バタフライの三すくみ
「カラーテレビも、白黒があるのだから、何も買い替えるまでもないだろう」
と言えるだろう。
しかし、子供が学校などで、奥さんが、近所の井戸端会議で、
「車を買った」
などとウワサをすれば、買いたくなるのも、当然のこと、昔であれば、
「ボーナスを使って、月賦で」
などと言っていたが、要するに、分割払いということだ。
もっとも、さらに昔でボーナスや月賦で買うというと、
「背広一着」
などという時代だったのだろう。
そんな時代を昭和という時代で過ごしていくと、その中に、
「マンガブーム」
というのがあった。
マンガというと、戦後などでいえば、
「紙芝居」
などというのが一世を風靡した。
もちろん、テレビもない時代、子供たちが遊んでいる公園に、自転車の荷台に、折り畳み式の紙芝居の台を載せて、ハンチングのような帽子をかぶった、いわゆる、
「紙芝居のおじさん」
というのがやってくる。
子供たちは、それを楽しみにしていて、紙芝居のおじさんの口上を聞くのが結構な楽しみだ。
すべての役を紙芝居のおじさんがやる。男も女の、若者も、年寄りもである。
しかも、ナレーションもおじさんがいうのだ。
そもそも、絵だけなので、ナレーションを入れないと、描写が分からない。ということになると、紙芝居は、それだけの話術と、声量がなければいけないということになる。
「紙芝居は、芸術家の集まり」
といってもいい。
紙芝居のおじさんだけではなく、絵を描く人もシナリオを書く人もいるだろう。
絵を描く人は、それなりに専門家に頼まないと無理だろうが、シナリオなら、漫画家か、それとも、紙芝居のおじさんがストーリーを考える。
そもそも、そんなに儲かるものでもないのだから、人件費をそんなに掛けられない。二人一組くらいがちょうどいい。
紙芝居も、一世を風靡する時代があったのだが、そのうちに。マンガの本というものが出るようになった。
漫画家というものが、作品を書いて、出版社に売り込みにいく。
途中からは、売り込みになんか言っても、編集者は、受け取ってはくれるが、実際にはその原稿は、見られることもなく、基本的に、ゴミ箱にポイである。
これは漫画家に限らず、小説家でも同じことだ。出版社への持ち込みは、素人作家には、それしかないのだ。
マンガにしても、小説にしても、出版社の取材する、
「新人賞」
などというイベントができてからは、持ち込みよりも、
「新人賞を取れるような作品」
ということで、それを目指して書いているのだろう。
しかし、新人賞に応募しても、募集要項の中に。
「審査についてのお問い合わせは、一切お答えできません」
と書かれている。
「これほど、胡散臭いものはない」
ということなのだろうが、それでも、
「新人賞を取らない限り、作家デビューの道はない」
ということである。
持ち込みをしても、どうせ、ゴミ箱に捨てられるだけである。
せめて、もし見てもらえるかも知れないとすれば、
「一度、プロとしてデビューしたり、他社で、出版した経験のある、プロと言えるような人でないと、見てもらうことさえできないだろう」
そんなプロであっても、
「一度デビューしたのに、何らかの理由があって、このようんあ鳴かず飛ばずの状態でいるということは、出版社の方としても、少し腰を引いてしまうことになるだろう」
紙芝居がすたれてきた頃、今度は、街に、
「貸本屋」
というものができてきた。
「本をお金を出して借りるのだ。本は、一度読んだら、あとは本棚にしまわれるか、チリ紙交換に持って行かれるかというところであるが、安く借りるのであれば、需要はある。店の方としても、一冊で何人もが借り手くれるのであれば、一冊売るよりもいいのかも知れない」
ということであった。
実際に、貸本を作っている業者から仕入れてきて、その本に、図書館のように貸出票を造り、それを貼り付けておいて、借りる人がいれば、そこに、日付と名前を書いておくということだったようだ。
今のように、コンピュータ管理ではなかったので、貸主と貸出票によるものだけだったので、
「借りっぱなしで、返しに来ない人だっていただろうに」
と考えるのは、今の人間だからだろうか?
「当時は今ほど、人間が信じられないことはなかった」
ということなのかも知れない。
そうでもなければ、今のように、コンピュータを使っての詐欺だのが横行することはなかっただろうといえるのではないだろうか?
しかも、今の時代は、昔では、
「ただ、気持ち悪い」
と言われていただけのことが、犯罪と認定されているものもたくさんある。
コンプライアンスや、ハラスメントというのもそうであろう。
昔は、まだまだ法も整備されていなかったり、男女差別なども平気であった。
「行き過ぎではないか?」
と思うほど、今では、男女差別になるからと、呼び名を変えたのも、結構ある。
「そこまでせんでも」
と思っている人は作者だけではあるまい。
とにかく、貸本屋などが流行った時代は、そういう意味では平和だったのかも知れない。
ただ、本や雑誌を買う金もなかったという貧しい時代だったということは間違いないだろう。
今だって、そうだ。
「豊かになった」
と言われているが、それはあくまでも、
「平均したら」
ということで、実際には、
「貧富の差が激しくなった」
あるいは、
「格差が大きくなっただけだ」
ということである。
そんな貸本屋が流行った時代、もちろん、パソコンなどというものもない。
そんな時代を知っている人は、ほとんどもう、現役を引退している人がほとんどであろう。
ただ、その人たちは、今では信じられないような、
「悠々自適な生活」
をしている人が多いだろう。
定年が、55歳で、年金も55歳から出た。
あるいは、60歳からしか出ないので、5年間、会社から、定年後の再雇用という形で、年金がもらえるまでを食いつなぐというものだ。
それが、今は5年、先送りになっている。
「定年が、60歳で、年金受給が、基本的には65歳」
同じように、定年後再雇用で、食いつなぐということであった。
しかも、今は、それが、またしても、どんどん、先送りということにされてしまう。
それによって、国民は、国から、
「年金など出せなくなるので、死ぬまで働け」
と言われているようなものだった。
実際に若者の多くは、
「どうせ、俺たちは年金を払ったって、それを使えることはないんだろうな」
と感じ、
「年金を払いたくない」
と思っている人がほとんどだろう。
しかし、普通の企業に入っていると、
「旧天引きなので、しょうがない」
というところであろう。
要するにそれだけ、
「国民は政府を信用していない」
ということだ。
忘れもしない、十数年前に起こった、
「消えた年金問題」
である。
当時の政府の、長年においての、ずさんな管理が、国民が収めた年金が、どこの誰のものなのかということが分からなくなっている。
作品名:バタフライの三すくみ 作家名:森本晃次