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誰が一番得をするか?

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 自分たちの金儲けのために、信者は、洗脳された頭で、借金を繰り返し、何の罪もない家族がその犠牲になっている。
 そもそも、
「元ソーリ襲撃事件」
 の犯人は、その宗教団体の被害者だったのだ。
 その宗教団体と、
「元ソーリ」
 が結びついているということで、襲撃をしたのだろうが、実際には、ほとんどの政治家、特に与党である政府の要人が、金を貰ったり、選挙の時の票を貰ったりしていたということなのだ。
 そんな宗教団体は、日本、いや、他の国にもたくさん存在している。実際に、
「元ソーリ暗殺事件」
 の犯人が、恨んでいる宗教団体は、世界に展開していて、各国の要人と繋がっている。下手をすれば、
「あいつらが、世界を動かしている」
 と言ってもいいかも知れない。
 世界は、今は、もうそんな時代になっていたのだ。
 そんな宗教団体を、
「いかに扱っていくか?」
 というのが問題なのだろうが、果たして。どうすればいいのだろうか?
 実は、そんなゆずはは、今小説を趣味で書いていて、これらのかつての事件を模写する形での、ファンタジーを書いていた。
 架空の国に起こる、
「宗教戦争」
 さらには、
「汚職や賄賂に塗れた世界」
 というものを描いている。
 その話を書くために、高校時代に、友達と夢の話などをしたりしていたのだ。
 最近では、その話の中で、
「バタフライ効果」
 という言葉に興味を持って、研究していたのだ。
「バタフライ効果」
 というのは、
「バタフライ・エフェクト」
 とも呼ばれ、最近では、某国営放送において、過去の映像から、ドキュメンタリー番組を作っているのだが、そのサブタイトルに、
「バタフライ効果」
 というのがついていたのだ。
 バタフライ効果」
 というものは、
「目の前で起こった、まったく何にも影響しないかのように見えることでも、遠くの方での自然現象に大きな影響を与える」
 というものである。
 例えば、
「一匹の蝶々(バタフライ)が、羽根を羽ばたかせたことで、外国の遠く離れたところで、異常気象が起こる」
 というような話である。
 詳しいことは分からないが、大学の心理学の講義の中で、この、
「バタフライ効果」
 という話が出た時、
「これは、小説に使えるかも知れない」
 と、ゆずはは感じたのだ。
「SF」
 であったり、
「ホラー」
 であったり、
「ミステリー」
 であったり、それぞれに、影響してきて、その影響が、実際にどのようなメカニズムになっているのかということを、
「バタフライ効果」
 というものが、証明しているということなのだろう?」
 ということであった。
「バタフライ効果」
 というものが、友達と話した、
「夢の世界」
 のようなものだと考えると、本来なら、
「夢の世界のことが、現実に起こるはずなどない」
 と言えるのだろうが、これが、
「バタフライ効果」
 によって、
「限りなくゼロに近い」
 というものであっても、存在している以上、大きな問題になるのかも知れない。
 と言えるであろう。
 合わせ鏡などのように、限りなくゼロに近いものが大きな影響を与えるという、
「バタフライ効果」
 であるが、そこに、今度は別の考えが浮かんでくるのだった。
 それは、
「マイナスにマイナスを掛けるとプラスになる」
 という考え方で
 さらに、
「プラスにプラスを掛けると、プラスになる」
 というのは当たり前のことだ。
「マイナスになるには、必ず、どちらか違っているものしかありえない」
 ということになり、
「合わせ鏡などでは、決してマイナスになることはない」
 ということは、
「マイナスというのは、概念でしかない」
 ということになる。
 そうなると、マイナスという概念は、答えとしては存在しないことになる。
 だとすれば、
「マイナスは、はじまり以外ではありえない」
 ということになり、それの証明が、
「バタフライ効果」
 にしかないといえよう。
 それだけ、
「限りなくゼロに近いもの」
 というものの存在が絶対的であり、バタフライ効果をもたらすだけの力を持っているということになるのだろう。
 そんなバタフライ効果の中で一つ考えるのが、
「自然の摂理」
 という考え方だった。
 三すくみという考え方の中で、
「三すくみとは、三つ巴とは違うのだ」
 ともいい、三人が同じ成績であれば、
「三つ巴の、巴戦」
 というのをやることになる。
 相撲などの、
「優勝決定戦」
 では、なかなか行われることはないが、ありえることである。
 この場合には、どういうことになるかというと、まず、最初に当たって、勝った方が、残った一人で戦って、
「勝てば、優勝」
 ということになり。負ければ、残りの二人で再度決戦をやる。
 その時、自分に勝った人間が、もう一度勝てば、その人が優勝ということになる。もし、負ければ、三人とも、
「一勝一敗」
 ということになり、再度、巴戦のやり直しということになるのだ。
 つまりは、
「2勝した方が優勝ということになる」
 それが巴戦である。
 しかし、自然の摂理ということになると、これが、三すくみともなると、このような形にはならない。
 なぜなら、三すくみというのは、
「先に手を出した方が負ける」
 からである。
 巴戦のように、
「1対1」
 で行うものではないからだ。
 三すくみというのは、巴戦と違い、
「お互いの力は歴然としているが、
「自分が強い相手は、自分が弱い相手に強い」
 というややこしい関係になっている。
 つまり、三つが存在することで、
「バランスが保てている」
 ということである。
「自分が、強い相手に襲い掛かれば、今度は、それを見て、自分に対して強い相手が襲い掛かってくる。そして自分が襲い掛かった相手は。そのまま、自分が強い相手に襲い掛かろうとするだろう」
 しかし、ここで問題なのは、自分が先に、自分が強い相手を殺したとすれば、どうなるだろう? 自分に襲い掛かってこようとしている相手は、自分の天敵がいなくなることで、心おきなく、こちらに襲い掛かってきても、自分を襲ってくるやつを、こっちがやってけたことで、相手は、
「一人勝ち」
 というものだ。
 ということは、
「自分が先に攻撃するとやられるのは分かった。となると、自分を襲ってくる相手を目の前の動物が殺してくれることを待っているしかない」
 ただし、これは、忍耐の問題であり、理屈で分かっていたとしても、分かっているだけに、攻撃できないことが、もどかしくなることだろう。
 それを考えると、
「自然の摂理」
 というのは、実に残酷なものである。お互いに、けん制し合い、一番最初に、動いた方が負けなのだ。
 動物は、決して自分から動こうとしない。それだけ、本能というものが、しっかりとしているということであろう。

                 大団円

 ゆずはには、今仕事場で、三すくみの状態にあっら。
「三つ巴」
 というような関係が、学生時代の部活で感じたことがあった。
 ソフトボールをやっていたのだが、三人、そのポジションに候補がいて、、その三人が、レギュラーを争っていた。
作品名:誰が一番得をするか? 作家名:森本晃次