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表裏の「違法性阻却」

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「ロボットのようなものの中に、脳だけを移植し、地球で考えたような、ロボットとして、ただの労働力のために使うということも考えられる」
 ということが一つと、相手の言葉を額面上受け取れば、
「奴隷として、強制的に連れていく」
 ということである。
 このどちらも、今の日本人からすれば、
「そんな勝手な、非人道的だ」
 ということになるだろう。
 しかし、今から70年ちょっと前には、そんなことは、普通に行われていたではないか。
 特に、
「第二次世界大戦後のソ連」
 である。
 いわゆる、
「シベリア抑留」
 というものがそれであるが、いくら戦争における敗戦国で、元々が、国際連盟で承認されていない国家だとはいえ、そこにいた居留民を、まるで、
「戦利品」
 であると言わんばかりに、強制連行し、正直何も悪いことをしていないのに、過酷な気象状況において、強制労働をさせ、しかも、人間らしい生活などできる状態ではなく、死者として、そのほとんどが、
「病気」
 と、
「餓死」
 だったという。
 これこそ、
「労働力というものを求めての、侵略行為という意味では。これほど、理不尽なものはない」
 ということである。
 そう、その特撮が作られたのは、まだ世界大戦が終わってから、20年も経っていないのだ。
 下手をすれば、まだ、抑留先で生活をしている人もいるかも知れないという時である。
 この特撮の発想が、この時の、
「シベリア抑留」
 を意識してのことだったのか分からないが、奇しくも今の日本の状況に似てきているのは皮肉だといえるのではないだろうか?
「少子高齢化」
 という問題が残っているではないか?
 つまり、この宇宙人の母星のように、年寄りが増えて、労働人口が減っている。
「今の労働力で、自分たちを支えてくれる人がいない」
 ということでの、切羽詰まった、切実なるという侵略ではないだろうか?
 侵略してくるものに対しては、
「すべて対抗していかなければいけない」
 ということになるのだろうか?
 かつての日本においては(実は今もであるが)、専守防衛ということっで、相手に攻撃された場合のみ、交戦ができるということで、それこそ、同じ読み方でも、内容が違う、
「抗戦」
 ということである。
 それが、
「平和憲法」
 の下での日本ということなのだろうが、
「相手が強い国であれば、本来なら、先制攻撃を仕掛けて、相手を弱らせてから、攻勢に持って行くというのが、作戦というものであろう」
 実際に、大日本帝国は、それで勝ってきた。
 何と言っても、日本が相手をした対外戦争は、そのすべてが、
「相手が日本よりも強かったり、強大な国だったではないか」
 ということである。
 明治時代における、大日本帝国というのは、
「アジアの小国」
 あるいは、
「アジアの貧乏国」
 と言われ、本迹であるし、まだまだ発展途上にあった。
 最初は、
「列強から、食い荒らされている」
 とはいえ、まだまだ、
「眠れる獅子」
 として、アジアでは、強大と言われた
「清国」
 との戦争であった。
 何と言っても、東洋一の戦艦を持っていて、
「腐っても鯛」
 お言われる、北洋水師を持っている清国に対して、日本軍は、
「士気」
 という意味でも、高かった。
 さらに、武器にしても、戦費にしても、清国の国家元首ともいうべき、西太后の贅沢三昧のため、軍事費にほとんど回らず、東洋一の戦艦も、旧式となってしまっていて、整備不良でもあったのだ。
 戦艦でも、日本は最新式で、軍事訓練も行き届いている。当然、士気の違いというのも、甚だしいというのは当たり前だということだ。
 日清戦争の後は、さらに、問題となる、そもそもの、
「仮想敵」
 であった、ロシアであった。
 さすがに、清国が相手のようにはいかない。日清戦争では一日で陥落した旅順には、東洋一の要塞が築かれていて、旅順艦隊撲滅にはいたらない。
 それを何とか滅ぼして、バルチック艦隊との、一騎打ちになったのだが、何とここでは、半日で完膚なきまでに勝利するということと、奉天回戦での陸軍の勝利で、日本の勝ちが確定した。
 まさに、
「薄氷を踏む」
 という戦いであったが、日本は、その時点である程度、確信めいたことがあったのかも知れない。
 それが、
「先制攻撃による、優位性」
 である。
 相手に、戦争継続を困難だと思わせるようなショックを与えることができるということ。それが、日本が自分よりも、強い相手に戦いを挑んだ時の、唯一の勝ち戦にするというやり方だということをである。
 つまりは、
「最初で完膚なきまでの大勝利を挙げておいて、途中の都合のいいところで和平条約に持ち込み、最大のいい条件で和平を結ぶ」
 ということであった。
 そんな中にあって、その後に勃発した、
「大東亜戦争」
 であるが、そもそも、資源の少ない国が、工業大国に戦争を挑むというのが、そもそもの問題であった。
 しかし、中国戦線において、中国からの虐殺問題などで、居留民がひどい目に遭っているという宣伝をマスゴミが国民を煽ることで、政府は、中国に譲歩ができなくなった。さらに、欧米からの経済制裁に屈することもできず、資源を求めて出ていかなければならなくなった。
 そこでやり方としての、
「辞め方」
 の問題になるのだが、結果として、当初からの、
「先制攻撃によって、相手の出鼻をくじき、その間の半年間で、占領地域を固め、資源の確保ができたところで、和平に持ち込む」
 という方法しか残されていない。
 実際に、その方法を、
「日本が思いつくのだから、相手も思いつく」
 というものである。
 日本の誤算というのは、
「敵国側が、こちらが考えている作戦など、お見通しだ」
 ということである。
 なぜなら、アメリカとすれば、日本に先制攻撃をさせることで、国民の世論を戦争に駆り立てたいからであった。
 アメリカが戦争をするためには、大統領の一存ではできない。議会の賛成がなければできないのだ。
 当時のアメリカ世論は、戦争には反対をしていた。
 なぜなら、
「どうしてアメリカが、ヨーロッパや、アジアの戦争に首を突っ込む必要があるというのか?」
 ということであった。
 元々アメリカは、
「モンロー主義というものがあり、そのため、ヨーロッパやアジアの戦争には不可侵である」
 ということであった。
「アメリカ本土が攻撃を受けたのであれば、まだしも、そうでないのであれば、参戦する意義がどこにあるのか?」
 ということなのだ。
 だから、アメリカは、日本が先制攻撃で来るということが分かったうえで、真珠湾を人身御供にして、戦争を始める口実を設けたのだった。
「これで、心置きなく、ヨーロッパ戦線に、介入できる」
 と思ったことだろう。
「ヨーロッパの連合国が負けるということは、ナチスが、ヨーロッパ、さらには、ロシアまでをも席巻するということで、下手をすれば、アメリカ以外が、ドイツの植民地になりかねないからだ」
 ということでもあったのだ。
 そんなことはあってはならない。
 アメリカにとって、日本は、
「戦争をするための、道具でしかなかったのだ」
 ということであった。
作品名:表裏の「違法性阻却」 作家名:森本晃次