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マトリョシカの犯罪

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 それだけでなく。政治や統治という意味での参謀役も存在した。
 特に、
「石田三成」
 あるいは、
「大谷吉継」
 などと呼ばれる人たちによって、天下統一後の世界は、担われていたのだった。
 そんな豊臣政権下の政治だったが、なぜか途中から、彼は豹変するのだった。
 それまでは、言われているような、
「素晴らしい人心掌握術によって、適材適所に人員を配置したり、近親の部下を手厚くもてなしたりしている」
 しかし、前述のように、
「まわりで、自分の信頼している人がどんどん死んでいくことで、人間不信にでも陥ったのか、自分に対するまわりの態度に敏感になり、何かというと、それまで連れ添ってくれた相談役などに、切腹を申し渡したりしたのだ。
 何といっても、自分に息子が生まれてしまったことで、生まれないと見越して、跡取りを甥の秀次に決めていたのに、裏目に出てしまい、これはどこまでが本当のことなのか分からないが、
「秀次に謀反の心あり」
 ということで、
「高野山に謹慎させ、最後には切腹させてしまった」
 などということもあった。
 さらには、ずっとこれまで、相談役として、そばにいた、
「千利休」
 を切腹させたりと、やることが、えげつない状態になってしまっていたのだ。
 そんなことがあってしまうと、
「秀吉は、誰も信じられなくなっているのではないか?」
 ということになり、それ以降の暴挙を誰も止められなくなった。
 その暴挙とは、
「二度にわたる、調整出兵」
 であった。
 ただ、この話にも諸説ある。
 というのも、
「秀吉は、元々から、明国を攻めて、天皇を北京に移し、自分は、貿易港の寧波で隠居する」
 という夢を持っていたということなので、
「やけくそでの、出兵ではない」
 という説、あるいは、
「西洋列強が、当時は植民地時代だったことで、明国を占領し、明国を使って、アジアの防波堤にしよう」
 という考えがあったのではないか?
 ともいわれている。
 それも、冷静に考えれば、一理あり、信憑性も結構あるような気がする。
 それを思うと、
「朝鮮出兵」
 というのも、あながち間違った政策ではないともいえるだろう。
 しかし、攻め込まれる朝鮮としては、たまったものではないが、そもそも、日本とすれば、地理的問題から、世界情勢を考えた時。朝鮮半島に権益を持っておくことは、必須だといえるだろう。
 たまたま、それが秀吉の時代だったというだけのことで、ある意味仕方のないことであろう。
 だから、朝鮮では、
「豊臣秀吉」
「伊藤博文」
 は、大罪人という意識になっているようだが、ある意味時代背景上、仕方のないことではないだろうか?
 ただ、もう一つは、
「後継者を作っておかなかった」
 ということであろう。
 息子の秀頼は、まだまだ小さな子供であった。
 一応、
「五大老」
「五奉行」
 という体制を造り、死後の世界をまとめていってもらい、
「最後には、秀頼に関白となってもらい、豊臣の天下をつないでいく」
 という世界を見積もっていたのだろうが、
「徳川家康」
 という存在をどこまで気にしていたのだろうか?
「まさか、信頼しっていた、前田利家が、先に死んでしまうとは思っていなかったということなのであろうが、家康を抑えることはできなかったのだった」
 さらに、加藤清正らの武闘派と、石田三成らの、文民派との間に、亀裂が走ることも分かっていなかったのだろうか?
 確かに元々は、秀吉も元、おねの存在もあって、兄弟のように育った彼らが、仲たがいをするとは思わなかったなどということも考えられなくもない。
 それが家康に火をつけて、結果として、
「天下分け目の関ヶ原」
 となったのである。
「確かに、秀頼のことが気になっていただろうが、自分の部下たちが、死後も、秀頼のために尽くしてくれると、どこまで感じていたのだろう。家康の性格を考えれば、動き出すことは当たり前であった」
 それだけの家臣団を持っているのだから当然のことである。
 要するに、
「一代で一気に上り詰めた人は、当然、それだけの才覚がなければいけない」
 というのは当たり前のことであり、
 それだけに、自分の部下は、
「信頼してくれると思っていたのかも知れない」
 しかし、自分だって、農民からたたき上げたのだから、それだけの努力と、それに勝るとも劣らないだけの、
「諜報」
 などに長けていたといってもいいだろう。
 sんな時代があった中で、時代を思い返すと、
「今のうちの会社に似ているかも知れないな」
 と感じたのは、
「二代目が、頼りない」
 というところからである。
 これは、豊臣家に限らずであるが、
「大体、何かの体制を設立した偉大な初代に対して、二代目というのは、どうしても劣って見えるし、初代に対抗しようとして、裏目に出てしまう」
 ということもえてしてあったりするだろう。
 そういう意味で、この会社もそうだった。
 だが、二代目が悪いというわけではない。
 正直、
「立派な二代目だと思う」
 という人も結構いる。
 というのも、ちゃんと側近の意見を聞いて、理解し、反対意見があれば、理路整然として、論破できるくらいの力があったりするではないか。
 そんなことを考えていると、
「二代目がどうしても、悪いと思われるのは、汚名であり、そういわれているということを前提に話すから、真実から目を背けることになるのではないだろうか?」
 そういう意味では、
「二代目が初代に劣る」
 というのは、あくまでも、初代が立派だという考えにのっとっているからなだけで、
「確かに初代が素晴らしいというのは、変えようのない事実なのだろうが、それを完全に信じてしまい、見方を謝ると、おかしな発想になり、真実から目を逸らしてしまうことになりかねないだろう」
 森山は、
「パイオニアの絶対性」
 ということを、他の誰よりも感じていた。
 だから、彼は、
「自分がパイオニアになりたい」
 という気持ちが、
「誰よりも深い」
 と言えるのではないだろうか?
 だが二代目を認めないわけではない。
 特にこの会社に入って、当時の社長のことは十分に認めていて、しかも、自分のまわりに、参謀といえる、有識者のような人たちを、たくさん並べているのは、すごいことだと思った。
 中には、
「社長のために、わざわざ大手企業の誘いを蹴った」
 というような人もいたりする。
 確かにそれだけ、周りから慕われている。
 武将などのように、仁義や、封建的な考えで結びついているわけではないので、そこまで、
「忠義」
 を示す必要などないはずだ。
 それなのに、
「社長のため」
 と公言している人がいるということは、よほどの信頼性を抱いているという証拠なのであろう。
 それだけに、この会社においての、社長交代劇があった時、重役のうちの半分は、退職していった。
「もちろん、解雇の人もいるだろう」
 しかし、そのほとんどが、
「前社長を慕っての退社だ」
 ということであった。
 どうしてそういうことになったのかというと、会社経営が、すでに、どうすることもできないほどのところまで行っていて、スポンサーを探して、裁判所に、
作品名:マトリョシカの犯罪 作家名:森本晃次