交換幇助
そうではあるが、相手に最初から信憑性などなければ、そんな営業をされても、ガン無視するのが当たり前だろう。
しかし、相手に対して、それなりの信頼性をもってしまうと、感覚がマヒしてしまい、実際に、信じてしまうのだろう。
相手を信じられなければ、怒りに身体が震えるくらいになるのだろうが、少しでも信頼してしまうと、どこか、信頼が広がっていくように思い、このあたりの感覚が広がってくるのを感じるというものだった。
さらに言えるのは、
「彼らには、お金があった」
ということである。
どれくらいの貯えがあったのかというのは、その人それぞれであろうが、残業に明け暮れていて、お金を使う暇もなかった人が多かっただろうから、バブルが弾けたことで、
「時間はできるが、お金は……」
ということになると、他の人は趣味をしようと思い、その貯えを使おうと思う。
しかし、小説を書くだけであれば、それほどお金は罹らない。筆記用具か、パソコンか、そして、頭がありさえすればできることだからだ。
小説を書いていると、
「プロになりたい」
あるいは、
「自分の本を出版したい」
ということになるだろう。
プロになるにしても、自分の作品が、編集者の人の目に触れて、そこで評価を受けなければ、それは難しいことだろう。
それには、一番いい方法とすれば、
「出版社系の新人賞で入賞すること」
というのが大前提ということになる。
もちろん、そちらも並行して行っている。
作品ができれば、そちらに応募して、結果待ちをしている。
だから、普段から、作品は毎日書くということは、心がけている。そして、かたや、
「新人賞応募用の作品」
かたや、
「自費出版社系に送る作品」
とそれぞれ、執筆しているのである。
もちろん、優先順位は、
「新人賞」
の方であろう。
こちらは、シビアな審査を行っていて、いくら自費出版社系のところも、信憑性を感じられるとはいえ、
「新人賞に入選すると同時に、プロ作家への道が開けてくる」
ということである。
つまり、
「いくら、自費出版社に送っても、結果、企画出版を言ってこないことに、少し苛立ちがあったりするし、ただ、それは、新人賞では、一次審査すら通らないことを見ると、自分の作品はそこまでなんだと思わされることになるのだった」
そのうちに、
「どちらもやめてしまう」
という人も多いだろう。
しかし、
「元々の目的は、本を出したい」
ということの方が強い人は、どうしても諦めきれない。
だとすると、
「お金があるのだから、一冊くらい」
ということで、自費出版社から出版してみようと思うことだろう。
実際に、出版してみると、
「なかなか、編集者の人は優しく指導してくれ、本を出すまで、キチンと対応してくれる」
ということで、安心できるのだった。
お金がまだある人は、
「もう一冊出すのもいいか?」
と思うかも知れない。
相手が、結構プロ衆参を集めているのだろう。
「あの批評だって、結構、的を得ているものだった」
と思う。
正直、
「編集者としてのプロの目」
というものが垣間見られた気がするし、やり方だけでなく、内容もそつのないものを返してくると、
「こちらが何を求めているのか?」
ということを分かっているに違いないのだった。
本を出す時までの、指導も同じ人がしてくれる。
話を聴いてみると、
「なるほど、元、有名出版社で、プロ作家を担当する、編集のプロだ」
ということだった。
それだけに、安心して任せられる、
本がいよいよできてくると、それまで、信憑性があると言っても、どこまで信じていいのか分からないという、一抹の不安があったのだが、それも次第に消えていき、
「一抹の不安など、もうない」
と思うのだった。
最大級に、疑うという感覚がマヒしてしまうという瞬間だったのだろう。
出版社に不安を感じなくなると、
「俺の本ができるんだ」
ということだけで、大満足であった。
正直、
「売れようが売れまいが関係ない」
という感覚になる。
しかし、それも、
「自分の本が本屋に並ぶ」
という大前提があってのことであった。
ここから先が実は問題で、
「自分の本が本屋に並ぶことはない」
というのが、結論だった。
これは、このやり方を考えた、
「自費出版社系の会社」
がどこまで考えていたのか、正直分からないが、冷静になって考えれば、
「自分たちのような、無名で素人の作品が、本屋に並ぶわけはないだろう」
ということである。
前述のように、
「毎日、何冊というプロの作家が本を出すのだ」
ということである。
その出された本すべてが、本屋が、ポップを立てたり、電車の中吊り広告のように宣伝してくれるわけではない。
要するに、
「宣伝などするわけもないので、売れるわけもない」
ということで、大半の本は、しばらくすると、
「返品」
となるのだ。
それでも、有名作家の話題性のある本だけは、平積みされて、本屋が宣伝してくれる。
そうでなければ、本屋に並んだとしても、誰が気にして見るというものだろうか。
読みたいという本でもない限り、宣伝もしていない本をわざわざ手に取ってみたりして、購入するだろうか?
そんなことはありえない。
プロ作家の本であってもそうなのである。
アマチュアの作品が、誰に評価されるというのか、正直、本屋は、その本を、
「門前払い」
がいいところだろう。
そもそも、その出版社の本を置くなど、考えられない。
だから、
「自費出版社系の話題がクローズアップされてから、数年後には、出版数では、全国一位の地位に立ちながら、本屋でその出版社の本を見ることはない」
というちぐはぐな状態になっているのだった。
ただ、自費出版社系の出版数が、全国一位になると、今度は、朝や昼のワイドショーなどで、コメンテイターが、このシステムを褒めたりしている。
もちろん、その裏には、出版社側が、コメンテイターと裏で繋がっていて、その見返りに、
「お金」
というのが存在しているということなのであろう。
これは、出版社側とすれば、
「立派な広告宣伝費だ」
ということになるだろう。
有名コメンテイターに宣伝させるというのだから、
「宣伝費にお金が掛かっても仕方がない」
ということであるし、別に、
「裏金というわけでもない」
とばかりに、コメンテイターも安心して受け取ったのかも知れない。
「テレビで宣伝しているんだったら」
と、原稿を送る人も増えてくるだろうし、そうなると、
「本を出したい」
と考える人も尾増えてきて当たり前のことであろう。
それを考えると、
「出版社の一番の経費は、広告宣伝費になるのではないだろうか?」
と考えるのだ。
さらには、次というと、これも、広告宣伝費に負けずとも劣らない、
「人件費」
であろう。
出版するために、応募原稿を読んで見積りを書き、そして、出版するとなると、その手伝いをして、その本を本屋に売り込む。
ということである。
だが、次第に気になってくることとしては、