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一触即発の謎解き

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 ということなのであった。
「戦争を早く終わらせるために、相手の戦意をくじく」
 ということからの、絨毯爆撃であった。
 しかし、日本の繊維は高く、少々では、降伏しない。
 こうなると、完全に、絶滅戦争の様相を呈してきたといってもいいだろう。
 終戦の時、天皇の、
「玉音放送」
 において、
「我が民族の滅亡」
 という表現があったと思うが、まさにその通りなのであろう。
 日本民族が確かに、このままでは滅亡する。
「二発の原子爆弾」
 さらには、
「ソ連による、満州侵攻」
 これは大きかった。
 ソ連とは、元々、
「不可侵条約」
 を結んでいた。
 しかし、それを破って、一方的に攻めこんできたのだ。
 しかも、水面下で、日本政府は、
「ソ連を介して、和平交渉を行おう」
 と画策していたのに、完全に、これで、和平交渉ということはなくなったのだ。
 それによって、日本は、
「もうダメだ」
 と考えたのだろう。
 しかも、それでも、陸軍における少数の兵士は、
「国体が維持されなければ、降伏はできない」
 ということで、
「日本の国体」
 つまりは、
「天皇制」
 のことである。
「天皇制が瓦解すれば、日本という国をまとめることはできない」
 ということであり、あのマッカーサーが、そのことを正確に理解し、日本の天皇制というものを、いくら、
「象徴として」
 ということであっても、
「よく認めたものだ」
 ということである。
 何といっても、マッカーサーというと、いろいろと、
「強硬路線」
 ということで有名だった。
 特に、日本を統治している時、同時期、南朝鮮も統治していた。
 そこで、いくつかの失敗を演じているのだが、まず、
「北部の社会主義勢力は攻めてこない」
 という
「お花畑的発想から、韓国軍には、武器はほとんど与えていない。訓練もしていない状態で、何といっても、戦闘機は一機もなかったのだ」
 そのせいで、ソウルが、
「数日で落ちる」
 ということになり、さらに、慌てて、
「仁川上陸作戦」
 を成功させたが、今度は、
「中国軍の介入はない」
 と、読み間違えたことで、また、攻めこまれることになった。
 一進一退を繰り返していく中で、彼はついに、
「パンドラの匣」
 というものをあけることを考えるようになった。
 当時のトルーマン大統領に、
「中国に数発の原爆を投下したい」
 と言い出したのだ。
 トルーマンというと、日本に原爆投下を命令した大統領なのに、結局、マッカーサーの強気を恐ろしいと感じたのか、結局
「マッカーサーの更迭」
 ということに、繋がったのだった。
 そんな時代、日本は、何とか、がれきの中での、絶望的な、食料、住宅の不足ということでの、
「ハイパーインフレ」
 という状態になってしまっていたのだ。

                 合わせ鏡 

 そんなハイパーインフレの時代が、どんどん長くなっていくと、
「貨幣価値が、まったくなくなってしまう」
 ということにある。
 そのために、
「お金が約に立たない」
 ということは、
「何かの物資を持っているということが一番だ」
 ということになるだろう。
 つまり、流行ってくるのは、
「物々交換」
 ということになる。
 比較的、都会よりも被害を免れた農村部は、自分たちで、自給自足ができるだけの貯えは十分に持っている。
 しかも、都会では、食料などが不足していて、貨幣価値もほとんどなければ、都会から、食料人として、農産物などを仕入れに来ても、
「売る必要などない」
 ということになる。
 当然、自分たちも売りに行く必要などないだろう。同じ食料を持っている人と同士で、
「物々交換を行えばいい」
 ということになるだろう。
 野菜を持っている人と、肉を持っている人との間での物々交換であれば、対等な交換ができるというもの、都会から、食料を求めてくる人は、衣類であったり、その他、家宝のようなものを持ってくることも多いだろう。
 しかし、都会から持ってくるものというのは、
「そんなもの持ってきても、毎日のように、たくさんの人がいろいろ持ってくるので、sこっちからすれば、ゴミにしかならない」
 ということになる。
「飢え死にしてしまいそうなのを、恥を忍んで、農家に頭を下げているのに、この仕打ちは何だ?」
 と思うかも知れないが、
「背に腹は代えられない」
 ということで、腹が立ってくるのを何とか抑えて、我慢するしかないのだった。
 考えてみれば、今までの歴史の中で、
「農民がこれほど強い立場だったことがあっただろうか?」
 と言えるだろう。
 太古の歴史から考えても、農民というと、どの時代でも、搾取されてきたではないか?
 古代の農民も、政府が土地の管理をしたり、古墳時代には、
「古墳を作るために、駆り出される」
 さらには、荘園というものができてくると、今度は、寺社や貴族が、農民を搾取する。
 さらに中世に入ると、荘園だけではなく、幕府の機関である、
「地頭」
 というものが幅を利かせてくる。
「泣くこと地頭には勝てない」
 などという言葉が流行ったりしたくらいに、地頭は強いものだった。
 しかも、それが戦国時代になると、農民も兵士として駆り出されたものではないか。
 秀吉の時代になると、石高制となり、領主に納める年貢の制度が固まってくる。
 江戸時代には、
「百姓は、生かさず殺さず」
 などという言葉に代表されるようになってくると、打ち首、磔になると分かっていても。「一揆をおこさないと、生きていけない」
 ということになってしまうのだった。
 昭和初期は、
「娘を売らないと、明日の食事もない」
 という時代であった。
 そんな時代から、明治になっても、あまり変わらない。そういう意味で、
「百姓は、いつの時代でも、悲惨な運命でしかない」
 のであった。
 そんな一軒の百姓の家に、一つの鏡があったのだという。その鏡は、別に高価な鏡でも何でもなかったのだが、ただ、その鏡は、とりあえず、
「先祖代々に受け継がれていて、何があっても、売ってはいけない」
 という伝説の下、何とか、売らずに済んだ。
 という話を聴いたことがあった。
 実際に、昭和初期などは、
「売らないとまずい」
 という寸前まで行ったようだが、ちょうどそんな時、売らなくても済むようなことがあったのだということであった。
 何があったのか、ハッキリとは分からなかったが、少なくとも、鏡を売る寸前まで考えていて、家族会議でも、
「売る売らない」
 で、かなりもめていたようだ。
 その間に、売らなくてもいいようになるなんて、
「なんて、偶然というのは、すごいものなんだ」
 ということであったが、逆にいえば、鏡を売りたくないという思いが通じたと考えれば、そもそも、この鏡に神通力というようなものがあったと考えることもできるだろう。
 そんな時、都会から買い出しにやってきた人が、トラックのようなもので、家財道具をいくつか持ってきて、
「食料を分けてほしい」
 ということだった。
 品物はかなりいいものだという。
 その家の人は、
「旧華族様」
 ではないか?
 ということで、家族でも、
作品名:一触即発の謎解き 作家名:森本晃次