バタフライの三すくみ
「もう、どうでもいい」
というくらいに、気が付けば、
「まるで他人事」
という感じで思えるような自分になっていた。
だから、プロ4年目で、
「これ以上やっても」
という切羽詰まった思いだったはずなのに、どこか、他人事というような感覚だったというのも、今から思えば、無理もないことだったのだ。
それでも、何とか、35歳まで現役を続けられたのは、その、
「他人事」
という精神がよかったのかも知れない。
「だから、一軍で活躍ができず、絶えず2軍半だったんだ」
ということであった。
しかし、自分としては、
「2軍半でも、これ以上落ちなかったのは、自分の中で、
「何とかできる」
という、
「他人事精神」
があったからではないだろうか?
そのまま、もう一度、挫折のようなものがあったのだが、もう、それを挫折とも思えないほどに、感覚がマヒしてきた。
今の、激動の世の中を暮らしていくには、これだけの、
「他人事精神」
というのがないと、
「乗り切ってはいけない」
ということになるのだろう。
「今年は、何とかやり切った」
というそれだけの気持ちでよかったのだ。
だから、
「退団」
ということに対しても、わだかまりというものはなかった。
「長年世話になった球団だったのに」
ということをいう人もいるだろうが、
「企業が人を選ぶんじゃない、人が企業を選ぶんだ」
という思いがどんどん出てきたのだ。
そういう意味で、
「ドラフト制度」
というものを、あまり評価していなかったが、今となれば、自分の中で、そんなに悪い方に考えていたわけでもなかった。
その感情が、いわゆる、
「他人事」
ということだったのだろう。
螺旋階段
プロ球団を簡単に辞めたのは、フロントとしても、少し拍子抜けしていたのではないだろうか?
下手に執着することはないとも思っていたと思うのだが、フロントとの交渉に及んで、「ああ、いいですよ。俺辞めます」
とでも言わんばかりの簡単な辞め方は、きっと、
「今までの選手、コーチ、監督で、ほとんど見たことがなかったのだろう」
と感じた。
「こんなに簡単に君が辞める決断をするとは」
と、交渉が、秒で終わったので、時間まで少し世間話をしていた。
その日は、誰とも交渉がなかったということでもあったが、この球団の方針なのか、契約交渉などに使う時間を決めておいて、終わるまでは、世間話ということも多かった。
後ろに交渉がつかえていると、必要以上に時間をかけるわけにもいかない。
というのが、フロントの考えだった。
しかも、結構交渉がうまくいくことの方が多く、その時にフロントは選手の口から、チームの雰囲気などを聞いていた。
「こんな時くらいしか聞けないからな」
ということであった。
それだけ、ここのフロントは物分かりがいいのだが、それが人柄なのか、選手たちもそんなに、年棒交渉えもめることはないのだった。
「今年は、これくらいで」
と提示した時点で、
「わかりました」
といって、即決で決まることが多いのだった。
だから、交渉が決裂し、
「自費でキャンプに参加」
などということは、この球団ではないことだった。
これは後から聞いた話だったが、この球団を包む、
「見えない壁」
というようなものは、どこか皆同じで、
「他人事精神」
というものが醸し出されているようだった。
その元祖は、霧島で、
「霧島を見ていると分かるというもの。だから、霧島は、簡単に追い出せないという球団事情があった」
ということであった。
実際に、球団に対しての、不信感というようなものがあったのも。事実だった。ただ。それは年棒であったり、人の人選などの人事であったりという、
「見えているもの」
というわけではなかった。
どちらかというと、
「他人事で見ないと分からない」
というところで、少なくとも、
「自分が中心選手だ」
ということを考えていれば、分かるようなところではないということである。
しかも、若い時期のように、
「球団のフロントであったり、監督、コーチと、上の人がたくさんいるような場合であれば、
「遠慮などから、全体を見渡すことなどできない」
と言えるのではないだろうか?
だから、
「他人事の境地」
に達した霧島は、すぐに、
「退団」
という意思を固めたのだろう。
もちろん、他から誘いがなければ、成立するものではないので、これこそ、
「タイミングがよかった」
というものであろうが、この結果が、
「よかったのか、悪かったのか」
というのは、まだまだ、分かっていないはずであろう。
「死なないと、何も分からない」
と考える人もいるくらいなので、本当に、難しい考えだといえるだろう。
実際に、独立リーグというものを、今まで意識したことがなかっただけに、実際に、独立リーグで、
「監督、コーチ」
の経験のある人に話を聴いてみることにした。
すると、その人の話では、
「結局は、その人が向いているかどうかということなので、それはやってみないと分からない」
という。
そのうえで、
「その決断をするのも、本人なので、人の話を聴くのはいいが、最終的に、決めるのは、本人でしかないということを、しっかりと認識しておく必要がある」
ということだった。
実際の居心地なども聞いてみたが、それも、プロ球界と同じで、あくまでも、
「成績次第。成績が悪ければ、監督が責められるのは、プロの世界でも、どこでもいっしょだ」
ということであった。
確かに、成績が悪いチームの監督が、
「へらへら笑っている」
というようなチームであれば、そのチームの実力というものは、すぐに分かるというものである。
「成績が悪ければ、首の皮一枚で繋がっている」
といってもいい状態で、ヘラヘラ笑っているなど、ありえないということである。
「選手だって、監督、コーチに威厳があるから、その指示を忠実にこなそうとする。だから、命令違反は、罰金だったりするのだ」
ということである。
監督というものが、それだけの人物でないと、罰金を取られると、それは選手もたまったものではない。
「あの監督に、罰金を言われたのだから、こっちに落ち度があったのだろう」
というほどに思うのが、当たり前だというものだ。
「だから、コーチの中に、参謀と呼べるような、ヘッドコーチがいるわけで、ヘッドコーチのいうことを聞かずに、独裁の監督というのは、あまり、いい成績を収められない」
と言える。
それだけ、
「選手は、見ているのだ」
ということである。
とりあえず、スカウトに来た球団のウワサと、今の球団の処遇や、まわりの環境を考えると、
「独立リーグの道」
を選んだ。
決めてとなったのは、
「プロを目指す選手を育ててみたい」
という気持ちだった。
プロ野球の二軍コーチというのも、一軍に上がろうとする選手を、
「育てる」
ということであるが、そおそも、その、
「育てる」
ということが違っているのだ。
プロの二軍は、あくまでも、
「這い上がる」
作品名:バタフライの三すくみ 作家名:森本晃次