誰が一番得をするか?
しかし、戦争に勝利すると、その約束を完全に反故にしてしまい、裏切った。
さらに、第二次大戦では。今度は、ナチスに迫害されているユダヤの協力を得るため、
「ユダヤの国の建設」
を約束した。
今度も、イギリスは勝利したのだが、アラブには、アラブの開放を、さらにユダヤには、国家建設を約束していたので、ますユダヤの国を建国するように、イスラエルの地に、その国家建設を行った。
しかし、そこには、アラブの民族が住んでいる。強引に国家建設をしてしまったことで、アラブ側は、イスラエルと攻撃したが、結果、戦争に敗れ、パレスチナの地に追われた。
イスラエルは、
「ユダヤ教」
アラブは、
「イスラム教」
ということで、ここから、領土と、それぞれの宗教の
「聖地」
をめぐっての、果てしない戦争が、繰り広げられることになるのだ。
アラブ以外でも、かの世界大戦の後は、各地で戦争が起こっている。
それは、
「大東亜共栄圏の建設」
というものを目指していた日本が、敗戦したということから見れば、日本にとっては皮肉なものであった。
というのが、
「大東亜共栄圏というのものの目的」
として、
「アジアを、欧米列強から解放して、アジアで新たな新秩序を建設する」
というものだったのだ。
だから、日本は、これを、閣議において、
「大東亜戦争」
と命名し、その大義名分を、
「大東亜共栄圏の建設」
ということにしたのだ。
戦争が終了して、占領ということになる、
「大東亜戦争」
という名前を使ってはいけないということになり、
「太平洋戦争」
と言わなければいけないのは、日本が、
「サンフランシスコ平和条約」
で、占領状態が終わるまで続いた。
今でも、
「太平洋戦争」
と言っているが、本当は、
「大東亜戦争」
なのである。
しかし、その道は果たされずに、
「日本の敗戦」
という形で、東南アジアの国は、開放されることになった。
だが、すぐに、元々の宗主国である、欧米列強が入ってくる。そうなると、元々の日本が唱えていた、
「独立国としての立場」
を鮮明にして、
「独立戦争」
というものを起こすことになるのである。
特に、東南アジアの国は、結構早かった。
ただ、インドシナだけは、フランスが途中で、侵攻できず、敗戦を重ねたことで、結局、事態の収拾を、
「国際連合」
に丸投げしたため、おかしくなった。さらに、せっかく独立していく東南アジア諸国が、ソ連によって社会主義化されることで、アメリカを中心に、
「社会主義化のドミノ現象」
というものが起こり、
「東南アジアが、すべて、社会主義国家にされてしまう」
ということを懸念したのだ。
それによって、アメリカが、南ベトナムに加担して、社会主義国家となっていた北ベトナムを攻撃するようになる。
そうなると、朝鮮戦争のような、
「社会主義国と民主主義国との間での、代理戦争」
という様相を呈してきたのだ。
こちらは、宗教戦争ではないが、それぞれの社会体制による、
「国取り物語」
と言ってもいいだろう。
それぞれの、兵器は最新型で、以後、国際法で、
「使用不可」
となる兵器が、どんどん使われた。
それらの写真が、雑誌に乗ったりすると、その残虐性に、アメリカなどの国民が衝撃を受けたりする。
さらに、大東亜戦争の時でも行ったことだが、
「国際法に則って、爆撃地域を、兵器工場であったりに限定するというピンポイント爆撃をしていると、出撃のわりに、成果がまったく出ないで、被害だけが大きくなる」
ということを、国民が気づいてしまったことで、
「無差別爆撃への移行」
ということになったのだ。
その結果が、悲惨な写真の掲載により、
「反戦運動」
となったのだ。
アメリカという国は、戦争を始めるには、大統領の一存ではできない。
「議会の承認」
というものが必要なのだ。
それを考えると、
「大統領としては、撤兵を考えなければいけない」
ということになるのだった。
結果、アメリカは、徐々に、撤兵していき、最終的に、南ベトナムの首都である、
「サイゴン」
を捨てて、完全撤兵してしまった。
北ベトナム軍は一気呵成に、サイゴンを陥落させて、ベトナムは。
「社会主義の統一国家」
として生まれ変わり、その体制は現在に至っているのだった。
実はこれがアメリカの正体であり、
「中国でも、アフガンでも、イラクでも、すべて中途半端なことをしてしまったことで、いまだに内紛などが続いている」
ということになっているのだ。
アメリカが、宗教団体の本当の恐ろしさを知ったのは、
「アメリカ同時多発テロ」
と呼ばれた事件であろう。
「旅客機をジャックした実行犯が、旅客機もろとも、高層ビルに突っ込んだり、ペンタゴンに突っ込もうとしたり」
という、それまで行われていた、
「自爆テロ」
の最悪な形になったのだ。
それまでも、旅客機をジャックして、そのまま、自爆するということはあったが。ここまでのことはなかった。
そういう意味で、どこの国でも、
「宗教に対する警戒」
というのが強くなった。
本来なら、日本もそうである。
こちらの場合は、宗教というよりも、
「宗教というものに名を借りた、反政府組織」
による、毒ガス散布事件であった。
これは、宗教団体のテロというわけではなく、言われていることとすれば、
「宗教団体が、近く警察に家宅捜査をされる」
という情報があったので、
「宗教団体の方が、先回りをして、その目先を狂わそうとして、あのような残虐な事件が発生した」
という話だった。
つまりは、
「宗教団体」
というものに名を借りた、ただのテロ組織で、果たして、どこまで考えていたのか分からないが、最終的には、
「国家転覆」
というところまで考えていたのだろうか?
と、思えてくるのであった。
それなのに、どうも、日本という国は、それでも、警備が甘かったりする。
それから二十年くらい経ってから、選挙活動中の遊説中に、応援に現れた、
「元ソーリ」
が暗殺されるということがあった。
暗殺されたことが、いい悪いの問題ではなく、いかに、
「警備が手薄だったのか?」
ということだ。
さらに、それから半年ほど後に、この時は未遂で終わったが、
「現役のソーリが襲撃される」
ということも起こった。
こちらも、死のうがどうしようが関係なく、警備の問題が大きかったのだ。
そもそも、
「平和ボケ」
と言ってもいいだろう。
ただ、
「元ソーリ」
が暗殺されたおかげで、ある宗教団体と、政治家の、
「汚い繋がり」
というものが露呈したという意味では、
「殺されても、一つだけいいことをした」
ということになるのだろうが、それも結局、あやむやとなって、社会的に、どうなるものでもない状態になったといえるだろう。
その宗教団体は、
「毒ガスを撒いた」
というあの宗教団体と、甲乙つけがたいほどの団体である。
「霊感商法」
などを使って、どれだけの平和な家庭をぶっ潰せばいいというのか。
作品名:誰が一番得をするか? 作家名:森本晃次