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 ということになるのだ。
「この世は時系列によって流れている。だから、今は、次の瞬間には、過去になるのだ。そして、次の瞬間が現在となる。そうやって、時系列は進んでいくのだ」
 というのが当たり前のこととして考えられるわけである。
 しかも、今Kら以降、過去となってしまったことは、事実として確定している。その過去を変えてしまうと、
「未来が変わってしまう」
 という発想である。
 しかし、未来はまだ確定していない。今という瞬間が、次の瞬間として広がっている無数の可能性から、何かの力によって、決定し、そこから先、未来をつぐんでいくということになる。
 これが、時間という考え方であるが、この考え方には、かなりの矛盾があるような気がする。
「そもそも、現代」
 というのは、誰が決めたというのだ?
 ということである。
 あくまでも、
「今」
 と見ている瞬間は、一瞬でしかない。
 となると、一瞬前にいる自分というものを、
「今」
 として捉える瞬間が存在し、そこにも、自分がいるということになるのだ。
 もっといえば、この瞬間に一緒にいる人は、ひとつ前の時間を、同じように進んでいることになる。
 ということは、
「どんなに可能性というのが無限に存在しようとも、今ここで、そのことを考えている自分と関わっている人は、過去からずっと一つの流れをつないでいて、次の瞬間もその流れで進んでいくことになる。それは、あくまでも、自分が関わっているから、その人は、今の世界にいるというわけではない」
 ということになると、もし、自分が過去にいって、その人の、
「次の瞬間」
 を変えてしまうと、本当は関わっていないはずの人と関わることになるのだから、その人の人生に何らかの影響を与えないとも限らない。
 問題は、それが、
「未来のすべてを変えてしまうだけの影響があるかどうか?」
 である。
 普通であれば、そんなことはないのだが、一つでも変化があると、何が起こるか分からない。
 世の中が狂ったまま、元に戻らず、どんどんと違う世界が生まれてくるという発想が、「タイムパラドックス」
 というものである。
 これは、きっと、
「これまでになかった発想が、新たにどんどん生まれてきて、そこから、生まれたことが、恐怖を煽ることで、最悪の発想の元、一つの矛盾が、すべての矛盾を生む」
 ということになるのだ。
 確かに、
「次の瞬間という歯車が一つでも狂ったら、世の中すべてが変わってしまうという発想は、結構大きいのかも知れない」
 と言えるだろう、
 しかし、だからと言って、
「必ずそうなるとは限らない」
 ということも言えるわけで、そこで考えられるのが、
「夢」
 という発想であった。
「かつて、どこかで見たことがあるような気がする」
 という現象を、
「デジャブ現象」
 というであろう。
 この現象は、今までに、何度も感じた人が結構いるだろう。
「初めてきたはずなのに、以前にも、どこかで見たことがある」
 というような感情である。
「ひょっとすると、どこかに飾ってあった絵を見ただけなのかも知れない」
 しかし、それがハッキリと思い出せないのだ。
 そんな時、
「夢に出てきたのかも知れないな」
 と感じることもあるだろう。
 夢というのは、
「意識して見ることができるものでもない」
 また、
「夢を見たとしても、目が覚めるにしたがって、忘れていくものだ」
 と感じたり、あるいは、
「夢を見るというのは、本当に覚えている夢しか、本当は見ていないのかも知れない」
 ともいえるだろう。
 忘れる夢というのも、
「本当は毎回夢を見ているものなのか、それとも、夢を見るというのは、毎回ではないのだが、その中でも覚えている夢と、そうでない夢とがある」
 という考えである。
 これは、ハッキリと分かっていることなのかどうなのか、詳しくは分からないが、ゆずはとしては、
「毎日、夢を見ている」
 と思っている。
 その証拠が、
「目が覚める時、毎回、あれだけ、目が覚めるまでに、スッキリとしない時間を過ごすのだ。それが、1分で目が覚めることもあれば、5分以上かかることもある。それは見た夢によってその、夢の深さというものがあって、それが、目を覚ますまでの時間に影響している」
 という考えであった。
 だから、
「夢は毎回見ていて、夢の中の世界から、現実に引き戻される時が、あのハッキリとしない意識なのか、無意識なのかのあの時間は、夢に落ちる時も、きっと、その世界が、夢ではないという意識をさせるために、睡眠という、人間には必ず必要な時間を与えているのではないだろうか?」
 というのは、
「基本的に、人間は毎日寝るものだ」
 と考えられるのは、
「寝るということは、夢を見るためのものだ」
 と言えるのではないだろうか?
 そんな夢を見る中で、
「覚えている夢」
 と、
「覚えていない」
 つまり、
「忘れてしまう夢」
 とがあるというのはどういうことなのだろうか?
 忘れてしまう夢というのを考えた時、それは、毎日見ているので、
「覚えている必要はない」
 ともいえるのかも知れない。
 だから、毎日見ていることで、同じような夢でも、毎回同じとは限らない。本当は同じ夢なのに、違う夢だと思うことで、
「似て非なる夢」
 というのを見ているのかも知れない。
 だから、
「前にも同じような夢を見た」
 というデジャブという意識を持つのかも知れない。
 そう考えるのは、おかしなことなのだろうか?
 同じ夢を見ていても、
「まったく同じ夢というわけではない」
 と考えると、その中に、時々、
「同じ夢ではない」
 と感じさせるものがあり、それが、たまに、
「覚えている夢」
 ということで、意識させるのかも知れない。
 あるいは、もう一つの考えとして。
「夢というものが、時系列の沿って見ているものなのかも知れない」
 という考えだ。
 この時系列というのは、実は同じ夢を見ているのだが、その夢というのは、
「前回の続きを見ているという考え方」
 であって、本来であれば、
「同じ夢の続きを見ることはできない」
 という夢の中の大前提と思えるようなことを感じていると考えると、
「続きを見てしまったことで、自分が感じている夢のタブーを犯してしまった」
 と考えることで、目が覚めるにしたがって、自分の中で、
「ありえない夢を見てしまった」
 として、夢を信じられなくなるのではないだろうか?
 そう思うと、
「夢というのは、かなりの縛りというものがあるのではないか?」
 と考えられる。
 しかし、この縛りというのは、
「皆同じものなのだろうか?」
 と考えてしまう。
 たくさん、縛りがある中で、中には、皆と同じものがあるのだろうが、
「実際にどれだけの縛りがあって、どれだけのものを他の人が感じているか?」
 と考えるだろう。
「そもそも、他の人は縛りなどというものを感じているのだろうか? 自分だって、こうやって考えるから、感じているように思うのであって、本当に、縛りがあるかどうかなど、分かりっこないのだ」
 と思うのだった。
 その証拠に、
作品名:誰が一番得をするか? 作家名:森本晃次