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生きてはいけない存在

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「高架工事をする場合であっても、鉄道を止めるわけにはいかない。普段の営業を行いながらの工事ということになるわけなので、高架工事をするには、近隣の家の立ち退きというのがどうしても必要となるのだ」
 ということである。
 それはもちろん、駅に関しても言えることで、駅を高架にすることで、近隣の立ち退きを一度行わなければいけなくなるのだ。
 そういう意味で、
「駅がきれいになったり、新しくなったりすると、今までに比べて、人がほとんどいない状態に見えるのは、気のせいだろうか?」
 ということが言われるようになるのだった。
 そんな高架計画が、実際にいわれ始めたのが、平成に入ってちょっとしてくらいからだった。
 ただ、この計画に関しては、それから10年くらい前から、ウワサとしてはあったのだ。
 しかし、実際には何も起こらないし、ニュースにもならないことで、
「なんだ、ただのデマか」
 と思っていると、忘れた頃に、鉄道会社が、
「高架計画」
 というものを、正式に発表することになるのだ。
「あれから10年以上も経っていて、いまさらかよ」
 と言われていたが、それでも、まだまだ交通渋滞が続いているので、
「やってくれるのはありがたい」
 ということを思っているうちに、どんどん、駅前の立ち退きが進んでいき、完全に、
「建物疎開」
 のような、歯抜け状態になっているのであった。
「これじゃあ、5年もしないうちに、高架計画は終わるだろう」
 と思っていたが、何の何の、
「5年経っても、何も変わっていない」
 駅を壊すわけでもなければ、高架工事が始まるというわけでもなく、資材すらまったく搬入されないではないか。
 今のままでは、
「これじゃあ、駅前がずっと汚いまま整備されない状態が続くじゃないか。あれだけあったお店が立ち退いてしまったので、客としても、不便でしょうがない」
 と思っていることだろう。
 駅も、何度も改装している。
 駅によっては、駅ビルのようなものを作っていて、そこを一度潰さないといけない状態のところもある。
「それを会社はどのように考えているんだろう?」
 と考えていたが、結局、どうなるものでもないという状態が続いたことで、別の状況が生まれてきた。
 というのも、元々の目的であった。
「交通渋滞をなくす」
 というのが、目的だっただろうが、時間が経つと、他のところにバイパスが先にできたりして、
「いまさら、駅前を通る必要がない」
 という状態になり、
「本当にいまさら。高架にしなくてもいいのではないか?」
 という声もちらほら聞こえるようになってきた。
 そうなると、今度は、状況が急変した。
 一気に工事の体制ができあがり、工事が進んでくる。立ち退いた後に、たくさんの資材が運び込まれ、早い段階で、高架計画ができあがるということになったのだ。
 この状況は、
「今まで私鉄側が、県や市に働きかけて、金を出させようとしたことで、ここまでズルズル引き延ばされたんだ、だけど、最初の目的が有名無実になってしまうと、やると言った私鉄側の威信と、自治体に対しての、力関係が揺らいでしまうので、それだけはできなかった。
 だから、
「金の問題よりも、名を取った」
 ということになるのだった。
 そんな会社だったのだが、最初の方は、
「何とか、県や市に出させよう」
 という駆け引きが大きかった。
 しかし、県も市町村も、
「基本的に、このお金は、県民の税金だ」
 ということが頭にあるからか、なかなか出そうとはしない。
 しかし、鉄道会社の方としても、
「利用するのは県民なんだから、彼らのために税金を使うことの何が悪い」
 ということをいうのだった
 確かにそうだろう。
 しかし、鉄道会社も、金があるくせに、それを出そうとしないのは、
「内部留保をすることで、社員の給料を抑えているのだから、その分で作ればいい」
 というだろう、
 ただ、内部留保に対しては、どちらの言い分もある。
 市町村からすれば、
「世界的なパンデミック」
 の時、
「企業は金をため込もうとすることで、社員の首切りをするんだから、何を正当性を訴えているというんだ」
 といいたいだろう。
 しかし、会社とすれば、
「内部留保があるから、会社が潰れずに済んでいる。つまり、会社が潰れないということは、一定の雇用をしているわけで、会社が潰れてしまうと、社員全員が、路頭に迷うことになる」
 というのだ。
 これも、理屈としては合っているといってもいいだろう。
 もっと言えば、
「昔からの日本の伝統」
 として、
「終身雇用」
 であったり、
「年功序列」
 という考え方があることが、内部留保の考えに繋がり、
「ひいては、社員を助けている」
 ということになるのだと言われると、自治体としても、何も言えなくなってしまうのだった。
 そういう意味で、民主主義という観点からの、
「多数決」
 というのと比較してみると、
「一人を助けるために、全員が路頭に迷うのか?」
 あるいは、
「一人の犠牲が、他の皆を救う」
 ということであれば、
「どちらが、民主主義だといえるか?」
 と言われれば、答えはおのずと、
「後者だ」
 ということになるだろう。
 ただ、民主主義という、いわゆる、
「自由競争」
 ということになると、裏に潜む
「利権」
 であったり、
「特権階級への忖度」
 ということになると、
「会社がどのように運営するか?」
 ということで、
「会社が生き残る」
 ということが、最終的な結論となるのではないだろうか?

 そんな私鉄なので、あまり評判はよくはないのだが、そんなことを口に出すことはない。
 何と言っても、
「県も、市も、私鉄会社には頭が上がらないのだ」
 昔の、路面電車跡地に件に関してもそうであるし、地元企業という意味では、どこも太刀打ちできるわけがない。独裁企業と言ってもいい。それだけに、事故があったり、何かがあっても、市町村がもみ消してくれるということもある。
 ただ、市民は、そんな詳しいことまでは、なかなか知らない。
 一部の人は知っているとしても、あくまでも、ウワサという程度で、ハッキリとした証拠があるわけではない。
 そこを探ろうなどということをすると、どうすることもできないというのが、本音というところであろうか。
 今回の事故で、亡くなった人の名前を聞いた時、大橋巡査は、
「えっ?」
 という言葉を口にした。
 その名前は、
「横山惟子」
 という人だという。
「大橋君は、この女性を知っているのかね?」
 と吉塚刑事から言われて、図らずとも、死体の検分を行うことになってしまった大橋巡査だったが、襲る襲る見てみると、
「なるほど、確かに、犬飼さんだ」
 ということであった。
 正直、心臓はバクバク言っている。こんな落ち着いて返事ができるほどのものではないはずだった。
 その証拠に、覗き込んでいるが、顔は半分、向こうに逸らしているではないか。こんな様子、
「お前だって、巡査とはいえ、立派な警察官じゃないか。仏さんには、敬意を表して、確認してあげないと」
 と言っているようだ。
作品名:生きてはいけない存在 作家名:森本晃次