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誰が一番得をするか?

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 と呼ばれる事件の一番大きいものとすれば、この、
「本能寺の変」
 と言われるものであろう。
 後もいくつかあるのだが、まず、古代史のミステリーとして挙げられるのが、
「乙巳の変」
 ではないだろうか?
 これは、
「中大兄皇子と中臣鎌足の二人が画策し、当時の一大勢力であった蘇我氏を滅ぼした、軍事クーデターである」
 というもので、いわゆる、
「大化の改新」
 につながるものなので、一緒にされて、このクーデターまでもが、
「大化の改新」
 と呼ばれるようになっているのだ。
 ただ、前述の事実にも、変わりはなく、本能寺の変のような、
「黒幕説」
 というものは存在しない。
 しかし、
「事実として表に出てきたものが果たして真実なのか?」
 ということなのである。
 要するに、
「実際に、歴史の授業などで教えられてきたことが、本当のことなのだろうか?」
 ということが問題なのだ。
 つまりは、
「動機の問題」
 というものが一番大きかった。
 一般的に言われているのは、
「精力を持ってきた蘇我氏が、いずれは、皇室をも上回り、天下を握ろうと画策をしていた」
 ということが理由だとされてきた。
 しかし、その後は、そんな証拠が見つかったわけでもなく、クーデターは成功し、蘇我氏は滅亡してしまったことで、曖昧になってしまった。
だが、最近の研究では、
「蘇我氏は、皇室の転覆を狙っていたわけではなく、日本を仏教国家にし、朝鮮半島との貿易も、
「対等外交」
 を考えていた。
 しかし、それに反発したのが、中臣鎌足だった。
 確かに蘇我氏は、
「皇位継承問題」
 に対して口を出したり、
「聖徳太子の一族を攻め滅ぼしたり」
 と、いろいろな目立つことをしていたので、そのように写ったのかもしれないが、それを、
「今度狙われるのは、自分だ」
 という警戒心を強くしていた中大兄皇子だったのを、中臣鎌足が狙ったのかも知れない。
 それを裏付けることとして、
「実際のクーデターの計画では、雇い入れた刺客二人が、先に飛び出すことになっていたのだが、怖気づいて飛び出さない」
 というアクシデントが起こった。
 そこで痺れを切らせた中大兄皇子が飛び出して、初めて、クーデターが始まったのだ。
 それだけ、中大兄皇子が、危機感を持っていたのかということで、
「殺さなければ、殺される」
 と思い込んでいた証拠だろう。
 その性格を中臣鎌足がうまく利用したといえるかも知れない。
 ということは、この事件は、
「力を持ちすぎた蘇我氏を滅ぼして、自分たちの政権を築こうとした、中臣鎌足による、嫉妬と、野心が、このような形になった」
 ということである。
 実際に、
「大化の改新」
 となると、それまでの蘇我氏の政策とはまったく正反対のことを始め、特に、朝鮮半島に対して、ちょうど、百済が、
「新羅、高句麗の連合軍」
 の侵略を受け、日本に助けを求めてきたのだ。
 それを二人は、
「助けよう」
 ということで、朝鮮半島に軍勢を送ったが、大敗を喫してしまったことで、
「朝鮮半島から攻めてこられるかも知れない」
 という危機を招いたのだ。
 実際に攻めてくることはなかったが、それでも危機を招いたことに変わりはなく、九州にずっと兵を貼り付けておかなければいけないということになり、諸事情もあるのか、遷都を繰り返し、さらには、自分たちのいうことを聞かない天皇は排除し、自分たちの都合のいい帝を立てるようになった。
 これは、それこそ、
「蘇我氏がやっていたことではないか」
 要するに、
「大化の改新」
 と言っても、結局、やっている悪いことは、蘇我氏と同じではないだろうか?
 それを考えると、
「乙巳の変」
 というクーデター自体が、そもそも何だったのか?
 ということで、だからこそ、
「歴史上のミステリー」
 と言われるのだった。
 これが、動機が、本当に、
「嫉妬と野心」
 からだったら、何が、
「改新」
 と言えるのだろう。
 昔は、蘇我氏は、天皇家を操ろうとした悪党だということであったが、そもそも、これは、
「その時の権力者によっての、歴史の改ざん」
 ということと、結びついているのかも知れない。
 さて、今の基本的な教育理論を組みたてたのが、明治政府によるものであった。当時の大日本帝国というものの、政治体制というのは、
「立憲君主国」
 であった。
「君主」
 というのが誰だ?
 ということになると、それは言わずと知れた、天皇である。
 つまり、このクーデターは、
「天皇家への転覆を狙った悪である蘇我氏を滅ぼした」
 ということで、
「正義の物語」
 として、教育を受け、その悪をすべて、蘇我氏に擦り付けたということになるのだ。
 だから、蘇我氏というものは、
「悪でなければいけない」
 ということで、教育を受け、
「日本というのは、神の国」
 ということになるのであった。
 本来なら、敗戦とともに、教育も変わっていくべきであったのかも知れないが、占領国が、
「天皇制」
 というものを、
「天皇は国の象徴である」
 ということで残したので、教育方針も、変わることはなかった。
 ただ、最近の発掘や研究から、今まで受けてきた教育が違っていたということが、動かぬ証拠として出てきたりして、昭和の頃までに言われてきた、
「歴史の定説」
 と言われるものが、かなり変わってきたと言ってもいいだろう。
 そんなことを考えていると、
「時代のいろいろ変わってきた」
 今では、蘇我氏に対しての、汚名返上も行われていて、
「蘇我氏は決して、悪ではない」
 と叫ばれることで、いよいよ、中臣鎌足による、
「嫉妬と野心」
 から来ている。
 という風に言われるようになってきた。
 そもそも、中臣鎌足というのは、平安時代に栄華をほしいままにして、さらに目立たん遭いまでも、その後も子孫は、天皇の側近として天皇家を支えてきたと言われる、
「藤原摂関家」
 の祖であるのだ。
 そういう意味で、天皇制が続いてきた中で、衰えたとはいえ、まだまだ力があった、
「藤原摂関家」
 である、
 鎌足を悪くいうことは、この藤原氏を批判することになる、ひいては、日本における天皇制の根幹を揺るがすことになるので、さすがに、中臣鎌足を悪者にすることはできないのだった。
 だから、歴史としては、
「中臣鎌足は、天皇制尊属に力を尽くした英雄」
 ということで、祀り上げられたのだろう。
 ただ、これも、
「歴史の真実」
 としては、薄い部分であったが、少なくとも、
「悪くいうことはできない」
 ということで、明治政府は、大化の改新を正当化するしかなかったのだ。
「歴史の真実」
 というのがどこにあるか?
 ということは正直、理解するのは難しい。
 だから一番の手段としては、
「その前後の歴史を正しく把握すること」
 である、
 ということは、もっといえば、
「歴史を点ではなく、線で見る」
 ということになる、
 そうなると、
「歴史を結果から見るのか?」
 それとも、
「歴史は時系列で見る」
 ということになるのか?
 である。
作品名:誰が一番得をするか? 作家名:森本晃次