小説が読める!投稿できる!小説家(novelist)の小説投稿コミュニティ!

二次創作小説 https://2.novelist.jp/ | 官能小説 https://r18.novelist.jp/
オンライン小説投稿サイト「novelist.jp(ノベリスト・ジェイピー)」

誰が一番得をするか?

INDEX|13ページ/18ページ|

次のページ前のページ
 

「人と、夢について語り合うなどということはないではないか」
 そもそも、人と何かについて語り合うなどというのは、そんなになかった。
 だが、ゆずはの場合は、高校時代の親友で、1年生の頃など、時々、それぞれの家に遊びに行って、普段から考えているいろいろなことを、時には徹夜で語り合ったものだ。
 その時に、
「夢の話」
 というのもしたことがあったかのような気がした。
 正直、ハッキリと覚えてはいないのだが、本当に覚えているかどうかということは、自分でもよくわかっていない。
 そんな中で、自分が今までに感じていた、
「夢というものに対しての感覚」
 というのは、覚えている夢というのは、
「怖い夢ばかりだ」
 ということであった。
 このことに関しては、高校時代の親友とも、話をした記憶がある、そして、夢の話をしたということとして、本当に覚えているということは、この、
「怖い夢」
 という話に関してだったのだ。
「怖い夢」
 というのが、どういう怖さだというものなのかに関して、すり合わせてみたが、どうも、お互いに、
「怖い」
 という感覚に違いがあるようだった。
「何をもって怖いというのか?」
 ということであるが、それが、小説のジャンルのようなものに例えるしかないので、その感覚で話をしていたような気がした。
 ゆずはは、そうやって話しているうちに、
「人それぞれで、感覚って違うんだ」
 ということに、いまさらながらに気付いた気がしたのだった。
「怖い話っていうと、ホラーだったり、オカルトだったりがあるじゃない」
 と友達がいうので、
「ええ、そうね。何か、怖いと感じるもの。例えば、幽霊であったり、妖怪であったりなどね」
 とゆずはがいうと、
「じゃあ、妖怪と幽霊の違いって何なのかしら?」
 と友達がいうので、
「妖怪というのは、何かの動物が、不思議な力を持っていたり、動物が何か憑依したものなんじゃないかしら? それて、幽霊というのは、人間が化けて出たものじゃないかって私は思うんだけど?」
 と、ゆずはは言った。
 それを聞いた友達は、
「ええ、そうよね。私もその通りだと思うわ」
 と友達も、そういって同意してくれたが、ゆずはとしては、正直、自信があるわけではあなかったが、相手が同意してくれたことで、その曖昧な感覚は、
「確信に近いものだ」
 ということに変わってきた。
 そのことは、後で調べると、ほとんど同じことだった。もっとも、考えられることが他にたくさんあるわけではなかったので、感じたことが、そのまま正解だというのも、この話だけではなく、結構あった。
 ということは、こうやって友達と話をしていることは、自分にとっての、
「確認」
 ということであり、毎回、同じことを感じているわけではないということでもあったのだ。
「確かに。妖怪も幽霊も怖いけど、それ以外で、怖いものって何かあるかしら?」
 と友達に言われて、
「そんなサイコパスのようなものが出てこない方が、私は怖いと思うわ。例えば、五分前に、もう一人の自分がいて、その自分を追いかけているんだけど、追いつかないというような夢だったりね」
 というと、
「そうなのね。私はそんな夢を見たことはないわ」
 と友達がいうので、
「じゃあ、これは?」
 と、思い出していると、友達は、その様子を見ながら、どうやら、何を言い出すのか、それが怖いというような様子だった。
「一日が終わりかけていて、次の瞬間に、次の日になるという時、その瞬間、同じ日を繰り返していると感じる時」
 というと、
「そんなことを夢で見るのね。私は、その感覚って、起きている時に、考えることなの。だから、夢に見ないわ」
 と友達がいった。
「えっ、じゃああなたは、夢に見ることであれば、現実では考えることはなくて、逆に、現実で考えることは、夢には見ないと思っているの?」
 と聞いた。
 この感覚は、
「夢と現実を、まったく別のものとして考えている」
 ということを証明しているようで、その考えが、
「それは、自分と友達の夢に対する考えが、まったく違う」
 ということを示しているかのようだった。
 それを思うと、
「私たち、夢に対しての考え方が、交わることのない平行線を描いているように思えてならないわね」
 というと、
「そうね。私たちのように、いつも意見が合ってきた二人でもそうなんだから、余計に他の人の場合は違うわよね」
 と友達はいった。
「そうそう、そうなのよ、人それぞれで夢に対して違っていることが正反対なんじゃないかって思えてきた。だとすると、夢というものが、無限なものに感じられるのよ」
 とゆずははいった。
「確かにその通りね」
 と友達も感じているようだった。
「反対の反対が存在するということになるのかしら?」
 というと、
「そうなのよ。そして、反対の反対を考えた時、かならずしも、元に戻ってくるわけではなく、それが、人それぞれでまったく違う結果を呼ぶ。一人として、同じ答えが出てくるわけではない。それは、似て非なるものであり、そのことが、夢によって証明されるものなのかも知れないわ」
 と言えるのではないだろうか?
 そんなことを考えていると、
「結局、夢というのは無限ということなのかも知れないわね」
 と友達が、ボソッと言ったが、それを聞いて、
「夢というのが、無限だというのか、または、無限だから夢というのか? というのは、同じことを言っているように思えるけど、そうじゃないような気がする」
 というと、
「そうなのよ、それこそが、反対の反対という考え方になるんじゃないのかしら?」
 と友達がいった。
 この友達の言葉に対しては、
「明らかにその通り」
 と思い、まったく反対という意識はなかった。
 そのことを、口に出そうかと思ったが、
「彼女ならきっと分かっている」
 と思い、口に出さなかった。
 この時に口に出していなかったことで、
「彼女と、夢についての話をした」
 ということを忘れてしまっていたのだ。
「いや、忘れてしまったというわけではなく、それこそ、夢の中での出来事だ」
 というような感覚になったのかも知れない。
 この頃から、いや、もっと前からであるが、それが確信となったのが、この時だったのかも知れない。
 というのも、夢というものを考えた時、
「現実と正反対の世界」
 と今でも思っている。
 いや、今だけというわけではなく、果てしなく、その通りだと思っていくのであるが、結果、
「反対の反対」
 というものを、どう考えていくのか? というのが、夢に対して向き合っていく考えだと思うのだった。
 そんな、
「反対の反対」
 というものを考えた時、
「これは夢の世界だけではなく、他の発想にも生かされるのではないか?」
 と考えるようになったのだ。

                 バタフライ効果

 友達と、夢の話をしたことがないというのを、ずっと信じていたが、実際にはそうではないということを思い出したのは、何かのきっかけだからだろう。
「反対の反対」
作品名:誰が一番得をするか? 作家名:森本晃次