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 というものを、それぞれの種で教えられてきたわけではないのに、知っているというような、
「遺伝子の中に、組み込まれている感覚だ」
 といってもいいだろう。
 同じような感覚が人間の中にあるとすれば、それは、どこまでが本能で、どこからが遺伝子によるものなのだろうか? そもそもが同じもので、勝手に人間が別の言葉を用いて、分けているだけではないだろうか?
 そんなことを考えていると、
「人間というものは、どうしても、自分を特別と感じたい人種なのだろう」
 部活の中には、それを感じさせる人がいないわけではなかった。

                 恋愛感情

 その人は、
「高橋つかさ」
 という女の子だった。
 同学年の女の子であるが、彼女の方は、普通に一年生の頃に、
「新入生」
 ということで、入部していた。
 だから、部活では、
「先輩」
 というものだった。
 部活において、
「学年よりも、年齢」
 という考え方であったので、
「浪人していて、年齢は上だが、学年が下という人は、分かっていれば、部活においては、その人の方が立場的には上」
 だということだった。
 だが、相手も、
「向こうが学年が上」
 ということを意識してしまうと、いくら、部で慣習的に決まっているということであっても、簡単に意識できるものではなかった。
 つかさも、高杉も、現役合格だということなので、年齢的には同じだった。
 となると、やはり、先に入部していた、つかさの方が、立場的には、上だということだったのだろう。
 元々、つかさは、そういうことにこだわる女性ではなかった。
 彼女は、どちらかというと、
「一匹狼」
 のようなところがあった。
 誰かと群れるというようなこともなく、絶えず、一人でいて、それが似合っているような雰囲気だった。
 だから、まわりの人も敢えて近づくようなことはなく、
「気が付けば、いつも一人でいる」
 という感じだったのだ。
 だから、どうしても目立ってしまう。
 そういう女性だから、きっと、男性は、
「一度は意識してしまうだろう」
 と感じた。
 しかし、皆、注目はするが、絡んでいくようなことはない。
 からもうとしていても、彼女の方から、避ける素振りがある。それは、本能的なものに思うので、それを見て皆、
「ああ、彼女は、違うんだ」
 と、何が違うのかということも分からずに、無意識に離れていくのだろう。
 そう思うと、高杉も、
「俺も一緒だった」
 ということで、皆と同じで、近づくことができない。
 それは、彼女に、
「結界」
 というオーラが見えているからなのかも知れない。
 そのうちに、彼女が、
「人と一緒では嫌だ」
 という性格なのだということに気付くと、
「どうして、そんなに本能的に、まわりから自分を避けさせることができるのか」
 ということが分かった気がする。
「避ける」
 というよりも、
「一定以上の距離を保つ」
 ということで、考えられることなのだろう。
 そんなことを考えていると、
「俺は、つかさのことを好きなのかも知れないな」
 と、感じるようになっていた。
 それは、
「相手に避けられれば避けられるほどに、こっちが意識させられる」
 というものであろう。
 といえるのではないだろうか?
 それは、彼女が距離を置くことで、他の人は、
「近づかないようにしよう」
 という意識を持っているということが分かっているのに、高杉の場合は、
「近づかないようにしよう」
 と考えているわけではなく、
「ここから先は、覚悟がいる」
 と考えたからだ。
 その覚悟が何かというと、
「好きになった人しか、入れない領域があるんだ」
 ということを意識したからだった。
 今まで、女性を好きになったことはあったが、いつも一気に告白して、
「玉砕」
 していたのだ。
 それは、
「どうせダメならダメで、早く諦めて、次に行こう」
 という、少し恋愛に対して、冷めた考えを持っていたのだ。
 それは、まるでゲームでもあるかのように考えることで、
「俺にとって、恋愛って何なんだ?」
 ということを感じさせる相手が、今までにはいなかった。
 そもそも、思春期に入ったのも、たぶん、まわりから見れば遅かっただろうし、女性への、
「異性としての感情」
 というのが芽生えたのも、遅かっただろう。
 自分でハッキリと、
「異性への感覚」
 というものを感じたのは、中学三年生の頃だった。
「受験の時期なのに」
 ということで、自分の中で、憤りのようなものがあったのを思い出したからだった。
 受験というものが、いかに大変なものであるかということを感じたのは、
「異性への感情が芽生えた思春期」
 だったからではないだろうか。
 思春期というと、親に対しての反抗期でもあった。
「自分は、もう大人だと思っているところに、まだまだ、自分を子供としてしか見ていない親に苛立ちを覚える」
 というものだ。
 大人になった経験がないのだから、そう思うのも無理もないことで、
「大人になったら、今の気持ちを忘れない大人になるんだ」
 と考えた。
 それと同時に、
「親だって、子供の時代があって、今の自分と同じ立場のはずなのだから、今自分たちが言っていることが、必要以上に子供を追い詰めるということをどうして分からないのだろう?」
 と感じる。
「大人になると、忘れてしまうのだろうか?」
 と考えるが、それは、
「目が覚めるにしたがって、夢をどんどん忘れていく」
 ということで、理論的にいえば、
「大人になるということは、夢から覚めて行っているということになるのだろうか?」
 と考える。
 いやいや、
「子供の頃の夢を、大人になって自分が叶えるんじゃないか?」
 と思っている。
 ということは、
「大人になるということは、自分ではなくなってしまうということか?」
 と考えると、それも、理屈に合っているような気がする。
 大人と子供の間には、越えることのできない結界が明らかに存在していて、それは、他人としての、
「上司と部下」
 さらには、
「男女間」
 という、
「コンプライアンス違反にまともにぶつかってしまうということになるのではないだろうか?
 それを考えると、
「大人になると、子供の頃のことを忘れるというか、棚に上げるようになる」
 といってもいい。
 棚に上げるということは、分かっていて、大人になった自分を、
「子供の頃とは違うんだ」
 と思うことで、子供の頃のことを、忘れようとするのであれば、
「子供時代に育んできたはずのことが、どこに行ってしまったということになるのだろうか?」
 ということであった。
 大人になるのを、怖がっている子供もいた。
 しかし、そんな子供ほど、大人になって変わってしまっているのだ。
 ずっと一緒にいたのであれば、その変化も、意識するほどではないのだろうが、しばらく経ってから再会したりした友達などは、まったく昔と違っていることに驚かされたりする。
 時々やっている、小学校の頃の同窓会、中学の頃の同窓会では、まったく違った感覚があった。
作品名:交換幇助 作家名:森本晃次