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裏表の日本

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「世界を敵に回してしまった」
 とも言えなくもない。
 特に、昭和初期の、
「世界恐慌」
 の時、アメリカなどの強国は、自分たちだけで、
「ブロック経済」
 というものを築き、日本をはじめとする、ドイツ、イタリアなどの、国は、そこから弾き出されたことも、
「世界大戦の勃発」
 ということに、拍車がかかったのであった。
 日本は、結局、
「世界の情勢に大いなる影響を与えているという意味で、スケープゴートを握っているといってもいいのだろうが、どうしても、大国、強国というところにいたることはできないのである」
 というのだ。
 そんなことを考えていると、戦後の日本が、
「アメリカの属国」
 になってしまったというのも分からなくもないことで、それを、しかも、アメリカの教育によって、
「日本はアメリカの核の傘に守られている」
 ということを、正当化させられているに過ぎなかったのだ。
 だから、今のこの国は、
「他国から侵略されることは決してない」
 と思い込まされている。
 戦争前は、その侵略を受けやすいのが日本という国で、
「アジアを統合して守らなければ、欧米列強に適うわけはない」
 と思っていた。
 だから、戦争をしてでも、
「アジアの開放」
 というのが、その後においての、
「世界地図の中から、日本というものが、消滅しかねない」
 という危機感を抱いていたことだろう。
「かの戦争の前と後とで、ここまで国に対しての考えが違うものか?」
 と言えるだろう。
 今であれば、
「愛国心」
 というものは、
「一体どこに行ってしまったのだろう?」
 ということになるのは、必定であろう。
 やはりそれは、
「国を自分たちで守ろう」
 という気概があるかないかというところの問題であろう。
 それまでは、軍隊が存在し、国防ということを、自国だけではあできないので、これまでに侵略された東アジアの国を開放し、自分たちで独自の、
「共栄圏」
 を造り、それを、
「防衛線」
 とする考えは、十分にありであろう。
 それを考えると、
「自分たちが受けてきた教育が、いかに押し付けられたものであったのか?」
 ということが分かるというものだ。
 確かに、連合国側から考えれば、
「アジアに軍国主義が蔓延るのは、厄介なことだ」
 といえるだろう。
 そもそも、戦後は、
「社会主義との二極化」
 ということで、世界が二分されるということを分かっていたのだから、
「アジアの軍国化」
 は許せないことだっただろう。
 特に日本の軍国化だけは、阻止する必要があるので、絶対に、再軍備ができないような法律を作る必要があったのだ。
 だから、日本は、世界で起こってきた。
「ソ連とアメリカによる、代理戦争と呼ばれたものには、直接的に関与はできないが、日本本土に置かれたアメリカ軍基地から、空母や戦艦が出撃していく」
 ということであった。
 とにかく、アメリカは、
「日本という国を、利用するだけ利用しよう」
 ということであった。
「戦争は我々がやるのだから、その代わり、日本は、全面的に協力するのは当たり前のことだ」
 ということで、日本の高度経済成長は、アメリカ資本にとっては脅威であったが、国としては、
「金を出させればいいんだ」
 ということで、むしろありがたいことでもあった。
「戦争に使う資金を日本に賄わせる」
 ということを考えると、同盟国として、守るのは当たり前のことである。
 だから、他国から見れば、
「日本はアメリカの属国」
 と見えることだろう。
「国土の安全を守ってやる代わりに、こっちのいうことは、まるで奴隷のように守ってもらおう」
 という状態を、
「まるで封建主義のようではないか?」
 と見て取る人もいるだろう。
 そう、封建制度というのは、
「ご恩と奉公」
 ということで成り立っている。それを思えば、日本とアメリカの関係は、まさに、封建制度の関係のようだ。
 ということになると、アメリカが、
「領主」 
 ということになり、日本は、
「御家人や、土地を貰った農民」
 と言えるだろう。
 そこでは、きちっとした、
「主従関係」
 というものが存在している。
 そうでないと、封建制度の関係は、うまくいかなくなり、結局、
「群雄割拠の戦国時代」
 に突入することになるのであった。
 戦国時代に突入しそうになっても、相手に武器がなければ、それもかなわない。
 あったとしても、
「最低限の国防のための戦力」
 程度であれば、領主にとっては、痛くもかゆくもない。
 それが、日本における天下泰平と言われた、
「徳川時代だった」
 と言えるだろう。
「徳川時代というのは、何といっても、260年という長きにわたって、戦乱のなかった時代」
 である。
 平安時代にも、戦乱のない時代ではあったが。それは、
「貴族政治」
 だった時代であり、まだ武士のような政権のない時代だったのだ。
 それを思えば、徳川時代のような武家政治の中では、
「奇跡の時代だった」
 と言えるのではないだろうか?
 やはり、それだけの法律であったり、確固たる封建制度の理想が、育まれていたからではないだろうか。
 もちろん、
「自由はなく、領主が強いという、絶対政権という時代だっただけに、うまく行っている時代は、政治的には、申し分のない時代だったということであろう」
 そんな時代は、鎖国の時代だった。
 アメリカも、結構日本のことを勉強しているようで、こちらの世界のアメリカが、日本をどのように扱うかということを考えていると、
「日本に、鎖国政策を打ちたてさせよう」
 ということも考えていたようだ。
 特に、
「日本には、貿易を行うことで、富を得るというやり方は、今に始まったことではなく、今までの国主というのが、そうやって伸びてきた」
 ということが分かっている。
「完全な鎖国でなくとも、ある程度、貿易や、貿易ができる国を制限することで、日本が、下克上を起こすこともなく、他国の影響を受けることもないと考えると、これほど都合のいいことはない」
 ということである。
 それだけ日本という国は、
「アメリカの属国」
 ということになっていた。
 その発想を、アメリカも世界の先進国に印象付けてきたことで、
「日本を攻撃する」
 という暴挙には出ることはできないと思っていて、さらには、
「侵略」
 などできるはずもないと考えていたに違いない。
 そんな日本が、
「属国になっている」
 ということの本当の意味を知らないのは、
「当の本人である日本人しかいないだろう」
 ということであった。
 まさか、日本人は、政府がアメリカの国債を買わされている」
 ということを知らないだろう。
 知っているとすれば、さすがに、国民も黙っていない。これはある意味、日本政府の隠しておきたいことであったが、
「アメリカにとって、日本に国債を買わせるなどということは、朝飯前のことだった」
 日本政府も、
「自分たちがアメリカの属国なのだ」
 ということを分かっているからだ。
 政治家というのは、
「従うのが、日本であれ、アメリカであれ、自分の立場が安泰であれば、それでいいのだ」
 ということであった。
作品名:裏表の日本 作家名:森本晃次