表裏の「違法性阻却」
というのは、あまりにも不公平であろう。
となると、
「法定代理人」
ということで、先ほどの未成年の場合であれば、
「親権者」
ということであるが、今度の、法定代理人としては、
「保佐人」
ということになる。
つまり、
「精神耗弱者の行った契約は、一応、有効ということになり、それで、精神耗弱者や、そのまわりの人間に、損害が被ってはいけないということで、取り消すことができる」
ということになるのだ。
だから、この取り消しというのは、もちろん、
「保佐人」
によって行われるということであり、保佐人が、
「取り消す必要はない」
ということであれば、
「追認した」
ということに自動的になり、契約は成立するということになるのだ。
しかし、これは民法上のことであり、刑法においては、
「行った犯罪に対して、精神耗弱者ということになれば、犯罪者に、罪を問うということはできない」
ということになる。
一種の、
「被疑者死亡」
ということでの、書類送検でしかないのと同じことである。
そう、そういう意味では、
「被疑者死亡」
なのである。
罪を問うことのできる相手というのが、もうこの世にはいないということになるのだ。
罪を背負うことができる人がいないということは、被害者側からすれば、
「これほど、理不尽なことはない」
ということになるのではないか。
誰を恨めばいいということなのか?
それを思うと、これ以上の矛盾を世の中に感じるということはないだろう。
そうなると、衝動殺人というのも、同じことであり、
「もし、相手が精神耗弱者などということになると、誰を恨めばいいのか? 死んでいった身内は、犬死ではないか?」
ということになるのだ。
そう、まったくの犬死なのだ。
人から恨まれているわけでもない。これが、通り魔殺人とかであって、他にも被害者がいれば、
「極刑」
ということになっても不思議ではない。
つまり、
「よくて、無期懲役、普通に考えれば、死刑だ」
ということになる。
これが、
「法律によって、罪が裁かれる」
ということである、
当たり前のことであり、これが認められないということであれば、それこそ、
「神も仏もないものか」
ということになるであろう。
それを考えると、
「しょせん、人間の考える法律というのは、限界があるんだ」
ということも考えられる。
そうなると、今の日本では禁止されている、
「復讐」
であったり、
「仇討」
ということだってないとも限らない。
実際に、言われていないので、誰も復讐などしていないということになっているが、実際にはそれなりにあって、それを公表すれば、
「社会不安に陥るのは、明らかだ」
ということで、最高機密ということで、政府や警察の上層部だけ、あるいは、公安などという、
「本当にごく一部」
という機密事項になっているのではないだろうか。
それを考えると、
「今の国民は、知らないことが山ほどあるのではないか?」
ということと、
「憲法で保障されている」
という、
「表現の自由」
と、
「社会問題になりそうなことなので、緘口令を敷く」
ということとでは、どちらが優先されるべきなのか?
ということである。
本来であれば、
「憲法に抵触するわけなので、憲法自身を変えてしまわなければならないのだろうが、それは実に難しく時間もかかるということで、実質的ではない」
ということになれば、
「憲法の補足ともいうべき、特例法を作るという必要があるのではないか?」
ということになるだろう。
なかなか難しいことである。
どうしても、昔の治安維持法などでは、
「国家体制を揺るがすことに対しては、国家が介入できる」
というような感じの法律ではなかっただろうか?
何といっても、当時の世界情勢から言って、いろいろな社会体制、主義主張などがあり、そのため、他国からの諜報活動が多かった。
かくいう、日本も実際に満州であったり、北京などで行っていたことであり、だからこそ、日本も警戒をしていたのだ。
つまりは、
「国内にたくさんの他国からのスパイが潜り込んでいて、いざという時、国内を引っ掻き回すことで、戦争になった時、自国と優位に立たせよう」
ということが目的だといってもいいだろう。
しかし、日本は敗戦し、
「図らずも民主主義国家になった」
ということもあって、憲法が改正され、それまでは、個人の電話傍受まで、国家レベルで行っていたということが、公然と行われていたのが、
「すべての検閲の禁止と、通信の秘密を舗装する」
というのが、表現の自由のところの二項に書かれているのだった。
つまり、国家や、個人、さらには、企業などの、いかなる者が、人の電話を傍受したりしてはいけないということになったのだ。
戦前、戦中であれば、それこそスパイの問題などがあり、そういうわけにもいかなかったが、結果として、自由を認めることで、
「他の国から、新憲法ができた後、国家機密などの情報が、どこかに漏れていないということになるのだが、実際には、日本を属国とする某国に、すべて漏れてしまっていると言われているのは、実に皮肉なことである」
と言えるであろう。
そんなことが日本だけではなく、他の国でもあるのだろうが、とりあえず、今のところ日本という国が、
「お花畑だ」
と言われているのが、垣間見れるような気がするのは、当たり前のことであった。
正当防衛
そんな衝動殺人と、通り魔殺人だが、これらの犯罪に対して、特に通り魔殺人などでは、
いわゆる、
「違法性阻却の事由」
というものが、関係しているのだろうか?
例えば、通り魔殺人事件などで、いきなり、自分に襲い掛かってくる奴がいて、そいつから逃れるために、押し倒されたりした時、思わず近くに石があったりした場合に、思い切り相手の頭を殴りつけ、相手を殺してしまった場合など、果たして、罪に問われるであろうか?
この場合に、一番よく言われるのは、
「正当防衛ではないか?」
ということである。
正当防衛」
ということになると、当然のごとく、
「違法性阻却の事由」
を十分に生かしているではないか?
ということであるが、状況から言って。
「十分に、正当防衛ではないか?」
ということであっても、
「果たして、そう言い切れるか?」
ということとして、
「事実とは別の真実」
というものがあるのではないか?
と、言われる場合もあるのだ。
確かに、状況から判断すれば、
「殺さなければ殺される状況ではあったが、警察は、状況だけを見て、正当防衛だとはしないだろう」
警察だけではなく、裁判ともなれば、もっといろいろ調べられる。
加害者には弁護士がついているのだから、
「どんなことをしてでも、依頼人の財産、名誉を守ろうとするだろう」
そこで、一番調べられることとすれば、
「被害者と加害者の間に、何らかの因果関係がなかったか?」
ということである。
正直、因果関係があったとすれば、
「被害者が死んだ場合、加害者にどんな得があるか?」
作品名:表裏の「違法性阻却」 作家名:森本晃次