誰が一番得をするか?
しかし、結果から見るということは、その事件にかかわることに範囲が限られるので、どうしても、全体的に勉強しようとすると、
「時系列で見る」
ということしかないのである。
時系列で見るということは、視野がどうしても狭くなる。同じ時代にまったく別のところで、まったく関係のない事件があっても、どうしても、大きな事件であったり、その後の歴史に、大きな何かをもたらしたところだけがクローズアップされる。実際に、もう一つの事件も、本当は、歴史に大いなる影響を与えていたのかも知れないが、それを気づかないままに歴史が動いてしまっていることもあるだろう。
そう、本来であれば、
「結論から、その事件を見直してみる」
つまり、歴史をさかのぼって見さえすれば、それが、歴史上重要な事件であるということが分かるのだが、なかなか、そういう研究をする人がいなかった。
今では、そういう研究をする人も増えてきたので、実際には、そういう研究もされていると、理解するのだった。
「時代をさかのぼる」
それとも、
「時系列で見る」
歴史にとって、その二つは、切っても切り離せない関係なのではないだろうか?
夢と時系列
夢を最近見ていなかったことに気付いた、ゆずはだったが、昨日、久しぶりに夢を見た気がした。
「最近、歴史について考えるようになったからだろうか?」
と思うのだが、ちょうど今朝見た夢というのは、珍しく、
「覚えている」
という夢だった。
夢で覚えているのは、ほとんどない。
特に、長い夢と感じるものは、
「夢を見たという意識はあるのだが、気が付けば忘れてしまっているというような夢であり、目が覚めるにしたがって忘れていく」
ということを自覚できるものであった。
「夢というのは、目が覚める寸前の一瞬に見るものだ」
というではないか。
確かにその通りだと、自分で思う。だから、
「目が覚めるにしたがって忘れていく」
と思うのであり、では、
「忘れずに覚えている」
というのは、
「それだけ印象的な夢だった」
ということなのか。
「忘れることができないほどに、覚えていることができるというメカニズムにしたがった夢だ」
ということになるのだろう。
そういう意味でインパクトの強い、印象的な夢というのは、
「それだけ、怖い夢」
ということになるような気がする。
そして、怖い夢ほど、
「信じられない」
ということで、自分の中で、
「夢であってほしい」
という印象から、
「忘れることができないというメカニズムとなっている」
ということではないかと思うのだった。
夢の中には、
「子供の頃の遠い昔の夢」
であったり、
「そんな昔から、時系列で、今に至るまでの数十年という期間を、一気に見たような記憶の中で、ただ、夢の中では何らおかしな感覚がなく、目が覚めるにしたがって、これは夢でなければ信じられないことだと思えてくるのだろう」
というような理屈っぽい夢を見たこともあったりした。
普通、
「数十年などという期間を夢に見ると、一気に、その時々の印象が薄くなってしまい、覚えていることなどできるはずもないのだが、それを、都合よく、覚えているインパクトの強いところを捉えてさえいれば、そこだけ見たと思えるのだろう」
それが、自分の中にある、
「記憶」
というものであるのだが、その記憶というのは、無限にあるものだろう。
何しろ、数十年間、意識として持ったものを、ほとんど漏れなく格納しているのだから、それこそ、どこかのアニメにあったような、
「異次元のポケット」
というものを、人間は、記憶という形で持っているのかも知れない。
そう考えると、
「あのアニメも、油断できないもの」
ということで、考えるべきものではないだろうか?
と言えるのだった。
夢を見ている中で、一つ共通性のようなものを感じた。
「覚えている夢というのは、怖い夢が多い気がするな」
というものであった。
それも、その怖さというのも、
「恐ろしい」
というだけではなく、自分の中で、
「どうしても、理屈を考えてしまう」
という意味で、その話が、
「オカルト」
であったり、
「ホラー」
というものだと限定できないという気がしたのだ。
「だったら、ジャンルというものは関係ないのか?」
と考えていると、実際にはそうではなく、ただ。
「理屈として理解できないから、怖いと感じ、それを夢に見てしまうのではないか?」
ということを考えているということであった。
つまりは、その中で、
「他のジャンル」
というものが、
「解決できることにつながるのではないか?」
と考えると、思いついたのが、
「ミステリー」
と、
「SF」
というジャンルであった。
ミステリーというのは、謎があり、それを解決するためのものだと考えられるが、現代の小説界でいうミステリーというのは、昔からの、
「探偵小説」
あるいは、
「推理小説」
と呼ばれるものである。
ただ、戦前から存在している探偵小説というものから、現在の、
「ホラー」
であったり、
「SF」
というものに繋がっているというのも、その一つの考え方だといえるであろう。
探偵小説というものは、2種類に分かれると言われていた。
一つは、
「トリックや、謎解き、そして、天才的な探偵の活躍などによるもの」
というものを主題とした、
「本格派探偵小説」
と呼ばれるもの。
さらに、
「それ以外」
ということで命名されたのが、
「変格派探偵小説」
と呼ばれるものであった。
変格派というものには、
「猟奇殺人」
であったり、
「耽美主義的な犯罪」
ということで、犯罪を、芸術の一環として見る、その実、変質者による犯罪だったりするという、一種の究極な探偵小説というものを、
「変格派探偵小説」
という、
「狭義の意味」
での作品と捉えることもできる。
夢というのを、そういう意味で捉えるということも考えられるのだ。
また、それ以外としては、
「SF的な考え方もできるだろう」
「SF的な発想」
というと、まずは、
「時間の感覚だ」
と言ってもいいだろう。
時間の感覚といわれて、最初に考えるのは、
「タイムマシン」
という発想ではないだろうか?
タイムマシンというのは、今まで、いろいろ考えられてきたが、SFやアニメの世界では実現しても、実際にはありえない。
その理由となるものが、
「タイムパラドックス」
という発想である。
そのタイムパラドックスというのは、タイムマシンというものを使って、
「過去に行く」
という発想からであった。
というのは、過去に行くということは、今までの歴史をさかのぼることになる。
つまりは、
「一度確定した歴史を変えてしまう」
ということになるのだ。
過去の戻って、何にも触れずに何にも関わらないということであれば、何ら問題はないのだろうが、そんなことができるわけはない。透明人間で、相手に触れることができないということであれば、問題ないのだが、そうでなければ、
「歴史を変えてしまう」
作品名:誰が一番得をするか? 作家名:森本晃次