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バタフライの三すくみ

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「三すくみ」
 というものは、
「実によくできている」
 と思うのだ。
 三つ巴の時には、それぞれに抑止が効いていると、相手を攻撃はできないものだ。
 例えば、
「核開発競争」
 などを引き合いに出した時、
「二匹のサソリ」
 という言葉を耳にしたことがある。
 つまり、二匹とも、確実に相手を殺せる力を持っている。その二匹を密室の檻の中に閉じ込めた時、戦闘型の性質を持っているとすれば、普通であれば、
「先制攻撃をかますのであろうが、サソリは頭がいいのか、それとも、本能で分かっているのか。自分が動けば確実に相手を殺すことはできるが、それは、逆に、自分の死を意味している」
 ということになるのだ。
 だから、二匹とも動くことができない。お互いに手を出すことができないということに似ているというのだ。
 三すくみの場合は、さらにそこに輪を掛けている。
 例えば、
「ヘビがカエルを飲み込もうとして動けば、ナメクジに近寄らなければいけない。そうなると溶けてしまう可能性が高い」
 ということになる。
 今度は、
「カエルがナメクジを食べようとして、ナメクジに近づくと、今度は、ヘビに飲み込まれてしまう」
 さらに、ナメクジがヘビを溶かそうとすると、カエルに食べられてしまう」
 ということは、こういうことになる。
 もし、自分が先に動いて、自分の方が強い相手を葬ることができたとしよう。
 そうなると、残ったのは、自分が劣勢になっている相手だけだ。
 ということは、結局、自分に強い相手にやられるのを待つだけだということになるのであった。
 ということは、さらにどういうことになるのかというと、
「先制攻撃をしようとして動けば、結局、自分が生き残ることはできない」
 ということになる、
 ここで、法則のようなものが生まれてくるわけで、まずは、
「先に動けば、生き残れない」
 最後に残るのは、
「最初に動いたやつを劣勢に感じている方だ」
 ということになるのだ。
 それが、
「負のスパイラル」
 と結びついて、これらの法則が生まれる
 ということになるのであった。
「これが三すくみの関係」
 というものだが、
「実際に、これを戦法であったり、戦術として用いることはかなり難しいだろう。
 それを考えると、前述のような。
「マイナスにマイナスを掛けるとプラスになる」
 という発想であったり、
「平面では見えないが、立体として、補助線のようなものを一つ引くだけで、見えていなかったものが見えてくる」
 ということになる。
 というものであった。
 それを考えると、いかに、螺旋階段を、真上からだけではなく、正面や側面から、あらゆる方向から見えるようにして、平面でも立体でも。線を引こうとすれば、そこには、同じ、
「無限」
 という言葉でも、
「違う種類のものになる」
 ということになるのであった。
 そんな霧島が、友達の会社に入社したのは、独立リーグのコーチを2年間やって、
「成績不振」
 を理由に、
「来年のコーチは、辞任していただく」
 と、球団から解雇通告を受けたからだった。
 さすがに霧島も、
「そろそろ、潮時か?」
 という意識はあった。
 年齢的には、まだまだなのだろうが、現役を引退してから、1年間の二軍コーチ補佐を経て、2年間の二軍コーチ、そして、退団し、かねてから連絡が来ていた、独立リーグでのコーチを2年やって、年齢としては40歳。
「野球界を去るには早すぎる」
 という意見もあったが、本人としては、
「さらに将来を考えると、この年がちょうどいい」
 ということで、もう、野球界への未練というよりも、将来のことと、
「コーチという職」
 に対しての、意識を考えると、
「ここらが潮時か?」
 と考えたのだ。
 そんな霧島に、
「待ってました」
 とばかりに声を掛けたのが、中学時代からの友達で、秀才畑を歩んできて、今は、起業に成功した、宮崎だったのだ。
 宮崎は、秀才であったが、それだけに限らず、
「いや、それだけになのだろうか。彼の才能は、閃きと思い切りにあったのだ」
 ということであった。
 誰かを抜擢すること、人心諸悪術などに関しては、一定の評価を超えるものがあった。
 人によっては、
「神がかっている」
 という人もいるくらいで、その発想にこそ、
「普通では考えられないような奇抜なものがあり、そのセンスの良さに、舌を巻く人もいた」
 というくらいであった。
「まるで、現代の秀吉のようだ」
 と比喩する人もいたが、秀吉のようなワンマンではなく、
「そのオーラのすごさに、ビックリさせられる:
 というところであろうか。
 そんな霧島を引っ張り、自分の参謀として、任せられると思ったのは、
「霧島が、自分に似ているからだ」
 と思ったからだった。
「思い切りのよさと、その選択に間違いはない」
 と思ったことだった。
「俺なら、こうするな」
 と思うことを、霧島も考えていて、そして、それが必ずいい方に的中する。
 もちろん、的中させるだけの力と素質、そして、何よりも、自分なりの努力ができているということが前提にあるのだ。
 それを考えると、
「霧島という男、参謀が似合っている」
 と思ったのだ。
 しかも、
「似ているといっても、それは性格が似ているという意味で、考え方が一緒だというわけではない」
 さすがに一緒であれば、それ以上の先があるわけではない。政治の世界、
「与党」
 というものに、
「野党」
 という反対勢力、いや、
「監視役」
 というものが存在してこその問題だったのだ。
 それを考えると、
「霧島は、軍師にもなれるし、野党にもなれる」
 ということになるのだ。
 だから、ちょうどいいといってもよかった。
 そんな、ずっと野球畑だったことから、新たな世界んい飛び込むのは、本当は恐ろしいのだが、本当にスター選手か、名監督でもない限り、
「永遠に野球界にいることはできない」
 ということを感じていたのだ。
 実際に、野球界を引退した人で、金がある人は、店を開いたりしている。
 食事処であったり、飲み屋、スナックなどが多いのだが、それも、選手、監督として、それなりに名を残していることが必要だろう。
「かつての名選手の店」
 ということになれば、ファンが集まってくるというもので、中途半端な選手であれば、
「最初は来てくれるかも知れないが、継続してきてくれるという保証は、どこにもないといってもいいだろう」
 ということであった。
 しかし、今の霧島は、有名選手というわけではなかったし、ファンはそれなりにいただろうが、
「いぶし銀」
 であったり、
「あの選手にしかできないキャラ」
 というわけではなかった。
 少なくとも、目立つわけではなかったので、
「ファンになってくれても、すぐに、他の選手に鞍替えするんだろうな」
 ということであった。
 だから、
「自分が、独立リーグのコーチになって、今年引退した」
 ということを知っている人がどれだけいるだろう。
「プロ野球界を去った2年前で、野球生活が終わった」
 と思っている人ばかりであろう。
 だいぶ知名度は上がってきたとは言っても、
「独立リーグ」
作品名:バタフライの三すくみ 作家名:森本晃次