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裏表の日本

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 という伊藤博文の言葉として伝わっているのだが、元々、清国だった時の、日清戦争湯治であれば、
「一日で落とした」
 という弱小な土地だったのだ、
 それをロシアが一大要塞に作りあげたことで、
「東洋一の大要塞」
 と言われたものだった。
 そんな旅順要塞を撃滅したことで、日本が有利になった。
 旅順の裏から、旅順港に向けて、大砲を打つことで、旅順艦隊は、撃滅されたからであった。
 さらにもう一つ、日本にとって有利だったのは、イギリスとの、
「日英同盟」
 が結ばれていたことである。
 イギリスとしても、
「ロシアの南下政策を、何としてでも、阻止しないといけない」
 ということで、日本と同盟を結んだのも、当たり前のことだった。
 実際に、バルチック艦隊が、母国を出港し、日本にくるには、ヨーロッパを回って、さらにアフリカを抜けて、インド洋に入り、そこから、マレー沖を抜けて、北上するという経路になるのだが、日本としては、その間に、同盟国のイギリスから、
「ロシア船に、武器弾薬、食料などの補給をさせない」
 ということで、結果として、
「ボロボロの状態で、日本は迎え撃てばいい」
 というわけだ。
 結果として、
「日本海海戦は、半日という短い期間で、私有を決し、日本側の大勝利となった。
 陸軍の方も、多大な犠牲を払ったにもかかわらず、
「奉天回戦」
 において、勝利を収めることとなった。
 かねてより、和平交渉を側面下での交渉の席に、
「最高の形」
 でつくことができたのだ。
 実は、そのことが、それから40年後に起こった、
「大東亜戦争」
 の悲劇につながることになるのだ。
 日本は、日露戦争の勝利にて、
「満州鉄道の権益を得て、満州の一部を占拠することができたのだが、反日運動のもないから、虐待事件や、暗殺事件が後を絶えなかった」
 さらに、当時の日本本土では、
「東北地方の凶作」
 であったり、
「昭和恐慌」
 などと言われる不景気の時代だったことで、
「急激に増える人口をもはや支えることができない状態まで来ていた。
 そんなこともあり、日本は、謀略によって、
「満州事変」
 というものを、引き起こしたということになるのあろうが、
「それは致し方のないことである」
 と言わざるを得ないといえるだろう。
 それを、中国側が、国際連盟に提訴したことで、調査団が送られ、その結論は、
「満州事変は、日本の自作自演」
 ということになったのだった。
 結果投票は、満場一致に近い形で、満州国未承認」
 という形になったのだった。
 外相である松岡洋右は、それを不服として、
「国際連盟を脱退する」
 という暴挙に出たのだった。
 そこまではよかったのだが、今度は中国大陸に進出してくると、
「中国支配」
 というものをどこまで考えたかということである。
 さすがに列強に食い荒らされた中国を真剣に狙ったとは思えない。
 しかし、偶発的な事故と言われる、
「盧溝橋事件」
 を発端とし、中国側からの、抵抗であったり、さらに、日本人居留区への虐殺事件であったりと、
「容認できない」
 というところまで来てしまうと、
「徹底的に戦う」
 ということで、
「全面戦争」
 に突入したのだった。
 そんな中に起こった
「南京事件」
 というものがあったが、これは捏造されたという側面も大きい。
 そもそも、中国側の発表による被害者の数は、当時の、
「南京の人口」
 よりも多いという、矛盾した結果となり、
「墓穴を掘った」
 といってもいいかも知れない。
「戦後の、マスゴミによる、捏造説」
 というものが大きいが、結局、日本は、そのまま中国大陸の強大さから、
「迂闊に手を出せない」
 という状態になっていったのだ。
 結果として、日本の暴挙は、欧米列強への不満を買った。そのせいで、日本にたいして、
「鉄くずなどの輸出を禁止する」
 という、いわゆる、
「ABCD包囲網」
 というものができあがり、日本はその状態を打開するために、北部仏印、今のベトナムあたりに進出したのだ。
 だが、それはさらに欧米を怒らせ、今度は、
「石油の輸出、全面禁止」
 と打ち出したのだった。
 そうなると日本は、
「アメリカとの戦争も辞さず、自給自足の国家体制を築く」
 ということにするとしか思えない。
 日本では、外交交渉と並行し、戦争準備を着々と整えていた。
 そんな状態において、アメリカは、
「ハルノート」
 と呼ばれる内容を日本に突き付けてきた。
「中国大陸からの全面撤退」
 を中心とした内容で、
「明治維新状態にまでさかのぼってしまう」
 ということで、日本としては、まったく容認できないという内容だったのだ。
 結局、この、
「ハルノート」
 が、最後通牒ということになり、
「戦争は不可欠だ」
 ということになった。
 そこで、日本は、陸海において、海軍による、
「真珠湾攻撃」
 あるいは、陸軍による、
「マレー上陸作戦」
 というものが行われたのであった。
 そのどちらも、成功し、そこから、
「大東亜戦争」
 が起こったのだ。
「大東亜」
 というのは、東アジアのことであり、
「欧米列強に植民地化されたアジアを介抱する」
 というスローガンから、
「解放した後は、今度は、日本を中心とした、東アジアの共存のためのいわゆる、
大東亜共栄圏というものを建設する」
 というのが、その時の、
「大東亜戦争」
 における、
「大義名分」
 だったのだ。
 これに関しては、賛否両論はあるだろうが、少なくとも、当時のアジアは、欧米列強により、完全な植民地になっていたのだ。
 それを開放しようとしているのだから、少なくとも、
「間違ってはいない」
 ということであろう。
 日本の閣議で、シナ事変から始まるこの戦いを、
「大東亜戦争」
 ということに決定していたのを、わざわざ、
「太平洋戦争」
 などという欺瞞に満ちた名前にしてしまったのは、戦争後の実効支配をするうえで、
「日本の戦争を正当化させるものであり、連合国側からすれば、とても容認できるものではない」
 と言えるのではないだろうか?
 ただ、この戦争には、最初からのシナリオがあった。
「序盤で大きな勝利を得て、アメリカなどの国民が戦争に嫌悪し、アメリカの戦争継続意識を失くしてしまおう」
 というのが目的で、
「その時に、大日本帝国において、和平条約を持ち掛け、有利な状態において、講和条約を結ぶ」
 というのが、
「戦争継続のシナリオ」
 ということになるのだった。
 しかし、序盤で勝ちすぎたため、世論やマスコミが許すわけもなく、その作戦は、なくなってしまった。軍部でさえも、状況判断を見失っていたといってもいいだろう。
 当然のごとく、
「戦争の終わらせ方」
 を間違えたことで、結果は見えている。
 戦争にしても、他のことにしても、
「何かを終わらせるのは、始めることよりも、数倍きつい」
 というではないか。
 特に、よく言われるのは、結婚である。
「離婚は結婚する時よりも、数倍のエネルギーを必要とする」
 と言われるが、まさにその通りだ。
 戦争は、
作品名:裏表の日本 作家名:森本晃次