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バタフライの三すくみ

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 しかし、ここでデメリットを、どうして考えないというのだろう?
 たとえば、
「直線にするために、それまで在来線として通っていて、それなりに賑やかだったところは、特急もなくなり、挙句の果てに、第三セクターなどということになると、観光客が来るはずもない。どこかの駅からバスで来るとしても、だったら、
「せっかく新幹線ができたのだから、新幹線沿いの観光地にいく」
 ということになるだろう。
 そうなると、その場所は、寂れてしまうということになるのは、必定なのだ。
 しかも、
「工事に掛かった費用は、その土地の住民の税金になるのだ」
 ということである。
 市県民税が高くなるということだが、これは、自治体が、金を出すということだ。
 ただ、もっと言えば、新幹線開業ということになると、
「国の補助も結構ある」
 しかし、この、
「国の補助」
 というのはどういうことか?
 国の財産というのは、基本的に、血税である。
 ということになると、新幹線が通る街の住民からすれば、
「まずは国に取られた税と、さらに、自分たちの自治体に取られる税とで、二重課税ということになるのだ」
 だから、新幹線を引くというと、必ずあるのが、
「住民による反対運動」
 である。
 せっかく今賑わっているところとしては、新幹線がもし、別のところを走ったり、線上にあっても、
「駅がなかったりして、通過してしまう」
 ということであれば、当然、反対に回るはずだ。
 さらに、今利用している人としては、第三セクターになどなったら、通勤通学として、電車が機能しなくなったら、完全に死活問題となるだろう。
 そんなことを考えていると、
「新幹線なんかいらない」
 ということになるのだ。
 税だって、工事費の負担だけであれば、すぐに終わるかも知れないが、その維持費などを考えると、永遠に続いていくものだったりする。
 完全に、鉄道会社は、
「儲かるところ以外は、すぐに切り捨てていくのだ」
 ということになると、
「どうにも、うまくいかないに違いない」
 ということは目に見えているのだった。
 さて、そんなインフラ整備というのも、結局は、
「何かのイベント」
 のためか、
「地元の利益のため」
 なのだろうが、その末路がどうなるのか>
 本当に、皆分かっているのか?
 ということである。
 特に、バブル時期から、バブルが弾けるくらいまでの間に、どれほどのものが作られ、消えていったか?
 例えば、テーマパークなどがそうであっただろう。
 ほとんどの県に、いくつものテーマパークのようなものができた。
 最初は、
「地元名産や、地元の祭りなどのテーマパークが多かったが、そのうちに、
「地元とはまったく関係のないもの」
 などが作られたりした。
「宇宙をテーマにしたもの」
「アニメキャラクターをテーマにしたもの」
 そんなものが、遊園地と一緒になって、できたりしたのだ。
 バブルの時代などは、
「事業を拡大すればするほど、いくらでも、儲かる」
 という時代だったのだ。
 そういう意味で、建設ラッシュだったのは、
「空港」
 であろう。
 もちろん、地元の反対というのもたくさんあったはずなのだが、それだけでなく、その反面、
「地元の誇り」
 あるいは、
「他のライバル関係にあるところとの、意地の張り合い」
 ということでもあったのだ。
「他の県には、皆空港があるのに、自分の県にはない」
 という理由だけで、空港をつくったとしても、
「本当にその需要を考えてのことだろうか?」
 ということである。
 実際に、
「隣の県に、日本でも有数の、空港があるのだから、何もわざわざ、便数の少ない地元の空港に行かなければいけないというのか?」
 ということであった。
「高速バスなら、1時間もかからずにいける隣の空港、しかし、地元の空港は、、バスでも同じくらい、だったら、自家用車で?」
 ということになると、そこで考えたのが、
「駐車場無料」
 ということであった。
 だったら、
「こっちの空港を利用してくれるだろう?」
 と思っていたようだが、そうは甘くはない。
 出発する時はいいが、出張にしろ、旅行にしろ、帰りの便は予定が立たないということで考えると、帰りは、便数の多い空港に帰ればいいと思っても、
「車は、乗った空港のところにしかない」
 となるのだ。
 便数が圧倒的に少ないので、
「一便乗り過ごすと、次の便までどれだけ待たなければいけないか?
 ということになると、
「最初から、大きな空港からくればよかった」
 ということになるのだ。
 そうなると、
「地元の空港の存在意義がまったくなくなってしまう」
 ということになるのだ。
 そんな空港が、バブルの時代にどれだけ作られたか?
 開業しているだけで、赤字ではあるが、いまさら、
「だったら、潰せばいい」
 というわけにもいかないのだった。
「盛大なムダ遣い」
 ということになり、
「実際にそのことを思い知ったのは、バブルが弾けてから」
 ということになったのだ。
 空港は、そういう意味では、新幹線と同じ、
「インフラ」
 であるが、事情という意味では、大いに違う。
 贅沢という意味でいえば、
「空港」
 ということになるが、
「生活に密着している」
 ということになるのは、
「新幹線の方」
 だといえるだろう。
 バブルが弾けてからというもの、時代は、コンピュータの時代に入っていった。
「人件費の節減」
 という意味でも、今まで人海戦術で行っていたことを、コンピュータであれば、すぐにできてしまうということで、
「高度な知識や経験がなくとも、パソコン操作ができれば、事務的な仕事はこなせる」
 ということである。
 学校でパソコンの基礎くらいは教えるようになったので、就職には、
「ワープロや表計算ソフトができて当たり前」
 ということになっている。
 そうなると時代は、責任を負わせる人は一人だけにして、
「後は、パートや派遣社員に、やらせる」
 という時代がやってきたのだった。
 そうなると、事務的な仕事はパートや派遣社員に、そして、
「責任が伴うような仕事」
 あるいは、
「苦情係であったり」
 などを社員が行う
 ということになるのだ。
 しかも、派遣やパートが基本的に、
「定時までで、残業はさせない」
 ということであると、残った仕事で、その日のうちに終わら差なければいけない仕事は、正社員に任されることになる。
 そうなると、正社員の仕事はどんどん増えていき、責任も大きなものになってくる。
 しかも、
「残業はしない」
  ということになっている場合、
「できませんでした」
 というのは、許されないとなれば、
「一人で、こっそりと、残業をしていないことにして、終わらせるしかないではないか?」
 しかも、途中から、
「個人情報保護」
 というものが言われ始めると、
「仕事をうちい持って帰る」
 ということもできなくなった。
「もし、途中で、資料の入ったカバン、パソコンの入ったカバンを置き忘れたり、さらには盗まれでもしたら」
 と考えると、恐ろしくてできないだろう。
作品名:バタフライの三すくみ 作家名:森本晃次