小説が読める!投稿できる!小説家(novelist)の小説投稿コミュニティ!

二次創作小説 https://2.novelist.jp/ | 官能小説 https://r18.novelist.jp/
オンライン小説投稿サイト「novelist.jp(ノベリスト・ジェイピー)」

バタフライの三すくみ

INDEX|4ページ/19ページ|

次のページ前のページ
 

 しかし、今の教育がどこまで教えているのか、確かにそんな諸問題は、教科書に乗ったりもしているのだろうが、実際に、そこにどれだけの時間が割かれるというのか、そもそも、教育問題は、そのカリキュラムがどんどん変わってきているので、どこまでが問題なのか? ということでもある。
 たとえば、高度成長時代を支えてきたものによって、市民生活は安定してきたともいえるだろうが、それによって、起こった弊害も、決しておろそかにできる問題ではない。
 特に、公害問題などは、深刻であった。
「四大公害訴訟」
 などと言われるものはひどかった。
 もちろん、それ以外にも、
「カネミ油症事件」
 あるいは、
「森永ヒ素ミルク事件」
 なども、
「四大公害訴訟」
 に匹敵するのもので、その悪質なのは、
「自分たちが出す、工業廃水に因果関係があるかも知れない」
 と言われながらも、それでも、垂れ流し続けたという、
「わかっていながらのその行動は、許されるものではないはずだった」
 と言えるだろう。
 しかも、裁判が継続している間も、被害者が増えていて、数十年経っても、解決しないという泥沼の状態になっていた。
 いくら、
「裁判には時間が掛かる」
 といっても、ここまでひどい状態が続いているというのは、許されることなのだろうか?
 そもそも、何かのイベントを、国家ぐるみ、あるいは、世界レベルで行おうとすると、そのインフラを整えたりするのに、一時的な、景気は伸びることだろう。
「経済効果は、数百億円」
 などという試算が盛り込まれるが、それは一体何に対してのモノなのか?
 と言いたい。
 例えば、4年に一度開催されるオリンピックなどであるが、確かに最初は、インフラ整備などで、公共事業が活性化され、一時的な失業率は減るだろう。
 しかし、実際にオリンピックを行い、終わってしまうとどうだろう?
 雇い入れた人がいらなくなる。そして、オリンピックのために、巨額の費用を使って建設したスポーツ施設も、最初は見積りでは、かなり大丈夫な状態だったのだろうが、実際にやってみると、
「結果として、誰も使わない」
 ということになり、スタンドなどは、日々が入っていた李、草が生えてきたりということである。
 しかも、維持費だけでもかなりのものだ。
 維持するための、イベントもほとんど期待できないので、まったくの赤字である。その他の施設もどうなのだろうか?
 ホテルや施設はほとんど誰も利用しない。
 ホテルなどは、オリンピック期間中だったから、盛況だっただけで、終わってしまえば、誰も見向きもしないだろう。
 そこから、どこかの観光地は遠いし、誰が、利用するというのだろう。
 それを考えると、
「赤字以外の何者でもない」
 ということだ。
 さらに、問題は、オリンピック前に行ったことが問題になっている。
「外国からも人がやってくるから、外観上ふさわしくないものは、規制を厳しくする」
 というものであった。
 例えば、性風俗がなど、
「外国からの人たちの目障りになる」
 などということで、規制を掛けられる。
 名前も今までの業種として使えなくなり、嫌でも違う名前にして、その業種だけ、他の地域を名前が違っているということも、普通にあったりするのだ。
 もっとも、地域によって、特殊な名前のものもあるのだが、名前というよりも、昔は普通の商店街であり、
「郊外に大規模な商業施設ができたことで、この街は完全に寂れた」
 ということで、
「じゃあ、どういう街がいいのか?」
 と考えた時、
「風俗街としての誘致」
 ということを考えた。
「スナックやバーなどの飲み屋だったり、キャバクラや、ピンサロのような、女の子を表に出したお店。さらには、性風俗関係のお店」
 などである。
 そもそも、ソープなどの特殊浴場に関しては、条例で作ることができる場所は決まっていて、しかも、風営法では、
「新たな新規参入はできない」
 ということになっているので、ソープを新規開店というわけにはいかないのだった。
 だから、
「ソープ以外の一大風俗街が出来上がった」
 のだが、オリンピックのために、
「外国からの人の外観上の問題」
 ということから、せっかく、やっと商店街が賑わう方法を見つけ、これからという時、
「オリンピック招致」
 などという彼らにとっては、
「死活問題」
 となることで、どうしようもない状態に陥ってしまったのだ。
 あれだけ夜になると、店が一斉に開店していたのに、1年もしないうちに、店はどんどんとなくなっていき、完全なゴーストタウンに変わってしまっていたのだった。
 これほど悲惨なものはない。
「そう、オリンピック招致というのは、その土地の風俗、産業、文化というものに対し、土足で上がり込み、何も言わずに、破壊して去っていく」
 という実に極悪なことであった。
「もうこんな思いはしたくない」
 といって、街を捨てていく人も後を絶えなかったことであろう。

                 地元の損得

「オリンピックなどのイベントは、確かに、一時期の経済効果をもたらすかも知れないが、その期間以外での損失や、一つの街を潰してしまうという弊害を考えると、本当に、それでいいのだろうか?」
 と考えられる。
 特にオリンピックが終わった後の、施設の再利用を真剣に考えないと、せっかく金を使って作ったものが、そこで終わりになってしまう。
 そして、結局、経済効果の恩恵を受けるはずの、その街の人間たちに、残像施設の維持費を負担させるということを考えると、ロクなことにならないだろう。
 今までのオリンピックを考えると、東京の前のリオでも、結局、施設は廃墟となって、その後を利用するところもなかったりする。もっというと、ギリシャなど最悪だったではないか?
 もちろん、オリンピックだけがその理由というわけではないが、アテネオリンピックをやったため、何と、
「国家が破綻してしまった」
 といってもいいだろう。
 それを考えると、
「大きなイベントは、後に禍根を残すことになる」
 といってもいい。
 また、インフラ整備などもそうである。
 たとえば、
「新幹線の延伸」
 などというのもそれであり、
 そもそも、
「そんなところに新幹線はいらない」
 と思うようなところにも作るのだ。
 基本的に新幹線をつくると、今までの特急は廃止になり、しかも、在来線でも、赤字路線は、廃止となるか、団参セクターとなるのだ。
 もっといえば、新幹線というと、スピードが出るために、基本、直線である。そうなると、海岸線などを、クネクネ走っていた路線に新幹線は作らない。
「トンネルをつくってそこを通してでも、直線にする」
 ということにしないと、
「新幹線を作っても、そんなに便利ではない」
 ということになる。
「特急電車でも、二時間半ほどで行くところに新幹線をつくる」
 といって今。途中まで開業しているところがあるが、
「実際に新幹線を作っても、結局、最後には、20分くらいしか変わらない」
 ということになるのだ。
 新幹線をつくると、確かに、新幹線が停車する駅は、少なからずの経済効果はあるだろう。
作品名:バタフライの三すくみ 作家名:森本晃次