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 というのができてきた。
 実際に、
「地デジへの入れ替え時期」
 に、ちょうどいいということで、テレビを置かない家庭も出てきた。
「スマホでテレビを見ようと思えば見れるから」
 というのが、その理由だった。
 だから、テレビの方も、有料で、
「見逃し配信」
 という方法で、いまさら遅ればせながら、有料放送に参入してきたというわけであった。
 実際に、最近のドラマは、民放よりも、某国営放送の方が面白かったりする。以前は、放送倫理に厳しかったことで、なかなかエンターテイメント的な作品を映像にはしていなかったが、最近では、民放顔負けの作品が多いのも、印象的だったりする。
 そんなテレビドラマや映画製作の原作というと、ほとんどが小説だったのに、最近では、それが、
「マンガが原作」
 というものがほとんどになった。
「じゃあ、小説が減ってきたということか?」
 ということでもないようだった。
 以前から、
「小説をマンガにする」
 というのは、あったりした。
 もちろん、人気になり、テレビドラマや映画になった作品の、その余勢をかってということで、マンガにして、
「マンガでも一儲け」
 ということも考えられたのだが、最近では、同じマンガにするとしても、若干、違っているようだ。
 これまでの小説からマンガにするルートとしては、
「小説が売れ、映像作品が売れることで、マンガにすると、マンガも売れる」
 という形であった。
 しかし、今は違う。
 基本的には、まずは、マンガが売れ、そこから、映像作品となるわけであるが、
「最初が小説」
 というのもある。
 それが、
「ライトノベル」
 というものだ。
 つまりは、
「ライトノベルというのは、まず、マンガの原作となるような形で書かれて、そこから、漫画家が、マンガとして描く」
 というのだ。
「マンガにするための、小説」
 と言っても過言ではない。
 ライトノベルの場合は、
「小説が最初で、そこから、マンガとして製作する」
 というところまでは、一つの流れだ。
 それから、マンガが売れれば、映像作品になったりするのは、必然であり、
 要するに、
「どんどん、見やすい方に、作品を変化させていく」
 というようなものだ。
 そういう意味で、
「マンガにするための原作としてのジャンルとして、小説がある」
 という発想は、なかなかないものであっただろう。
 それだけ、
「小説というものが売れなくなった」
 ということであり、活字離れが、ここまできたということである。
 本来なら、小説を読むことで、想像力が働くので、それだけ、ダイナミックに読めるというものなのだろうが、
「楽な方に進もうとする発想が、今の時代の流れなのではないだろうか?」
 ということになるであろう。
 マンガというのが、日本の文化といえば、聞こえはいいが、楽な方にしか進んでいないということも事実である。
「それでも、まだ小説が残っているということは、小説の力というのは、それだけ偉大なものだと言ってもいいだろう。
 ライトノベルの時代になってくると、猫も杓子も、
「ラノベ」
 と呼ばれる時代になった。
 最近では、確かに、
「紙媒体の本」
 というものを出版するということは、かなり難しい。
 何と言っても、出版社にしても、本屋にしても、
「売れる本」
 を出したいのは当たり前だ。
 本というのが、考えてみれば、
「毎年のように、たくさんのコンテストがあり、そこで入賞すれば、プロとしてデビューできるという出版社も結構ある」
 しかも、
「そんな作家が、どんどん、本を出していけば、一日に、毎日巣冊は発売されてもいい計算だ」
 となると、売れる本でもない限り、前の日に並べた本でも、翌日には、違う本にかわっているという可能性があるからだ。
 大きな本屋でも、文庫本コーナーなど、どんなに名前の知れた作家とはいえ、数冊しか置いてなかったりする。下手をすれば、一冊もないなど普通にあるではないか?
 昭和の頃の本屋の話を聴いたことがあったが、テレビ化や映画化したような作家の作品は、その作家の本をほとんど、棚に並べていたというではないか。中には、百冊以上の本が並んでいることがあり、背表紙で作家を色分けしているので、
「色彩がきれいだった」
 と言っているのだった。
 さらに、ここ二十年くらい前から、
「アマチュア作家」
 というのが、急に増えた。
 それは、バブルが弾けたことで、その前のように、
「仕事をすればするほど儲かる」
 という時代ではなくなったので、
「いかに経費を節減するか?」
 ということで、残業を許さない状態になった。
 それまでは、
「とにかく仕事をするということで、給料もちゃんと、残業分も貰えていたのに、肝心の使う暇がないことで、皆、お金は持っていた。そして、暇になったことで、それをサブカルチャーに使おうという人が増えたのだ」
 そこで、
「金がほとんどかからない趣味」
 として、
「小説執筆に勤しむ」
 という人が増えたのだ。
 しかし、ほとんどは、小説どころか文章の書き方も分からない、俄かばかりで、文章教室に通うならまだしも、それもしないで、作家気どりの人が、今度は、
「うまく詐欺にひっかかる」
 ということになるのだった。
 それが、
「自費出版社系による、詐欺事件」
 という、社会問題を引き起こしたことだったのだ。
 それが、どういうことなのかというと、基本的に、持ち込みか、出版社系に新人賞に応募して、入賞でもしない限りは作家になる道はなかった。
 しかも、持ち込みともなると、出版社の人は捨てるだけでしかないのだ。
 さらに、コンクールに応募しても、自分の作品が、どれくらいのレベルなのか、一切公表されない。
「審査に対しての質問には、一切お答えできません」
 というのが、当然のルールだったのだ。
 それを思えば、
「小説を読んで、批評とともに、出版に向けての見積もりをお送りします」
 ということで、
「原稿をお送りください」
 ということで、公募しているのだった。
 その公募というやり方は、結構、人々の心に響いたようだ。
 というのも、原稿を送ると、キチンと読んでくれ、それなりに批評も、適格だったというのだった。
 相手の批評は、まず、否定的なところから入って、さらに、
「しかし、この作品は……」
 とつづられた後に、いいことを書いてくるのだ。
 これには、二つの効果がある。
「最初に悪いことを書いてから、その後いいことを書くのだから、いいことが目立ってくる」
 というものと、さらに、
「いいことばかりではなく、悪いことも書いてくるということは、それだけ、ちゃんと読んでくれて、その評価には信憑性がある」
 ということで、一応の信頼がおけると思わせることであった。
 だから、その中に、見積りが入っていて、そこにお金が絡むことが書かれていても、
「相手も営業なのだから、当たり前か」
 と感じるだろう。
 もちろん、原稿を送る方も、さすがに最初から、
「出版社が全額持ってくれるという企画出版をしてくれる」
 などということが、そんなに簡単にありえるということなどはないと思うに違いないだろう。
作品名:交換幇助 作家名:森本晃次