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サナトリウムの記憶

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「相手に踏み込めるだけの権利や力のある人は、リスクがあるので、それを払いのけるだけの力であったり、助けが必要になるということだ」
 そして、基本的に、それは、
「他力本願ではいけない」
 ということになるのであった。
「人に守ってもらうくらいであれば、自分で守らなくてどうする」
 ということだ。
 それぞれに、皆、
「いっぱいいっぱい」
 で生きているので、基本的には、
「自分の身は自分で守る」
 ということになる。
 身体的に、精神的に、それができない人のために、相談員であったり、警察があるのだ。
 特に、精神疾患を含む、障害者。あるいは、子供や老人、一部の女性などの弱者などを守るための組織が、警察以外でたくさんできているのも、無理もないことであろう。
「児童相談所」
「女性相談所」
「障害者施設」
 などというものも当然のように増えてきていることであろう、
 それらの施設は、実際に稼働していて、あなりの人が訪れていることだろう。
 しかし、実際には、事件につながることが減ったわけではない。それは、やはり、
「相談はしても、実際に、家庭のようなプライバシーに踏み込むことは、なかなか難しい」
 ということになるからであろう。
 相談というと、その内容、いわゆる、
「程度」
 というのにもよるだろう。
 近所の人から、
「あの家から、毎日のように、悲鳴が聞えたり、父親の罵声が聞える」
 という相談を受けたとしよう、
 もし、その相談相手が、警察であったりすれば、警察としては、その騒音が鳴っている時間を確認し、
「その時間前後のパトロールを重点的に行う」
 というくらいしかできないだろう。
 時間を変えられると同じことなので、そこも難しい。
 ただ警察としては、
「善良な市民からの情報を見逃したとして、それが原因で事件が起こったとすれば、その責任は、重大だ」
 と言えるだろう。
 だから、警察とすれば、
「市民から得た情報の範囲で、できるだけのことをすればいい」
 という考えだ。
「どうせ、事件というのは、どんなに警戒しても、警察の能力にも限界があるので、防げない時は防げない」
 ということである。
 それをそのまま、世間に言えば、それこそ、総スカンを食らってしまうのは、当然のことで、だとすれば、
「できるだけのことをした」
 というアピールさえしていれば、大丈夫ということになる。
 それでも、実際に死人が出てしまうと、その矛先は警察に向けられるだろう。
 しかし、それをすべてまともに受け入れてしまうと、警察の本来の仕事が、おろそかになってしまい、下手をすれば、
「警察は何もできない」
 と言われるどころか、本当に何もできないということが露呈することになる。
 だから、
「警察は、何か起こらないと、何もしない」
 というのは、当たり前のことで、
「そういわれた方が、その先のリスクを考えるよりも、どれだけ楽であるか?
 ということになるであろう。
 確かに警察は、
「何もしない」
 ということであるが、実際には、
「何もできない」
 ということにもつながる。
 マスゴミは警察よりも強い。
「ペンは剣より強し」
 と言われるが、
「変なウワサ」
 であったり、ゴシップ記事などを書かれると、ウソっぽい話でも、
「何かあるのではないか?」
 と思わせるマスゴミの力は、実際に、強かったりする。
 そんな状態は、
「家庭内暴力」
 に限らない。
 大人の世界でも、会社内という世界でも、会社が、いわゆる、
「ブラック企業」
 というものであれば、
「ブラック企業」
 なる今のいわゆる、
「極悪」
 といってもいいような悪辣な社員への迫害のようなものは、
「労働基準局」
 に訴えれば、改善命令が出されたりするのだろうが、どこまでが、その対象なのかというと、難しいところである。
 いわゆる、世間における、
「ハラスメント」
 というもの。
「パワハラ、セクハラ、モラハラ、マタハラ」
 などと、もっともっとあるだろう。
 まだ、定義されてはいないが実際に存在するハラスメント。
 さらには、実際にまだ、表に現れていないが、それはむしろ、今ではいいことのように考えられていることかも知れない。
 昔だったら、バブルの時代などは
「残業残業で働くことが、美徳であり、給料もそれに見合った金額をもらっているのだから、それは当たり前のことだ」
 と言えるのではないだろうか?
 しかし今では、
「ブラック企業」
 ということで、監査の対象になったりしている。
 何といっても、昔は美徳だったというその内容が、医学の発展などによって。
「若い頃にムリをすると、大人になってから、身体が動かなくなる」
 という、目先のことだけではないという発想が、出てくるのだった。
 それは、スポーツの世界でもあることで、
 野球などでは、昔であれば、
「エースであれば、先発完投が当たり前」
 と言われ、
「優勝が懸かっている試合」
 などでは、
「毎試合のように登板」
 というのが当たり前だということになるのだった。
 しかし、
「肩は消耗品」
 と言われ、肩を壊したからといって、手術をすればいいというものではなく、肩を壊したら、選手生命は終わり、
 と言われていた。
 実際に、監督の言われるままにムリをして、せっかくのエースが、数年で潰れてしまったということはざらにあった。
 少々活躍した選手でも、簡単に、フロント入りができるわけでもなく、数年で、
「プロ野球界から去る」
 ということは、当たり前にあったりしたのだ。
 実際に、プロ野球界において、
「監督やコーチ、さらには、フロント入りなどというと、
「よほどの実績がないと難しいだろう」
 確かに、
「ムードメーカであるが、選手としては目立っていない」
 ということであれば、
「コーチという道はあっても、なかなか監督というのは難しいだろう」
 ということであった。
 もちろん、
「コーチからのたたき上げ」
 ということもあるだろうが、その道というのは、結構、険しい道ということになるだろう。
 それだけ、年を取るということは、万人皆が、
「いずれは身体が動かなくなる」
 という、本当のことなのであろう。
「野球を中心としたスポーツは、本当に身体が資本であり、やっと野球界も、選手を潰さ愛ということになってきたが、これがどこまで浸透するかということも、難しいものである」
 と言えるだろう。
 そんな会社ではあったが、最近では、忙しい時は忙しいが、そうでもない時は、少々くらいなら、休みが取れるようになってきた。
 考えてみれば会社側だってそうだろう。
 忙しい時に仕事をしてもらわなければいけないのに、忙しくない時も働かせると、それだけ無理させるわけで、本当に働いてほしい時に、何もできないというようなことになると、結局仕事ができないということで、会社側が困るということになるのだ。
 それを思うと。
「旅行にでも行きたい」
 と思うのは当たり前のことだった。
 それに最近は、ブラック企業の代表選手のような会社であったが、今では、
「労働基準局に睨まれている」
作品名:サナトリウムの記憶 作家名:森本晃次