誰が一番得をするか?
そもそも、武家というのは、公家にとって、
「ただの召使であり、自分たちを守るだけの兵だ」
ということなだけであった。
完全に甘く見ていたのだが、それまでの平安時代では、
「藤原摂関家」
あるいは、
「院政」
というものの力によって、ある程度抑えられてきたが、公家の権力争いであったり、天皇家の、
「後継者争い」
という勝手な事情で、武士が、
「使われた」
ということで、武士の力が、朝廷や貴族からすれば、
「思わぬ方向」
に向いていったといってもいいだろう。
これも歴史の大きなうねりであり、時系列から見ないと分からないことであっただろう。
前述の。
「本能寺の変」
というのも、いろいろな謂れというものが存在する。
歴史上では、
「光秀の単独犯」
ということになっている。
自分の領地、丹波から出撃し、途中の街道で、分かれ道があり。
「右に行けば、備中、左に行けば、京都本能寺」
ということで、運命の分かれ道だった。
そもそも、光秀はその日、備中で戦をしている、
「羽柴秀吉の援軍」
ということで、信長の命令で、備中に向かう予定だった。
しかし、その前に、
「本領である、丹波を召し上げ、今だ敵陣である、出雲や石見を切り取り次第に与える」
ということを言われていたのだ。
正直、この戦に負ければ、部下たちが路頭に迷うということになる、それだけは、容認できないことであった。
それを考えた光秀は、
「敵は本能寺にあり」
ということで、そこから本能寺に向かったということで、
「最初から決めていたわけではない」
と言われているが、これには諸説ある。
一つとしては、その数日前に詠んだとされる、光秀の和歌に、
「時は今、雨がした知る、さつきかな」
という句が読まれたという。
本能寺の変が。6月2日、その少し前ということで、5月は、皐月というではないか。
しかも、
「時」
と読んでいるのだが、これは、
「土岐氏」
というものを表しているということである。
光秀というのは、
「土岐氏」
からの末裔だと言われているので、
これは、
「土岐氏が、天下(天の下)を取る皐月」
ということで、天下取りを表明した歌だ。
ということを言われているのだ。
しかし、これも勝手な言い分で、どこまでが本当なのか分からない。これも一種の、歴史にはあるあるである、
「諸説あり」
ということになるのであろう。
その諸説というのも、
「かなりのこじつけ」
ということであるということも大いにありである。
そういう意味で、光秀の、
「思いつき説」
というのも、怪しいということになってきた。
すると、その次に言われるようになったのが、
「黒幕説」
と呼ばれるものだ。
つまりは、
「光秀の単独説ではなく、誰か、信長を亡き者にしようという人間、あるいは組織が暗躍していて、そこからの謀殺説というものである」
しかし、この説には、
「信長暗殺」
というものが、本当の目的だったのか?
ということを考えると、別の見方も出てくる。
つまりは、
「天下に一番近かった信長を葬ることで、次は自分が天下を握ろう」
という考えである。
かなり、
「したたかな考えだ」
ともいえるが、それよりも、もしそれが本当だとすると、結局最後まで、その黒幕が出てこなかったのは、ある意味、天下取りという目的が達成されたかどうか分からないが、
「自分が黒幕だということがバレなかった」
というのは、成功といってもいいだろう。
少なくとも、
「信長暗殺」
ということには、成功しているからである。
信長が死んでしまえば、
「得をする」
と思っている人がたくさんいるだろう。
それらをしらみつぶしに当たっていると、それこそ、本当に、
「歴史上最大の謎」
と言われるのも当たり前のことである。
「有力候補」
と呼ばれるだけでも、5、6個あるといえるだろう。
有力説として、二つの勢力がある。
まず一つは、
「天皇を中心とした公家勢力」
である。
信長が、
「天皇を利用しようとしている」
ということを分かっていたことが前提であるが、元々、歴史的にも、
「天皇家からすれば、武家政権は、邪魔でしかない」
ということからの発想でもあるだろう。
もう一つの勢力とすれば、一番信憑性があるのは、
「足利幕府の勢力」
である。
足利義昭は、
「信長のおかげで、京に入り、将軍職に就かせてくれたという恩人であるが、自分を差し置いて、天下を掌握している信長に、早い段階から嫌悪を感じていて、それによって、諸大名に、信長討伐の手紙を書いているのだから、信長が起こって、義昭を追放するというのも、無理もないことだろう」
と言われている。
しかも、
「将軍黒幕説」
として、最有力と考えられるのが、
「実行犯である、明智光秀が、そもそも、将軍家に仕えていた」
ということからである。
将軍家と通じていても、当たり前といってもいいだろう。
そして、時期的にこの時期になったのは、今まで、
「信長包囲網の中心」
ともくされていた武田信玄が死んだからだというのは、強引であろうか。
信長を打つという目的で、一度は京を目指した信玄の部隊が、急に甲斐に引き返したのだ。
これには、将軍もビックリしたことだろう。
そして、信玄を中心とした信長討伐軍の編成が、
「もう不可能だ」
と感じた時、失望はしただろうが、そこで考えたのが、
「光秀による、暗殺計画」
だったのだろう。
当然、
「成功すれば、それなりの報酬」
というのもあっただろう。
明智光秀は、
「足利幕府の再興」
というものを、ずっと考えていたのかも知れない。
「信長の下にいるのがいいか、幕府体制の下がいいか?」
ということを考えたとすれば、
「足利幕府黒幕説」
というものが、一番の信憑性があるといってもいいのではないだろうか?
ということであった。
さて、組織としては、その二つであろうが、それ以外に、
「個人的な黒幕説」
というのもないわけではない。
そのうちの一つに、
「長曾我部節」
というのがある。
そもそも、光秀の説得によって、四国平定を信長が行った時、
「四国は。長曾我部」
ということで、話ができていたということだ。
光秀を通して、長曾我部に伝えられたことから、長曾我部は光秀を贔屓に感じていたことだろう。
しかし、そのうちに、信長が、四国の話を、
「白紙に戻す」
と言い始めた。
それにより、長曾我部に確約した光秀の立場は微妙になり、長曾我部からも、文句を言われ、
「信用できない」
とも思われたことだろう。
それを考えると、光秀は、
「完全に、信長と長曾我部元親に挟まれることになってしまう」
ということであった。
それが、光秀の、
「元親に対しての負い目と、信長に対しての不信感につながった」
として、それを元親が感じているのだとすると、元親から、
「信長暗殺」
をほのめかされると、
「光秀が動く」
ということもありえることであろう。
もっといえば、
作品名:誰が一番得をするか? 作家名:森本晃次