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バタフライの三すくみ

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 ということが使命となっている。一度、
「プロ」
 という世界に入ったのだから、今では、独立リーグという道は残っているが、再度プロとして這い上がってくるというのは、年齢的にも、よほどの活躍をしないと望めないということになるだろう。
 しかし、最初から独立リーグから、プロを目指す人は、
「ドラフトにも罹らず、球団から誘いもなかった選手で、ひょっとすると、スカウトが見逃していただけの、掘り出し物なのかも知れない」
 ということもいえる。
 そんな選手が、いっぱいいるかも知れないが、基本的に、大学を卒業し、社会人野球といっても、最近は、不況のせいもあり、クラブチームが減っていっているというではないか?
 昔の都市対抗野球の賑わいがなくなってきたことで、出てきたのが、
「独立リーグ構想」
 と考えれば、
「この考えは、将来を見据えているといえるだろう。
 そこで、霧島は、独立リーグのコーチを引き受けた。
 その仕事も、今年で、4年目になる。
「コーチ、監督は、選手のように、寿命が短くない。それに、年を重ねれば重ねるほど、円熟味を増してくる」
 というものだ。
「今年は、何人、プロ野球の世界に送り込んだ」
 ということが、モチベーションとなり、それによって、
「この球団に、入団したい」
 という、
「ダイヤの原石」
 が、増えることだろう。
「まるで、予備校だったり、学習塾のような感じだな」
 と思えてきた。
 何といても、
「プロ野球」
 という夢に手が届くかも知れない。
 という感覚と、
「ひょっとすると、以前、プロのスカウトから、ドラフトに指名するかも知れないので、その時はよろしく」
 というくらいの挨拶はあったかも知れない。
 それまでは、
「自分が、まさかプロ野球?」
 というくらいに思っていたのが、よもやのプロのスカウトの来訪で、
「夢が現実になるかも?」
 という淡い期待を経たのだが、実際には、指名されなかった。
 淡い期待を掛けていただけに、
「まあ、こんなものか」
 と口ではいいながらも、悔しい思いはあるだろう。
 ただ、その反面。
「俺くらいの実力で、プロに入ったとしても、エリートの集まり。そんなところで、実際に選手として、やっていけるわけはないよな」
 というものであった。
 高校受験の時に、自分は、スポーツ推薦だから分からなかったが、友達の中には、必死に勉強をして、神学校に入ったやつがいた。
 なるほど、必死に勉強しているのも分かっているので、実際に成績も、クラスでトップクラスから、常連の首席になっていたのだ。
 しかし、受験校は、本当に、
「有名国立大学入学で、全国でも有名なとこrだったのだ」
 そんなところに何とか入学できたのだが、実際には、彼程度の学力では、それこそ、
「レベルが違ったのだ」
 小学生、いや、幼稚園の頃から英才教育を受けてきた、
「筋金入りの秀才」
 と言われる中に、いきなり、中学の頃から勉強を始めた人間が入るのだから、最初から、まったく違っているといっても、無理もないことであろう。
 そんなことを考えると、
「入学した時点で、すでに圧倒された」
 といってもいい。
 特に、入学式の日に、
「秀才どもが雁首並べているのだから、圧倒されないわけはない」
 ということで、その時点で、
「こんな連中の中に、放り込まれるのか?」
 ということになるのだ。
 実際に、授業に入ると、その秀才ぶりは恐ろしかった。
「高校一年生で、すでに、2年生までのカリキュラムは済んでいて、夏休みに入るまでに、高校三年間をマスターする」
 ということらしい。
「じゃあ、それからの二年以上は何をするんだい?」
 と聞かれたので、
「そこから先が本当に大学受験の勉強さ」
 という、
「じゃあ、他の人が、三年生になってからやり始めたって、すでに、差はついているということか?」
 と聞くと、
「ああ、そうだ、しかも、あいつらは、それをずっと小さい頃からやっているんだ。受験勉強が苦しいとか、きついなどという状況ではないのさ。完全に、その状態を自分の生活リズムに組み込んでいるので、気が散ることもない」
 という。
「まるで、ロボットみたいじゃないか?」
 と聞くと、
「そうだな、ロボットと一緒だな」
「じゃあ、そいつらのゴールってあるのかな?」
 と聞いてみると。
「果てしないんじゃないか? きっと、あいつらのことだから、人生終生勉強だっていうに違いないだろうな」
 というではないか。
 確かに、そんな言葉を聞いたことがあるが、そんな生活が同じ年齢で、しかも、身近にいるなんて、誰が想像したというのだろう?
 しかも、
「果てしなう勉強なんて、一体どういうことなんだ? 勉強に果てはない。無限なのだということなのか?」
 と考えさせられてしまう。
「そういえば、人間は、脳のほとんどを使っていないというが、それをすべて使うということができるとすれば、どうなってしまうのだろう?」
 その時、思い出したのが、その友達が言っていたことだった。
「しょせん、競争したって叶うわけはない。だったら、無視しようと思ったんだよ」
 ということであった。
 友達というには、
「他人事で考えようと思うんだ。つまり、あいつらはあいつら。俺は俺って感じなんだよな」
 ということであった。
「他人事」
 という言葉、前にも何か感じたことがあったと思ったが、この時のことだった。
 他人事と思うことで、人が成績がいいからといって、自分が焦る必要はない。そもそも、人間の質が違っているのかも知れないし、やり始めた時期も違う。
 それは、しいていえば、まわりの環境が違っているのである。
「自分には、逆立ちしたってできないことを、無理にやろうとしなければいい。それこそ、背伸びというものだ」
 と考えると、気が楽になったという。
 成績は確かに下の方だったが、それでも、最下位ではない。
「このクラスで、最下位はなければ、御の字で、他の学校だったら、普通に主席だったかも知れないな」
 と感じるほどだった、
 成績の良し悪しもそうだが、気の持ちようで、ここまで違ってくるのかと考えた時、
「他人事」
 という考えは、まるで、
「紙が与えたもうたものだ」
 と言えるのでないだろうか。
 成績が実際に悪くはなかった。ただ、上には上がいるだけだったのだ。
 だから、順位が下の方だからといって、十分に及第点であり、
「赤点」
 などというものには、実にほど遠いのだ。
 だから、この学校では、テストで、教科の3つ以上赤点を取ると、停学、次回にも、赤点の数が3つ以上あれば、その時点で退学処分という厳しいものがあった。
 しかし、テスト問題は、実際に難しいものではない。学校で普通にしていれば、赤点を一つでも取るなどありえないことだ。
 といってもいいだろう。
 だから、先生の中では、いや、生徒の中にも、
「3つなんて、この学校も甘いな」
 といってもいいだろう。
 下手をすればm一つでも、赤点を取った時点で、生徒の中には、
「恥ずかしくて、学校にいけない」
 というほどの劣等感を感じ、自分から、退学していく生徒もいるというくらいだったのだ。
作品名:バタフライの三すくみ 作家名:森本晃次