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裏表の日本

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 と言えるのではないだろうか?
 なぜなら、
「次の瞬間には、無限の可能性が広がっている」
 ということで、時系列で考えると、末広がりに広がっているわけである。
 ただ、進んでいくのは、その中の、
「一本の道であり、それぞれの世界に、それぞれの可能性の人がいたり、ものがあったりする。そうなると、無限の可能性があるように、それらの世界は、どこかが違っている世界」
 であり、その
「違っているどこか」
 というものこそ、
「限りなくゼロに近い」
 と言われる何かなのかも知れない。
 それを考えると、今度は、さらに考えが深くなっていき、
「時系列」
 というものも、本当に存在するのだろうか?
 ということであった。
「時間というものは、ある一定の方向にしか進んでいない」
 ということから、
「次の瞬間」
 という考えが浮かんでくるのであって、
「タイムマシンで過去にいく」
 という考え方が、どれほど難しいものなのかということを、果たして、誰が考えるということであろう。
 単純に、
「タイムマシンなどで、過去に行くということは、難しい」
 と思っているのは、
「そんなことは不可能だ」
 という考えが、頭の中に潜んでいるからだろう。
「しょせんは、あり得ないことなんだ」
 という考えがあることから、過去に行くというものが、無意識にというのか、
「限りなくゼロに近い」
 というものに近づいているということを感じているからではないだろうか?
 そもそも、この、
「限りなくゼロに近い」
 という発想も、
「無限」
 というものと同じで、
「簡単に理解できるものではない」
 と考えると、
「無限というものが、一つではないか?」
 というような発想を、
「限りなくゼロに近い」
 というものに、できるわけではない。
 これは、そもそも、
「一つしかないもの」
 なので、無限という発想のように、一言で片づけられるものではない。
 そう考えると、未来に向かって進んでいく、
「時系列」
 という発想は、無限という、理解に苦しむものではあっても、
「それは一つだけしかない」
 というように考えると、そこから先、いくらでも発想できるという形ができていくものだ。
 しかし、過去に行く。つまり、
「時系列の逆行」
 というものは
「限りなくゼロに近い」
 というものを、もう一つ殻を破って、
「無限という発想における。一つ」
 というような発想がなければ、いけないものであろう。
 ということが言えるのかも知れない。
 そうなると、
「無限」
 という考え方と、
「限りなくゼロの近い」
 という考え方は、相対しているようであり、見ている方向が違うだけのものというわけではない、
「過去に対しての、結界というようなものが存在しているに違いない」
 といえるだろう。
 そういう意味で、タイムマシンにおける、
「タイムパラドックス」
 というものが、
「過去に行くことにおいて、どれほどのリスクを背負っているのか?」
 といえるだろう。
 つまり、
「過去に行くことで、過去の歴史を壊してしまうことで、未来の歴史が変わってしまう」
 という発想が生まれることだ。
 しかし、これも大前提である。
「次の瞬間には、無限の可能性が広がっている」
 という絶対的な発想から生まれてくることであった。
 では、ここでいう、
「無限の可能性」
 というのは、誰が決めたというのだろうか?
 個人個人がその時々の意思によって決めたのだとすれば、どこかおかしなことにならないだろうか?
 その瞬間瞬間の意思が次の瞬間を、個人単位で決めるのだとすると、今、一緒にいた次の瞬間、時間が過ぎたと意識することもなく、お互いを知らない人になることはない。
 それぞれ、無限の可能性がある中で、相手のことが分からなくなることなく、同じところに着地しているということになると、考え方は一つである。
「次の瞬間に、広がっている可能性は、無限という名前の一つでしかない」
 ということである。
 確かに考えられることは無限にあるのかも知れないが、
「人間が進むべき道は、一つしかない」
 ということである。
 そうやって考えると、
「ロボット工学」
 における、
「フレーム問題」
 というのも、解決するのではないだろうか?
 そもそも、解決もなにも、問題にすらならないというわけで、ロボットであろうが人間であろうが、
「次の瞬間に考えることが一つしかない」
 ということが分かると、その一つを探しさえすればいいだけで、ロボット開発ができないわけではない。
 しかし、実際にはそれができないということは、
「一つしかない、その一つを限定できない」
 ということからではないだろうか?
 となると、逆の発想で、
「限定できないから、その言い訳として、次の瞬間には、無限が広がっている」
 というような言葉を使って、正当性を訴えているのではないか?
 ということである。
 それを考えると、
「無限」
 というものだけではなく。
「限りなくゼロに近い」
 という発想も、何かの言い訳であったり、
「正当性を訴える」
 という発想からではないだろうか?
 そんなことを考えていると、
「しょせん、科学的な発想というのは、何か、他の学説を理論づけるために利用される、正当性なのではないか?」
 と言えるのかも知れない。

                 大団円

「もう一つの世界」
 というものを、
「パラレルワールドの一つ」
 と考えているとすれば、前述の考えでいけば、本当に、
「もう一つの世界」
 という、唯一無二のものだといってもいいかも知れない。
 そう考えると、どこかに、その結界を超えるところがあり、
「皆本当はそのことを分かっていて、無意識に、あっちの世界とこっちの世界を行き来しているのかも知れない」
 と言えるのではないだろうか?
 その発想を考えると、
「日本という国が、どこかの国に狙われている」
 とすると、その国がなぜ日本を狙ってくるのかということも分かってきた気がする。
 日本政府は世界から欺かれて進んできたが、その日本の中に、
「その理屈を覆そうとしている頭脳集団がある」
 ということであった。
 世界から欺かれていたのは、
「次の瞬間には、無限の可能性が広がっている」
 という考えを植え付けられていたのだ。
 世界各国からすれば、
「日本をまた軍事大国にはしたくない」
 と思っている。
 そうなると、今度は世界の破滅が分かり切っているということになるからだった。
 日本という国が、いかに世界において、目蔵にされてきたのかというと、他の国で発表されたものを、曲げた形で報道されていたのだ。
 それこそ、報道管制であり、まるで、戦前に行った。
「報道の自由」
 というものに対しての、冒涜のようなものであるはずだ。
 理屈がそうなっているのは、あくまでも、正しい教育ではなく、頭の中を子供同然にして、自分たちのやっていることに気付かせないように、そして、気付いても、それが悪いことではないという植え付けを、
「洗脳」
 という形で補うことであったのだ。
作品名:裏表の日本 作家名:森本晃次