小説が読める!投稿できる!小説家(novelist)の小説投稿コミュニティ!

二次創作小説 https://2.novelist.jp/ | 官能小説 https://r18.novelist.jp/
オンライン小説投稿サイト「novelist.jp(ノベリスト・ジェイピー)」

一触即発の謎解き

INDEX|4ページ/19ページ|

次のページ前のページ
 

 ということが言えるのではないだろうか?
 普通に考えると、
「どうして、上下反転しないのだろうか?」
 ということだけであれば、少し説得力に欠ける疑問である。
 あくまでも、その前に、
「左右が反転するのに」
 ということが絡んでくる。
 ということは、何があっても、
「左右が反転する」
 という前提が必須になるということであるが、
 実際には、
「本当に左右は反転しているのだろうか?」
 ということが疑問となったりしているだろう。
「いまさら、何を言っているんだ?」
 ということになるのは当たり前のことであり、
「左右反転」
 というものが、当たり前だと思うから、この問題は進展しないのだ。
 と言えるのではないか?
 という考えもあるのだった。
 まず、鏡が左右反転するということを、まるで当たり前のように考えるから、恐ろしいのだ。
 というのも、
「鏡に、写るものがすべて反転するから、字だって、すべてが反転しているではないか?」
 ということである。
 この考え方の一つに、
「面白い考え方」
 というのを聞いたことがあった。
「鏡というのは、そもそも、自分を写しているのではなく、本当は自分が写っているものを正面に見ているのではなく、後ろから見ているという発想になることだってあるんじゃないか?」
 ということであった。
「どういうことなんですか?」
 と聞くと、
「そもそも、左右が反転して見えるというのを、当たり前のように考えているから。じゃあ、なぜ、上下が反転しないんだ?」
 という方に疑問がいってしまって、
「何が正しいんだ?」
 ということに話がいかない。
 というようなことを言っていたということである。
 そんな鏡というものが、
「上下と左右で、見え方が違う」
 ということが基本となって話ができていると考えると、
「見方というものを一つの方向から見ないと錯覚がさらに大きくなってしまう」
 という考えと、
「すべてを一つにまとめようとすることが、誤解や錯覚を生む」
 という考えも、実は間違っていないともいえるだろう。
 と考えることで、
「鏡というものを考える時、必ずしも一方向から見る」
 ということが危険だ。
 と考えるのは、早急なことなのかも知れない。
 それを思うと、
「世の中というのは、あるいは、別の次元を考える時というのは、その時々で考え方を変える必要がある」
 と考えられるのではないだろうか?
「鏡がどうして、逆さに見えないのか?」
 と考えるから分からないので、
「どうして左右が反転するのか?」
 ということを考える方が、正直、正当な考え方だろう。
「上下が反転しないのは当たり前、左右が反転する方がおかしい」
 という考えにどうして至らないのか?
「鏡というものが、そういうものだ」
 ということで、当たり前だと思ってしまうことが、恐ろしいのではないだろうか?
 そういう意味で、
「思い込みというのは、恐ろしい」
 と言えるのではないだろうか。
 そこで、
「左右は反転するのに、なぜ、上下が反転しないのだろう?」
 というものの定義づけとして、いろいろある中に、
「あくまでも、鏡に写っているものを、後ろから見ている:
 という発想が、一番しっくりとくると、前述したが、
 その根拠として考えられるのが、
「合わせ鏡」
 というものである。
 鏡という考え方の一つで、奇妙なものとして、この
「左右反転」
 というものと同じくらいに、
「いや、気持ち悪さやカルトという意味でいけば、こちらの方がよほど怖い」
 と考えられるのが、この、
「合わせ鏡」
 という発想で、
 これは、例えば、
「自分がいる場所を拠点として、前後、あるいは左右に、鏡を自分に向けて置いた時に、どのように写るというのだろうか?」
 ということである。
 鏡というのは、この合わせ鏡という発想だけでなく、他にもいろいろ見えてくるものがあり、その一つに、
「鏡だらけの迷路」
 というものがある。
 いわゆる、縁日や初詣などでよく見る見世物小屋の一種の中に、
「ミラーハウス」
 と呼ばれるものがある。
 他には、お化け屋敷や、冷却ルームのようなものがあるが、ミラーハウスというのは、
「ただ、鏡が迷路のように置いてあるだけで、いろいろな角度から映っているので、前に進もうとしても、鏡なのか、道なのか、分からない」
 普通であれば、
「足元を見れば分かるのかも知れない」
 と思うかも知れないが、足元にも、鏡の影響が出ていて、まったく分からない。
「では、影を追いかけよう」
 といても、鏡が光を反射するので、まるで、足元から、影が無数に放射状に出ているので、まったく分からないだろう。
「行こうとすれば、右か左かどっちかを決めて、そこを手繰っていくしかない」
 ということになるのだろうが、それも、正直に言って、
「気休めにしかすぎない」
 と言えるであろう。
「それを考えると、前に進もうとするのが正しいのか?」
 ということすら、自分でも分からなくなってしまうのだった。
 そんなことを考えていると、
「鏡というのは、本当に恐ろしい」
 と思い、
「一度入ってしまうと、出ることは不可能なのではないか?」
 と真剣に思ってしまうのではないだろうか?
 その時に見える鏡に写っている自分の姿は、
「無数であり」
 さらに、あらゆる方向を向いているということで、
「一つとして、同じ角度のものはないのではないだろうか?」
 ということが考えられるのである。
 そんなミラーハウスであるが、こちらは、
「実質的にいきなりの怖さを感じるというもので、合わせ鏡というのは、徐々に恐ろしさがこみあげてくるというものではないだろうか?」
 というのも、
 合わせ鏡」
 というと、まるで、
「マトリョシカ人形」
 のようなものといってもよく、目の前の鏡には、まず、その中央に、自分というのが写っている。
 そして、その向こうに、つまり、自分の後ろにある鏡が写っている。その鏡には、後姿の自分が写っていて、さらに、その奥には、反対側の鏡が写っている……。
 というような仕掛けを、
「合わせ鏡」
 というのだ。
 そして、この合わせ鏡の場合は、その自分が写っている鏡には、
「ミラーハウス」
 のような、無数の角度が写っているわけではない。
 あくまでも映っているのは、二種類だけである。
 というのも、正面から映っている自分と、真後ろから映っている自分の二種類だけだ。少しでも角度が変わってしまうと、
「無限の自分というのが、鏡に写らない」
 ということになる。
 そういえば、あるホラーやオカルトが好きな人が言っていた話だのだが、
「合わせ鏡というのは、永遠に限りなく続くと信じられているけど、そうじゃない」
 というのだった。
「どういうことですか?」
 と聞いていると、その人がいうには、
「地球は、丸い。そして、その丸さは、地面に向かって重力が働いているので、鏡も、地球の丸さに比例するようにい、ごく微妙に丸くなっているので、そのうちに、鏡に写らなくなる」
 というのだった。
 それを聞いた時、それまで、
「何か引っかかっている」
作品名:一触即発の謎解き 作家名:森本晃次