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表裏の「違法性阻却」

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 だから、この復讐には、何ら正当性のない、
「動機と言える正当性のない」
 ということで人を殺そうとしたのだから、情状酌量も薄いだろう。
 つまりは、この場合、殺されても仕方がないという人物は存在しないのだ。
「せっかく、命が助かったのだから、それをよしとして、復讐など考えなければ、誰も死ぬことはないし、自分も破滅することはない」
 と言えるだろう。
 実際に、こういう緊急避難的な状態は、結構あるのかも知れない。
 ただ、その立証というと、結構難しいのではないだろうか?
 というのも、その時の証人というと、
「関係者以外誰もいない」
 ということである。
 もっといえば、自分がいかに平静を保っていれば、問題がないといえるわけだ。
 それだけ、緊急避難というものは、
「曖昧」
 であり、いかに、その状況を把握できるかということでもあるだろう、
 何と言っても、その場に居合わせたのは、そのメンバーしかいないのだ。
 ということは、それ以上いては、もっと大変であり、しかも助かった人すべては、
「一蓮托生だ」
 ということになるのだ。
 つまり、緊急避難の名合は、実際に罪を犯した人が裁かれるのであれば、
「他の人もすべて裁かれる」
 ということになる、
「共同正犯」
 ということになるのかどうかであるが、少なくとも、共犯ということは免れないだろう。
 もちろん、これだけ曖昧なものなのだから、
「緊急避難として、罪に問われることはない」
 ということを利用するという犯罪であったとしても、それを立証することはできないので、結果として、こうなってしまえば、もう誰も、そのことを問うこともできないだろう。
 そんなことを考えていると、前に読んだあの小説は、
「あきらかに、落ち着いた状態での犯罪だった」
 ということで、
「犯人は、どれほど肝が据わってた」
 ということであろうか?
 犯人だって、あの時は、精神的に、どうすることもできない状態だったはずだ。どこかで、開き直って、
「死ぬなら死んでしまえばいい」
 というくらいになると、悪の精神が芽生えてきて、まるで、
「悪魔に魂を売ってしまった」
 とでもいうべき状況になると、本当に落ち着ける気持ちになったとしても、無理もないことであろう。
 実際に、悪というのは、それだけ冷静でなければ、務まらないともいえよう。
「人間は弱い動物だから、人を頼らないと生きられない」
 ということなのかも知れないが、同時に、
「恐怖というものも知っている動物だ」
 と言えるのかも知れない。
 他の動物が、
「恐怖を知らない」
 ということはないと思うのだが、本能で動いていて、恐怖を感じているようにはどうしても見えない。
 それでも、天敵に襲われると、必死で逃げようとしているところは見ることができるのである。
 ただ、それも、
「本能で逃げている」
 というのであれば、まさにその通りであろう。
 そんな中において、人間のように、
「誰かを盾にして生き延びよう」
 とか、その逆に、自分の子供を助けようとして、自分が犠牲になるというような、
「自己犠牲」
 を強いることになるのだが、これは動物においても、同じことがある。
 ということは、子供などに対しての自己犠牲というのは、人間であっても、動物であっても、変わりはないということであろう。
 だが、人間からすれば、
「他の動物が、どうして怖いということを意識しないのだろう?」
 ということが分からない。
「恐怖というのを感じないのだろうか?」
 人間であっても、動物であっても、その遺伝子に変わりはないだろう。しかし、その性質は、それぞれの種族によって、違っているのだろう。
「人間と他の動物だけが違っている」
 というわけではなく、
「人間と、トラが違う」
 ということであれば、
「トラとライオンも違うだろう」
 ということであれば、必然的に、
「人間とライオンも違っている」
 というわけだが、その違いも、
「それぞれの、動物との違いも違っている」
 といってもいいだろう。
 動物と人間という括りには、若干の違和感を感じる。
 というのは、何も、
「人間と、動物というだけではない」
 例えば、
「特撮などにおける、地球人と宇宙人」
 との違いに感じられるのではないだろうか?
 あるテレビを見ていて、宇宙人と、正義のヒーローの話を思い出していた。
「我々地球人と一戦交える気か?」
 ということを、地球人の姿になった正義のヒーローがいうと、
「何を気取っているんだ。君だって宇宙人じゃないか?」
 という。
 それを聞いた時、違和感があった。
「確かに、正義のヒーローは、宇宙からやってきている。だから、宇宙人なのだが、その宇宙人が、地球征服にやってくる宇宙人と戦う」
 というのが、そもそものコンセプトである。
 それは、いろいろな見方があるだろうが、
「地球という美しい星に住んでいる地球人は心がきれいだ」
 という思いから、地球を救おうという気持ちになったのだろうが、どうやら、
「地球人の科学力や、戦闘能力には限界があって、宇宙からの侵略には耐えられない」
 ということで、
「美しい地球を救うために、正義のヒーローとして、地球に留まる」
 ということを選択したようだ。
 しかし、本来は地球人でもないのに、地球人のために命を投げ出して戦うという正義のヒーロー。実に都合がよすぎないだろうか?
 ただ、この宇宙人の本質が、
「ファイティングに長けた宇宙人で、どこかに敵を求めていないと生きていけない」
 という
「真からの格闘系の宇宙人」
 だということになれば、
「地球を救う」
 という意味で、相手をやっつける口実ができたということで、それこそ、
「ウィンウィンの関係」
 ということになるのではないだろうか。
 ある意味、そっちの方が説得力があるだろう。
 地球上に生きている生物による自然の摂理というのは、それで成り立っているのだ。
 中には、天敵に食われてしまうという悲しい運命にある動物があるが、その動物も、結局、他の動物を食べて生きているということになる。
 最後には、その動物も死んでしまうことになる。それは寿命なのかも知れないし、他の細菌によって、病気になるのかも知れない。
 しかし、その時、動物は命が途切れはするが、死んだ動物は、
「土に帰る」
 というではないか。
 つまり、植物の肥料となり、植物が成長すれば、動物の餌になる。
 そうやって、順々に巡っているのを、
「自然の摂理」
 というのだ。
 それは、宇宙においても同じことなのかも知れない。
「弱肉強食」
 という言葉、地球上では、まさにその通りという言葉なのだが、宇宙においても言えることではないだろうか?
 果てしない宇宙には、いろいろな動物がいる。
 人間よりも、進んだ生物がいないとも限らない。
 そんな生物が存在しているという前提で、特撮番組は作られているのだ。
 その番組の中で、その当時であったり、過去の、
「歴史上の過ち」
 を戒めるようなものが結構あった。
 特に、昭和の時代に多かったのは、米ソにおける、
「東西冷戦」
 の構図である。
 しかも、その構図としては、
作品名:表裏の「違法性阻却」 作家名:森本晃次