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表裏の「違法性阻却」

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 理由は、もちろん、気に入っている女の子がいるからで、そのお店に行かない時というのは、その子が休みの時であり、ある意味、
「わかりやすいやつだ」
 ということであった。
 実際に、そのスナックにも、彼は連れていってくれた。そして、彼は、
「俺、彼女を気に入っているんだ」
 と、大っぴらに公言している。
 これも、彼の性格であり、彼女が嫌っているわけではなく、むしろ、ちょっと嬉しそうだった。
 実際に好き嫌いというのは、営業的なものなのか、それとも、彼女の性格によるものなのか分からないが、少なくとも、客をその気にさせるのだから、それだけ性格的には、悪い性格ではないだろう。
 そういう人を見ていると、
「小悪魔」
 と称されることが多いのだろうが、そういう雰囲気というよりも、
「ほのぼの系」
 といってもいいような、それこそ、口数の少ないタイプで、話をするとなると、いつも、少し、おどおどした雰囲気を醸し出している。
 それが、
「俺が、何とかしてやろう」
 という男の中の気概のようなものに、火をつけるのではないだろうか?
 実際に。串木野も、彼女の雰囲気を見ていて、
「ずっと、前から知り合いだったような気がする」
 と感じ、そして、それを直接口で伝えたくなるのだ。
 そう、彼女には、
「こちらから、名言したくなる」
 というような、不思議な力が備わっていて、そのおかげで、自分の中で、ストレスを溜めることはないのだった。
 溜めることがないストレスは、発散させることができるからだというのは、当たり前のことであり、しかも、その当たり前のことを、感じさせないような感覚は、マヒしているわけではなく、分かっていることを、最初から何か暖かい空気に包まれていることで、意識させないのだろう。
 まるで、最初は、熱いと思う熱湯風呂に浸かっていても、そのうちに、身体が慣れてきて、熱さを感じなくなるのと似ている。
 熱さの感覚がマヒしてくるわけではなく、自分が、温まってくることで、熱さを感じなくなる。
 彼女の中には、
「相手を無意識に近づける」
 という、魔法の力があるのかも知れない。
 そう、そんなことができるのは、魔法であって、人間業ではない。
「人間が人間を扱うことができる」
 というのは、おこがましいものであり、それができるのは、
「魔法の力を持っているからだ」
 と言えるのではないだろうか?
 自分が、誰かを好きになったとすれば、それは、こちらを引き寄せる大きな力が備わっていて、その力を使える人が、本当はたくさんいるのだが、そのためには、資格のようなものが必要で、それが、
「意識して何でもできる」
 ということが必要だと分かっていることである。
 相手が、無意識なのだから、その時に、相手の気持ちに入り込めるだけの力が備わっている必要があるといってもいいはずである。
「無意識と意識を持っていることで、人間は結界を作り、そして、あからさまに、優劣冠を感じるものだ」
 と串木野は感じていた。
「意識して何かをしようとすると、そこに、悪意なのか善意なのかのどちらかを選択する必要がある」
 と感じる。つまりは、
「意識するということは、善悪が分かっていなければ、意識することはできない」
 ということであり、逆に、
「無意識な人は、無意識なことが善であり、意識してしまうと、悪になる」
 ということを考えるから、必死になって無意識を装おうとする。
 そう思ってしまうと、なかなかそうも簡単に無意識になれるものではないのだろうが、世の中には、簡単に無意識になれる人がいる。
 そうなると、
「無意識でいることを、意識しているという、何か捻じれのような感覚が生まれてきて。そこに、まるで、
「メビウスの輪」
 のような、不可思議な感覚になってくるのだ。

                 果てしない

「メビウスの輪」
 というのは、短冊になったような紙を使って、
「一か所捻じれた輪」
 というものを作り、そのどちらかの面の真ん中部分に鉛筆などで点を打ち、そこから、短冊に平行に線を引いていくと、本来であれば、一周すると、線を最初に引っ張った場所に戻ってくるはずなのに、永遠に、交わることがないのだ。つまりは、
「反対の面を通っている」
 ということになるのであった。
 この感覚を、
「何とも不思議な線だ」
 とは思ったが、どうにも話を聴いただけでは、ピンとこない。
 ということで、ネットなどで検索し、
「どういうものなのか?」
 ということを調べてみると、
「ああ、こういうことか?」
 と思うのだが、それでも、ピンとくるものではない。
 しかし、
「何かに似ているような気がするな」
 と感じるのだが、そう思うと、それが何かというのに気づくまでに時間が掛からなかった。
 串木野は、その輪を、頭の中で思い浮べ、思い浮べたことを、言葉にしてノートに書いてみると、
「ああ、こういうことか」
 という納得めいたことが頭に浮かぶのだ。
「これって、交わることのない平行線と同じではないか?」
 ということである。
「平行線というのは、交わることがない」
 と言われている。
 そして、
「交わることがないのが、平行線なんだ」
 と思うと、この二つは絶対的なものであり、
「1:1」
 ということになる。
 逆にいうと、
「交わることのないのが、一つだけあって、それが平行線だ」
 そして、
「平行線は、交わることのないものであり、それ以外にはありえない」
 ということだ。
「交わることのないもの、それらすべての表現を平行線というのだ」
 ということであれば、平行線の定義が自ずと見えてくる。
「地球は丸いのだから、直線でないものは、必ずどこかで交差する可能性がある。曲線であっても、交わらないように作りさえすれば、交わらないのだが、そのためには、相手との距離を一定に保とうとするだろう。これは無意識だから、できるのかも知れない」
 ただ、この発想は、あくまでも、
「それぞれに都合のいいことを考えるからできることであって、都合のいいことを考えると、その先に見えてくるのは、相手に悟られたくないと思うのだ。そうなると、相手に悟られないようにするには、無関心を装って、相手に気付かせないことだ」
 ということになるだろう。
 相手に悟られないようにするには、いわゆる、
「気配を消す」
 ということである。
 意識をしてしまった時点で、気付かれたくない相手に気付かれるものだ。
 これは相手にとっては都合のいいことで、気付かれたくないと思っている方からすれば、これほど都合の悪いことはない。
「無意識に、気配を消す方法」
 忍者でもない限り、無理であろう。
 では、忍者はどうして、気配を消すことができるのか?
 ということを考えると、身近に、
「そばにあっても、視界に入っていても、まったく意識することのないものが、人間には共通に、気配を消されてしまっている存在がある」
 と言える。
 それを指摘されると、
「ああ、そうじゃないか」
 と初めて気づくはずなのに、
「まるで、前から分かっていたような気がする」
作品名:表裏の「違法性阻却」 作家名:森本晃次