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マトリョシカの犯罪

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「5時とかいえば、始発電車に乗って帰った方が早いじゃないか?」
 ということで、半年前までは、仕事が終わっても、事務所で40分くらい時間を潰してそれから駅に向かうという行動をとっていた。
「本当に面倒臭いな」
 と思っていた。
 そんな状態であったが、半年前から、時短営業が解除され、それでも、24時間営業だったところがすべて、元に戻ったわけではなかった。
 そのあたりは、店側の都合でそうなったのだろうから、しょうがないところもあるのだろうが、何と言っても、その象徴が、
「24時間営業以外のどこにメリットがあるのか?」
 というくらいまで、24時間営業以外に考えられなかった、
「コンビニエンスストア」
 が24時間営業ではないのだ。
「世界的なパンデミック」
 が起こった、最初の年の、
「緊急事態宣言中」
 のことだったが、その途中くらいから、
「24時間やっていないコンビニがあった」
 ということであったが、
「まあ、他の店には休業要請が出てるのだから、それもしょうがないか?」
 と思っていたが、それでも釈然としなかった。
 確かに、宣言中には、
「露骨に、客に嫌がらせに近いようなことをしている」
 ということがあった。
 しかも、鉄道会社などに多かったような気がする。
 さらに、それを、
「世界的なパンデミック」
 のせいにして、自分たちのやり方を正当化しようというのだから、これ以上、汚いやり方もないというべきであろう。
 そんなことを考えていると、
「確かに、それだけ経営がどこも苦しいのだろうが、そんな露骨な嫌がらせのようなことをやっていると、本当に潰れてしまうせ」
 と感じたものだった。
 ただ、そんな露骨な嫌がらせというのは、鉄道会社だったり、コンビニくらいだった。
 コンビニも、伝染病の影響ということで、それまで使わせていたトイレを使えなくしていたが、今はそれも解除されたにも関わらず、最後まで、
「使用禁止」
 としていた店は、理由は分からないが、閉鎖したのだった。
 こちらとしては、
「ざまあみろ」
 という心境だった。
「その一軒くらい潰れたって、ちょっといけば、コンビニなんか、いっぱいある。痛くも痒くもないわ」
 というものだった。
 そんな、すぐにウソだとバレるようなウソをついてまで、正当化させようという根性が薄汚いと思うのだった。
 その日も、24時間経営の店に寄ってから、コーヒーでも飲むつもりで、業務終了後に戸締りを確認し、ビルの警備を掛けて帰るところだったのだ。
 けたたましいベルの音が、乾いた空気をつんざくように鳴り響き、ビックリさせられた。
 警報盤のところに、警備会社の電話番号があったことに気付いた森山は、すぐに連絡を取り。
「栄ビルですが、警報機が鳴っています」
 というと、相手も当然連動されているので、
「ただいま、向かっています」
 ということで、少し待ってみることにした。
 すると、15分くらい経って、警備の人がやってきた。
 少し説明し、
「私は、業務終了の時間なので、これで帰りますが、原因やその他は、ここの4Fの事務所が朝9時から人がいますので、その情報は共有して、明日も私が夜勤ですので、私にもわかるようにしてください」
 というと、相手も、
「わかりました」
 というので、その日はそのまま帰ったのだ。
 基本的には、早朝4時など、誰もいないはずの時間なので、駆けつけた警備会社の人もビックリしたことだろう。
 警備会社の人が、ビルの中に入っていくのをよそ眼に見ながら、森山は、ビルを後ろに、駅に向かって歩き始めたのだった。
 時間とすれば。だいぶ短いが、
「コーヒーを飲むくらいの時間はあるな」
 ということで、
「少しだけ慌ただしかったが、それも、あの警報機のせいだ」
 と、若干の予定が狂ったことに憤りを感じるかのように、警報機が鳴ったのを、嫌な感覚で覚えていたのだ。
 その日は、そのまま普通に、帰宅した。
 電車に乗る頃には、ほぼ怒りは収まっていた。
「熱しやすく冷めやすい」
 のだから、そんなものだろう。
 ということであった。
 ただ、
「あんな音がずっと鳴っていると近所迷惑だ」
 ということと、
「警備員のあの落ち着きは、どうせ誤報だろうとしか思っていないんだろうな」
 と感じると、何ともいえない憤りのようなものがあった。
「俺だけが慌てているだけのことなんじゃないだろうか?」
 という思いである。
 そんな慌ただしさを考えると、苛立ちとともに、
「もし、これが毎回誤報だということになると、誤報に慣れ切ってしまっていて、結果、オオカミ少年の話のようになってしまうという懸念を感じる」
 のであった。
 オオカミ少年というと、
「オオカミが来た」
 といって、村人が慌ただしく逃げているさまを見て喜んでいる少年がいたが。やがて、今度は、その少年が叫んでも、
「どうせ、ウソなんだろう」
 と思い、誰も、
「惑わされるものか」
 ということで、警戒もしないでいると、本当にオオカミがやってきて、村人は食われてしまうのだった。
「ウソからは、ウソしか生まれない」
 ということであり、真実を疑う心を誰もが忘れてしまっていたことで、結局、悲劇を生むということになってしまうのだった。
 それを思うと、教訓としては、
「ウソをつく」
 ということが、いかに罪深いか?
 ということと、
「慣れてしまうと、真実が見えなくなる」
 という、戒めのようなものでもあった。
 つまり、
「石橋を叩いて渡る」
 というよりも、
「石橋を叩いても渡るな」
 というのが正しいのではないだろうか?
「石橋を叩いて渡る」
 ということは、最終的には、
「渡る」
 ということなのだから、この言葉の根源は、
「石橋が、壊れることはないのだ」
 といっているのと同じである。
 なぜかというと、
「叩いても壊れない」
 という確証があるから、念のために叩くのであって、少しでも壊れると思うと、叩いたことで、壊れてしまうと、その責任は、自分にあることになるわけなのだから、
「絶対に叩くようなマネはしない」
 ということになるのであろう。
 それを考えると、
「このことわざは、額面どおりに受け止めると、どこか違和感が残ってしまうということであろう」
 つまりは、
「これは、基本的に、叩いても壊れないというのが、大前提であり、壊れてしまうというものであれば、ことわざにも使えないほどの、クズである」
 ということを言っているようなものではないだろうか?
 ということになるのであろう。
 それを考えると、
「オオカミ少年」
 が、戒めの話であるとすると、
「石橋を叩いて渡る」
 ということわざを額面通りに捉えるのであれば、それは、このことわざも、
「戒め」
 と捉えられて、しかるべきだといえるのではないだろうか?
 そんなことを考えながら帰宅し、そこから先は日ごろと同じようで、家に帰りつくと、かなり留飲は下がっていたが、それをさらに下げようと、部屋に飾ってある絵を見たのだ。
 その絵は、今まで自分が描いてきた鉛筆デッサンであり、ただの素人の絵にすぎないので、他の人には見せられないが。
作品名:マトリョシカの犯罪 作家名:森本晃次