表裏の「違法性阻却」
「ロボット工学三原則」
とは別に、もう一つ考えられることとして、
「フレーム問題」
というものがある。
この、フレーム問題というのは、
「次の瞬間に、広がっている可能性」
という発想である。
ロボットは何かを命令された時、そのことを達成させようといて、いろいろ考えることだろう。
だから、命令には絶対であるし、それに従おうとして、人工知能を使って考える。
命令されたことのために行動しようとするのだが、次の瞬間に動かなくなってしまう。
それは、次の瞬間に発生することを予想しようとして、機能がマヒしてしまうのだ。
とういうことなのかというと、
例えば洞窟の中にある、何かのものを取ってきてもらうという命令を出したとしよう。するとロボットは、洞窟の入り口までくると、迷うのだ。
「壁が崩れてきたら、どうしよう?」
「中から、何か出てきたら、どうしよう?」
このあたりまではあり得ることであるが、
「壁の色が白く変わったらどうしよう?」
と考えるのだ。
最後の、
「壁が白く変わるわけはない」
というのは、人間であれば、
「色が変わるわけはない。しかも、変わったとしても、状況にまったく関係のないことである」
ということが分かっている。
しかし。ロボットには、そのことが分からない。無限の可能性があるのだから、考えるのは当たり前だ。
ということなのだ。
だとすればどうすればいいかということであるが、
「じゃあ、可能性を絞るように、
「それぞれ考えられることを、パターン化してはどうだろうか?」
ということである。
そうすれば、少しでも、絞ることができる、
ということなのだが、実際に、絞り込みをしようとしても、すぐに、
「これはダメだ」
ということに気付くのだ。
というのはどういうことかというと、
「元々の可能性というのは、無限なのである。果てしないといってもいい。つまり、ここから先は、単純な算数の問題だ」
ということである。
要するに、
「無限を割る」
ということになるのだ。
算数でどのように習ったか?
そう、
「無限は、何で割っても無限である」
ということだ。割るものが無限なのだから、何で割っても無限しか出てこない。その時点で、割り算という考え、つまり、パターンを嵌めるという、フレームとしての考え方は成立しないことになるのだ。
そこまではいいとして、一つここで疑問が生じてくる。
「どうして人間や、動物は、考える時、このフレーム問題にぶち当たらないのだろうか?」
ということである。
動物というものは、
「本能によって、それができている」
ということであろう。
考えられることとして、動物も人間も、太古の昔から、種族として続いてきたことで、子孫が生まれ、その子孫が、どんどん血をつないでくることで、
「種の保存」
ということが成り立っているのだ。
その中に存在している、
「遺伝子」
というものが、ただ、親からの遺伝というものだけをつかさどっているわけではなく、フレーム問題というものを解決するだけの、頭脳となるものを受け持っているのだとすれば、これまでの、人間として生きてきて、遺伝子で繋がっているものが、時間とともに積み重ねられていき、フレーム問題を解決しているのではないか?
ということになる。
ということは、人間や動物の中にある遺伝子を研究し、それをロボットに応用すればいいのでは?
ということになり、そうなると、
「人間の脳を移植するしかないのではないか?」
ということになってくるだろう。
そうなってくると、ロボットというよりも、アンドロイドというものではないか?
完全なロボットではなく、人間の頭脳を移植できるロボット。ただ、そうなると、今であれば、
「生きている頭脳でなければいけなくなり、生きている頭脳を試食するということは、本当であれば、死んでしまっているはずの脳を移植することになるのであればいいのだが、生きた脳ということは、元々の人の意識もそのままに移植するということになる」
つまりは、倫理的に、問題があるということである。
ロボットとして、死んだはずの人の意識が入り込んでいるのだから、そのロボットは、
「自分は人間だ」
という意識があるはずだ。
となると、
「人間から命令されても、感情がないのだから、命令通りに動くというロボットのはずなのに、身体はロボットでも脳は人間なのだから、同じ人間に命令されながら生き続けなければいけないことを、どう感じるというのか?」
しかも、世間的には、
「人間としての自分は死んでしまっている」
いくら、ロボットの中で生き続けられるとはいえ、人権もなければ、権利も義務もない。下手をすれば、
「自分はロボットの脳になっているが、実は人間なんだ」
ということを言ってしまうと、今の理論で考えれば、倫理上アウトだといえるのではないだろうか?
そうなると、大きな社会問題になるのは必至である。
緊急避難
まず、
「そんなことをした人をどのように罰するか?」
しかし、このことについても、反対意見はあるだろう。
「死んだ息子を何とか生かしたいという親心と、ロボットとして生きることへの葛藤の配慮のなさが葛藤しする」
ということで、親心を情状酌量するということも考えられる。
しかし、元々の親心とは裏腹に、ロボットの中に埋め込まれた、死んだはずの息子をどうすればいいかということである。
「ロボットを破壊してしまえばそれでいいのだろうが、息子の脳も死んでしまう。ここからが、フランケンシュタイン症候群のように、力が強いだけに、死にたくないと感じ抗えば、これほど厄介なことはない。一度死んだとはいえ、生きているのだから、余計に、生き続けたいという思いは強いに違いない」
そういう思いと、もう一つの問題は、
「この脳波いつまで生きるのか?」
ということである。
ロボットとして生き続けるのであれば、
「この脳は永遠に死なない」
ということになる。
つまりは、三蔵法師に出てくる、
「不老不死」
を求める妖怪のような感覚である。
しかし、頭は、本来なら、生きても100年という人間の遺伝子となる脳が、
「永遠の命」
という発想を、生かすことができるであろうか?
確かに、
「不老不死」
ということで、
「永遠の命」
というものがあれば、どれだけいいというものか?
と考えられる。
しかし、昔の特撮番組などで、
「宇宙からの侵略者」
が地球にやってきて、あらゆる理由が考えられるが、その中で、一つ面白い理由があったのを覚えている。
その理由というのが、
「その星で生きている人たちは、次第に、老化が進んできて、そのために、労働力がなくなってきた」
というのが、まずその一つの理由である、
そのために、どうするかというと、
「他の星の若い肉体をもらい受ける」
ということになったという。
向こうの星に連れ去られた人間がどうなるのかが分からない。
ひょっとすると、
作品名:表裏の「違法性阻却」 作家名:森本晃次