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バタフライの三すくみ

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 そんなになるまで、誰も分からなかったのか、それとも、分かっていて、隠蔽できるとでも思っていたのか。ひょっとして、もう少し早く事実が露呈していれば、あそこまで大きな問題にならなかったかも知れない。
 念と言っても、国民が、平等に、憲法に定められた、
「国民の義務」
 である。
「勤労によって得たお金を、税金として国に治めているのに、それは年金として、老後の生活を支えるための、一種の積立貯金のようなものだ」
 しかも、それは、納めた全額を使えるわけではなく、国民は、三大義務のうちの二大義務をまっとうしているのに、今度は、
「老後の生活のための貯え」
 として使えるはずの年金という権利を行使できないのだ。
「義務を果たしているから、権利を主張できる」
 ということのはずなのに、
「義務は果たさせて、今度は当たり前の権利」
 を主張しようとすると、
「すみません。自分たちのずさんな長年の管理が、年金を消してしまい、年金を渡すことができなくなってしまいました」
 ということが許されるというのだろうか?
 それこそ、
「詐欺ではないだろうか?」
 というのも、
 詐欺集団による、
「金が儲かりまっせ」
 という甘い言葉に乗せられて、
「よっし、じゃあ、投資しよう」
 といって、お金を出せば、実はそれが詐欺で、出した金が返ってこないというのが、
「詐欺」
 というものである。
 しかも、この年金に関しては、
「国民の義務」
 として、憲法上果たさなければいけない義務なのだ。
 それを国民は真面目ん果たして。定年を迎えると、やっと、年金制度というもので、年金暮らしにおいての、
「悠々自適」
 ともいえる暮らしができるというものだ。
 しかし、実際には、形の上では、
「国家ぐるみで、国民に対して詐欺を行っていた」
 ということになる。
 義務を果たしている国民に対して、政府はそれに報いるどころか、国民を欺き、今度はその年金確保のために、
「年金支給年齢を引き上げる」
 ということをしようとしている。
 それが引いては、国民に対し、
「死ぬまで働け」
 ということになるのだ。
 それも、
「自分たちが年金を消した」
 ということで、もっと悪びれてもいいはずなのに、まるで、命令であるかのごろく、そう、自分たちのミスを棚に上げて、国民を苦しめようとしているだけなのだ。
「消えた年金問題」
 の時は、さすがに国民も気付いたのか、
「政権交代」
 というものが起こった。
 実際にその時の野党には勢いがあり、
「今の腐った政府に比べれば、どれほどマシか」
 ということであった。
 しかし、実際にやらせてみると、ロクなことはない。
「国民の期待を裏切り、最後には、自然災害で苦しんでいる人を慰問にいったはずが、喧嘩してしまうという始末」
 であった。
 そんな政府を見ると、
「さすがに前の政府がよかったか」
 ということで、せっかく政権交代したのに、元に戻ってしまったということだ。
 これは、
「大政奉還」
 を行った徳川慶喜公は、できなかったが、その考えが、150年ほど経った、平成の世の中で現実となったというわけだ。
「今まで、政治運営の経験のない野党に、政治などできるはずがない。すぐに白旗を挙げて、政権は戻ってくる」
 というのが、まんまと嵌ったのだ。
 結局、一期、数年で、また、あの
「年金を消した」
 という政府が復活してきたのである。
 その後は、もう悲惨であり、
「ソーリの山ほどある疑惑」
 というものを野党は攻撃するが、結局、口でいうだけで、ただ、犬が遠吠えをしているだけという、まるで、
「国会劇場」
 という、
「筋書のある政府がごまかせるシナリオが最初から出来上がっているという、一種の出来レースで、茶を濁しているだけのことだ」
 というのであった。
 本当に、この時代の政府は、
「腐っている」
 といっておいいだろう。
 今も、
「世界的なパンデミックの対策への失敗」
 あるいは、
「国家が勝手に、戦争している他国に、垂れ流すかのように、血税を支援金として送っているが、今の日本は、パンデミックによる国民生活の疲弊。そして、明日の生活もままならないという人がたくさんいるのに、それを放っておいて、さらには、物価高騰を引き起こしているのが、戦争継続であると分かっているくせに、戦争継続させようと、今度は武器まで供与しようとしている政府、いや。
「外国にいい顔をしたい」
 という理由だけで、国民の血税と、自分の名誉欲のために使っている、このソーリを、
「詐欺師」
 だといえるのではないだろうか?
「恥を知れ」
 といいたいくらいである。
 だからといって、対抗馬になるような人間が、政府与党にいるわけではない。こんな、総裁選の公約を、簡単に破るやつである。それに気づいたのは、
「ソーリになって最初の仕事である、組閣の時点で、その化けの皮は剥がれているのだった」
 というのも、
「自分が疑惑を晴らす」
 と言ったくせに、その、
「疑惑塗れのそのソーリ」
 の息のかかった連中ばかりが、大臣に任命されているだけではないか。
 そう考えると、
「ああ、今度のソーリは、元ソーリの傀儡政権か?」
 ということになるのだった。
 口では恰好いいことを言っているが、
「元ソーリの後ろ盾がなければ、何もできないということなのか?」
 ということであった。
 それでも、ソーリをやっているのは、
「こんなソーリであっても、誰もそれに代わる人がいない」
 ということで、
「総裁選で雌雄を決しても、しょせん同じ党だから、結局何も変わらない」
 といってもいいだろう。
 何かを変えるには、前の時のように
「政権交代」
 というものをするしかないのだった。
 しかし、政権交代をしようとするには、今の与党はあまりにも情けない。
 かつての、野党第一党は、すでに、分裂を繰り返し、その元が何であったのかということも分からないくらいになっていて、結果、
「どうしようもない団体」
 になっているのだ。
 確かに野党というのは、与党のまずい政策を自分たちの主張を元に、攻め立てるものであるが、実際には、攻め立てて、批判をするのだが、言葉が軽いのだ。
 なぜかというと、言い方は、
「ただのオウム返しで、それについて、何ら自分たちの意見を言わない。だから、批判をすれば出てくるはずの、代替え案がまったく出てこない」
 ということになるのだ。
 そんな政府をいかに活用するか?
 ということを考えれば、
「とにかく、国民が納得いくような意見を、ズバッと出さなければいけないものを、何も言えずに、批判だけするのなら、かつての、1期で終わったその時のことが頭をもたげ、結果、野党はもうダメだと言わせることになるだけだ」
 というのではないだろうか。
 貸本屋などがあった時代というと、確かに決して、世間は、豊かだったわけではない。いつからなのか、ほしいものは、基本的にお金を出せば、手に入るという時代になり、一般市民の生活水神は確かに上がった。
 しかし、そのために、浮き彫りになってきた社会問題もたくさんあっただろう。
作品名:バタフライの三すくみ 作家名:森本晃次