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交換幇助

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 というのだ。
「でも、連絡先を聞いて、後から連絡し合うとかは?」
 と高杉がいうと、
「それはないんじゃないかしら?」
 というではないか?
「どうして?」
 と聞くと、
「だって、こういうところで男をひっかけようなんて女は、たぶんだけど、決まった彼氏はいるのよ。だけど、アバンチュールを楽しみたいと思ったら、旅先でしょう? 旅の恥は掻き捨てっていうじゃない。それと一緒で旅行先で、一夜限りのアバンチュールを楽しむのよ。その方が刺激があるし、後腐れもないでしょう?」
 というのだ。
「でも、集団行動だとなかなかそうもいかない?」
 というと、
「そうね。だから、こういう合宿で、アバンチュールを連想させるようなことは嫌がるのよ。まるで、針のむしろに座らされているようでしょう?」
 というのだった。
 それを聞いて、高杉はまたしても、
「なるほど」
 といって頷いた。
「じゃあ、今年はどうするんです?」
 と聞くと、
「今、考えているところなんです。何かいいアイデアがあれば、出してくださいね」
 というのだった。
「じゃあ、僕の勝手な意見だけど、森に囲まれた、湖畔とかいうのもいいんじゃないかな?」
 と言った。
「キャンプ場ということ?」
 というので、
「何もキャンプにこだわることはないと思うんですよ。ペンションのようなものでもいいと思うし、そういう空気においしいところなどで、静かに執筆活動をしてみるというのも、そもそも文芸サークルとしての、本懐に近いんじゃないかって思うんですけどね」
 と高杉はいうのだった。
 それを聞いて、
「それ、素敵ですね。私も、そういうところで合宿のようなことをしてみたいって思っていたんですよ」
 という。
「ただ、別に、執筆だけにこだわることはないと思うんですよ。せっかくの夏休みなんだから、好きなことをすればいいと思うので、絵を描くというものいいだろうし、一人でいくつものこともできるでしょうし、複数で一つの作品を製作するというのも、ありだと思うんですよ」
 というと、
「うんうん」
 と頷いてくれた。
 この会話が、役員会議のようなもので計られたようで、この考えに対して、
「秒で即決した」
 ということであった。
「皆、似たようなことは考えていたようなんだけど、ただ、口に出す人がいなかっただけみたいなの」
 というではないか。
「うん、じゃあ、ほぼ決定ということですね?」
 というと、
「ええ、そうなの。だから、今度の幹事というか、実行委員みたいなものに、言い出しっぺということで、あなたも加えたいんだけど、どうかしら? 大丈夫?」
 と聞いてきた。
「僕でよかったら」
 と、高杉は答えた。
 確かに、あまり、幹事のようなことは好きではないが、皆が一緒であれば、それはそれで楽しいかも知れない。
 と感じるのだった。
 二つ返事で答えると、彼女も喜んでくれて、
「早速、今度実行委員会の会合を開きましょう」
 という。
 彼女というのは、実行委員会の実質的な長である、
「丸岡美津子」
 という女性であった。
 美津子は、結構まわりから、
「慕われている」
 という意識を持っていたようだが、傍から見ていると、
「体のいい使い走り」
 としてしか映らなかった。
 そんな彼女を見て、まわりは、
「可愛そうだ」
 とは思うかも知れないが、
「それも、彼女の性格だから、しょうがない」
 と冷めたものだった。
 その冷めた性格が彼女の性格なのだから、これも当たり前というものだった。
 ただ、最初の人当たりは素晴らしい。面倒見がいいように見えるので、たいていの人が、
「この人は頼ってもいいかも知れない」
 と感じるのだった。
 だが、人間には、
「表裏」
 というのは、大なり小なりあるものだ、
 そのことを今まであまり感じたことがなかった高杉は、
「自分は、お花畑にいたんだな」
 というようなことを、大学に入って感じていた。
 大学というところは、
「レジャーランドだ」
 と言われるほどに自由なところで、社会人から見れば、大学生が羨ましく思え、懐かしさというものがこみあげてくる人も多いことだろう。
 しかし、よくよく考えると、
「精神的な大人」
 というのが、育まれるのは、そんな大学時代なのではないか?
 ということであった。
 大学時代というと、
「今までに、こんなに知り合いができたことなかった」
 というくらいに、友達が増えることに大満足だった。
 これは、
「友達を作る」
 ということではなく、
「増やす」
 というだけでしかないということに、なかなか気づかなかった。
 これは、今でいうところの、SNSのようなもので。
「フォロワー数が増えることだけを目的としている」
 という、まわりの流れに乗っかっているだけのことではないのだろうか?
 たとえば、ツイッターなどでは、
「フォロワー数が1000になれば、一人前と認めてもらえる」
 などということが言われたり、
「万垢を目指す」
 ということで、
「10,000を目指す」
 という人もいたりする。
 増やしたとしても、底で何か、
「ツイッター上での、営業活動」
 ということで、集客目的などであれば、れっきとした目的があるのだから、問題はないと思うのだが、
「ただ、アカウントを強くする」
 などという、漠然とした目的で増やしている人は、
「それ以上の目的がないのなら、何がしたいのか分からない」
 と言われるに違いない。
 そもそも、ツイッターなどというのは、
「ツイートして、それを見てもらうことが目的で、何も、フォロワー数を増やすことが目的ではない」
 と言えるだろう。
 さらに、見てもらうということを目的にする必要もない。
「興味をそそるようなことであれば、勝手にフォロワー数も、いいねも増えてくるものである」
 と言えるのではないだろうか?
 ツイッターをやっていることで、何かを目標にするのであれば、
「ツイート数を目標にすればいいのではないか?」
 といっているような人もいたが、まさにその通りではないだろうか?
 人によっては、
「毎日の継続を、日記のような感覚で毎回ツイートしているという人もいるが、それが、そもそものツイッターではないだろうか?」
 と感じるのであった。
 フォロワー数が、1000人になれば、一人前のようなことを言われているが、果たして、その1000人というのを、皆把握しているのだろうか?
 まさかそんな人はいないだろう。
 友達だって、自分で理解できている人とすれば、20人くらいが限度ではないだろうか?
 クラスメイトというのであれば、名前くらいは、50人くらいは憶えることができるだろうが、
「友達として」
 ということであれば、20人がいいところだろう。
 もっといえば、
「その20人という中に、自分が友達だとは思っていても、相手が本当に自分のことを友達だ」
 ということで理解してくれているのは、何人だろうか?
「ああ、あいつが勝手に友達だと思っているだけで、こっちは何とも、思っちゃいないさ」
 ということであろう。
「友達なんて、しょせん、そんなもの」
作品名:交換幇助 作家名:森本晃次