生きてはいけない存在
として売られている。おでんを温めておくための、金属のケースくらいしかないのではないだろうか?
そんな昭和末期であったが、
「三公社」
として、もう一つは、
「電電公社」
というものがあった。
これは、今でいうところの、
「NTT」
となるのだ。
電信電話に関しては、完全に、電電公社は、
「独占企業」
であった。
国営企業として、民間の参入が許されないというもので、電話や、今では見なくなったものとしての、
「電報」
というものがあった。
電話局に連絡し、例えば緊急を要することなどを、電報として、相手に届けるというものであった。
昔は、
「一家に一台」
という形で、電話があったわけではない。
したがって、電報というもので、相手に知らせるということが行われた。
特に、家族が危篤であったりという場合もあれば、
「結婚の報告」
であったり、
「出産が無事に終わった」
というプライベートなイベント的な時に使われていた。
いわゆる、
「祝電」
というのがそういうものだ。
よく、結婚式などでフリータイムの時、司会進行の人が、
「祝電を読み上げる」
というのも、そういうことになるのだった。
祝電というものを誰もが分かっているというわけはなく、本当に今の若い人たちは知らないかも知れない。
ケイタイ電話が普及すれば、
「メール」
というもので、知らせることができるし、スマホ時代になれば、本当に親しい人には、
「LINE」
という機能があったりする。
そんな、電報というのも、昔の。
「電電公社」
は、
「独占」
という形で行っていたのだ。
電電公社が民営化され、それが、NTTとなり、同時に、
「独占企業」
ではなくなったことで、
「第二電電」
などという企業が生まれたり、次第に、固定電話が、携帯電話に取って代わられていく中で、電話などの機能が充実してくることで、いろいろな企業が電話業界に参入してくる。
そういえば、
「一時期だけであったが、携帯電話に移行する前のブームとして、ポケベルというのが、一世を風靡した」
と言われている。
「ポケベル」
というのは、
「ポケットベル」
の略であり、これを使えば、
「相手に意思を伝えられる」
というものであった。
要するに、
「数字の羅列を暗号のようなテンプレートがあり、それで相手に必要なことだけを伝えるというものだった。
ただそれも、
「ケイタイ電話の普及」
ということにより、一気にすたれていき、
「テレビドラマ」
などというものも、結構できたりしていたのに、2,3年もブームとしてはもたなかったような気がした。
最初は携帯電話も、
「ピッチ」
と呼ばれるものもあり、
「簡単ではあるが、繋がる範囲が非常に少なく、電波状況によっては、まったく繋がらない」
と言われていた。
しかし、価格は安いので、
「会社が社員への連絡用」
ということで契約し、社員に持たせているということが多かった時代があったりしたのだ。
だが、次第に、次々新しい機種が出てきては、いいケイタイ電話というのが、普及してきた。
スマホというものが出てくるまでは、携帯電話でも、メールだけではなく、ネットが見れたり、テレビが見れるものもあったくらいだったのだ。
そんな中、もう一つの
「公社」
と呼ばれるものの中でも、
「今はほとんど、存在価値がない」
という意見も聞いたことがあるくらいのものである。
こちらも、元々、
「国独占の企業」
であり、しかも、民営化された中で、民間が参入することがなかった業種である、
団体名としては、
「専売公社」
と言われた業種で、今Dいう、
「日本たばこ産業」
つまりは、
「JT」
と呼ばれるものだった。
扱っているのは、そのほとんどが、
「タバコ」
であり、それ以外では、
「塩」
である。
タバコに関しては、他の企業が参入してくることはないだろう。
というのも、ちょうど、このころから、
「喫煙者には、逆風」
が吹き始めたのだ。
というのも、
「タバコを吸っている人間よりも、まわりで煙を吸っている人間の方が、病気になる確率が高い」
という、いわゆる。
「副流煙」
という騒動が叫ばれるようになって、喫煙者の、
「肩身が狭い」
状態に追い込まれたのだ。
もっとも、それまでの喫煙者は、嫌煙者に対して横柄な態度を取っていて、社会問題になっても、我が物顔で、
「吸ってはいけないわけではない」
ということを盾にして、吸い続けている。
「まるで、チンピラのような連中だ」
といってもよかった。
しかし、法律
「禁煙咳を作ったり、電車では禁煙車両を作ったりして、少しずつ、禁煙場所を増やしていった。
あれから、三十と数年、
「やっとここまで来たか」
というほどであった。
最初は、四両の車両があれば、その最後部が、
「禁煙者」
ということだったのだが、途中から逆になった。
「今までの喫煙車両が禁煙車両になり、最後部が喫煙者ということになったのだ」
そして、そのころには、ホームの灰皿は撤去されタバコは吸えなくなったのだ。
その頃から、会社やオフィスでも、
「喫煙場所」
というものを設けて、
「そこ以外では吸ってはいけない」
ということにしていた。
そのおかげで、事務所の机でタバコは吸えなくなったのだ。
それも考えてみれば当たり前のことで、
「パソコンが一人一台という状態になると、吸い殻がパソコンに落ちたりして、まずいことにならないか?」
という懸念もあったからだろう。
世間が次第に、
「禁煙ムード」
となってくると、会社も、社会もきれいになってきたのは、いいことだった。
しかし、喫煙者の一部のマナーの悪い連中は、結構いるというもので、その連中をいかに、黙らせるかということも問題だった。
今の時代くらいになると、タバコを吸っている人はほとんどいなくなったので、威張ろうにも威張れない状態になっている。
今の状態で威張ろうものなら、一瞬にして、
「世間から、葬れるレベルのマナーの悪さ:
というレッテルを張られるに違いない。
それを考えると、
「今の時代が、真の姿なのかも知れない」
とかつてタバコを吸っていた人は思ってることだろう。
ただ、
「一部のマナーの悪い連中」
というのは、どうしても、一定数いるもので、
「今までよかったではないか?」
と本来は、いけなかったということになっているものを、まるで、
「昔の栄光」
というものを、
「忘れられない感情から、どうしようもない状況に自分を持って行くことで、結果、孤立する」
ということを分かっていないのだ。
というのも、
「マナーの悪い連中を一番嫌がっているのは、本当は、ちゃんとマナーを守って吸っている人たち」
であった。
本来であれば、それもまずいのかも知れないが、マナーをキチンと守っているのだから、しょうがない。
しかし、
「一部のクソ野郎のせいで、ただでさえ肩身の狭い思いをしているのに、喫煙者はすべて、マナーが悪い」
として、
「十把ひとからげ」
作品名:生きてはいけない存在 作家名:森本晃次