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バタフライの三すくみ

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 高校時代には、甲子園にも出場している。大学時代には、リーグで優勝し、首位打者にも輝き、ドラフト指名で、地元の球団に入団した。
 学生時代に、挫折らしいものを味わうことなく進んできた反動なのか、どうやら、
「プロの壁」
 のようなものに引っかかっていた。
「4年目までは、一軍昇格なし」
 ということで、
「あと2年やってみて、思っていた最低限の活躍もできなければ、辞めるつもりだった」
 ということだったのだが、
 それでも、翌年は、一軍に上がって、シーズンのほとんどを、一軍で過ごし、それなりの成績も収めることができた。
 それによって、
「もう少し続けてみよう」
 と思い、気を引き締めて、それ以降のシーズンに望んでいた。
 しかし、結果としては、その年がキャリアハイであり、後は、成績は伸び悩んだ。
 それでも、
「一軍半」
 というくらいであったが、それでも、最低の状態ではありながら、何とか、36歳くらいまで現役で乗り切ることができた。
 一つ思っていたのは、
「俺は大けがというものをしなかったのだが、それがよかったのかな?」
 と考えるようになった。
 なるほど、確かに、
「ケガらしいケガはなかった」
 ということで、
「成績も、ケガによるものではなかったので、ある意味、
「これが俺の実力だたんだな」
 と思っていたのだ。
 それでも、いくら一軍半くらいの成績とはいえ、2軍でもそれなりの成績を収めることができ。
「プロ野球界に、爪痕が残せた」
 ということで、
「やり切った」
 という気持ちがあったのだった。
 考えてみれば、
「ドラフト一位で、鳴り物入りで入団し、ケガで思ったような活躍ができなかった選手であったり」
 さらには
「けがはないが、一軍に昇格することができず、やはり4、5年目で限界を感じ、引退という形をとっている選手も少なくなかった」
 といえるであろう。
 そんな選手がどうなるかというのは難しい。
 球団職員という形の人もいただろうが、皆がそういうわけにはいかないともいえるだろう。
 地道に就職活動して、サラリーマンに転身する人もいた。
 そういう意味で、腹をくくって、
「引退」
 ということを考えた人は、行動が早かったかも知れない。
 もっとも、
「ダラダラしていては、過去の栄光にしがみついてしまって、引退を決めてしまってからも、頭の中で野球界から、逃れられないという運命になっていくのかも知れない」
 といえるだろう。
 そういう意味で、霧島は、ある程度自分の中での、
「限界というものを分かっていて、
「これ以上は、体力的に衰えていくばかりだ」
 と考えたのだろう。
 これも、
「一軍半」
 という立場で、自分なりに突っ走ってきたから言えることなのではないだろうか?
 それを考えると、
「ちょうどいい時期の引退だったのかも知れない」
 ということで、引退ということを球団に話すと、
「じゃあ、二軍のコーチ補佐という形で、今後のスタッフ入りを考えてみないか?」
 ということだったので、引退と同時に、翌年からの、二軍コーチ就任を了承したのだった。
 本当は、
「2軍コーチを、2、3年やって、そのうちに、一軍コーチをやっていきたい」
 と思っていた。
「さすがに、監督というのは、無理だろうな」
 とは思っていた。
「まあ、二軍コーチで、しかも、補佐という立場であれば、そこまで責任もないだろうし、逆に若いコーチとして、選手目線で見ることができるので、これくらいがちょうどいいんだろうな」
 と思うと、
「就職活動をしないでよかった」
 という思いもあって、何とか、このまま行けると思うのだった。
 実際に、最初の一年はあっという間だった。
 しかも、自分が眼をつけて指導した選手が、皆2軍で活躍し、一軍に昇格。そのまま一軍に定着するというのがパターンになってくると、コーチ補佐を2年務めると、今度は、
「2軍コーチ」
 へと、自分も昇格したのだった。
 ただ、今度は、コーチになったとたん、指導した選手が、鳴かず飛ばずになった。
 補佐をしていた時に2軍コーチは、自分が昇格したのと同時に、今度は一軍のコーチに昇格していた。
 さらに一軍監督も、二軍監督からの昇格人事で、これもよく考えてみると、
「その時の、時代の流れのようなものがあったのだ」
 ということであった。
「元々のコーチがよかったからなのか?」
 それとも、
「自分の実力が、コーチ補佐どまりだった」
 ということなのか、少しかんがえさせられた。
 2軍でチームは、優勝することができたのだが、自分がコーチした部分は、リーグでも下の方だった。嫌でも、考えさせられるというものだった。
 だから、思い切って、チームを退団することにした。
 というのも、ちょうどその時、独立リーグのチームから、
「コーチ就任」
 という話があった。
 正直、2軍コーチというものに、少し限界を感じていたこともあり、
「独立リーグだったら」
 ということで、そっちのコーチをすることにしたのだ。
 選手の方も、
「プロ野球で頑張りたい」
 という意識を持った選手ばかりなので、
「2軍という、上から落ちてきた選手ばかりのところにいるよりも、精神的にも違うのではないか?」
 と感じたことで、腹はすぐに決まったのだ。
 今年、40歳になって、独立リーグのコーチも、3年目になっていた。
 すでに、プロ野球の世界には、ほとんど未練はなかった。
 独立リーグも来てみると、結構自分なりに楽しかった。
「そういえば、俺って、今までに、野球が楽しいって感じたことがあったっけ?」
 と思い出していたが、
「いや、ない」
 と感じた。
「こんなに、野球って楽しかったなんて」
 と、一度は感じたことがあり、そうでないと、ここまで長い間野球に関わっていくことはなかっただろう。
「俺は、ずっと野球をやり続けるんだ」
 ということに気付いた時期があったはずだ。
 それがいつだったのか、思い出そうとするが分からない。
 自分の中で、
「たぶん」
 と思える時期があるとすれば、大学野球で優勝した時の事だろう。
 終章経験とうと、その大学のリーグ優勝と、高校の時の、甲子園出場の切符を取った、「地区大会での優勝」
 ということだけだったのだ。
 だが、そもそも、下馬評も、
「あの高校が優勝候補最有力だ」
 と言われていた。
 だから、
「優勝して当然」
 という意識の中で戦っていたのだ。
 つまり、
「最初から、プレッシャーの中でやっていたので、全然、優勝しても嬉しいという感覚はなくそれよりも、ホッと安心したというのが、本音だった」
 と言えるだろう。
「実際に、優勝したのに、こんなに面白くないとは」
 というのも、初めて味わった感覚だった。
 だから、選手は誰もが、緊張した顔をしていて、心底嬉しいという感じではなかった。
 まるで、
「ノルマを果たした」
 というだけのことだったのだ。
「結局、あの学校が優勝か」
 という、落胆した声も聞こえる。
 普通なら、
「こっちはあれだけ必死にやったのに、それを、そんな簡単にいうなんて」
 という感じで思っていただろうが、ここまで言われると、
作品名:バタフライの三すくみ 作家名:森本晃次