の欲は果てしない」
ということになるのだ。
途中で挫折してしまうのも辛いということになるのだが、それ以上に、
「挫折することなく、ある意味順風満帆で突き進んでいくと、精神的に、いつどうなるか分からない」
という、
「堂々巡りを繰り返す」
というスパイラルに嵌りこんでしまうのではないだおうか?
そんな状態を普通の人は、考えたりはしないだろう、
そもそも、そんな実力もない人間ばかりだからだ。
だから、
「人間として、平均水準の愉しみを得られれば幸せだと思う」
そうなると、
「何が楽しみなのか?」
ということを分かっていようが分かっていまいが、
「流されるように生きていれば、それが心地よい」
と考えることであろう。
そのことを、学生時代に見たテレビで、惟子は分かったはずだった。
特に、自分の容貌にはまったく自信がなく、
「その分、勉強しよう」
と思っていたほどだったので、
「天は二物を与えず」
ということなので、容貌の方がどうしようもないということは、
「その分、頭の方が誰にも負けない」
と考えることで、
「自分にとって、一番ありがたいことではないか」
と思うのだった。
しかし、想定外に、会社に入ってから、モテる自分がいたのだ。
「世の中には、モテキというものがある」
というのを聞いたことがあるが、
「それが今きた」
と思うようになっていた。
モテキかどうか分からないが、自分のことを意識している男性が、一人だけではなく、複数いるというのも、想定外だった。
「誰か一人、私のことを好きになってくれる人がいれば、その人が、運命の人なのかも知れない」
という、
「まるで、王子様が白馬に乗って迎えに来てくれた」
というような、メルヘンチックな話を想像してしまう。
これを、一種の、
「中二病ではないか?」
と思っていたが、中学時代に感じたことがなかった思いを、今したというのは、それだけ、
「自分が学生時代、人よりも先を目指していた」
作品名:生きてはいけない存在 作家名:森本晃次