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サナトリウムの記憶

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「郷土料理であったり、和菓子などというものに、舌鼓を打つ」
 というのも、好きだった。
 城下町などであれば、お茶室があったりすれば、喜んで入るくらい、最近では、
「詫び錆び系のものを好む」
 ということが多くなってきたような気がする。
 そんな秋元が、行方不明になって、1カ月も分からなかったというのも、無理もないことだろう。
 実際に、捜索願が出されるということはなかった。彼には、家族がいなかった。田舎にいけば、親はいるのだが、
「捜索願を出すのは、まだ早いのでは?」
 という意見も多く、少し待ってみることにした。
 特に、
「捜索願を出しても、軽擦が動いてくれることはない」
 ということは分かっていたからだ。
 会社の総務の人は、それくらいのことは分かっていた。
 というのは、
「警察というのは、基本的に、何か事件が起こらないと動かない」
 と言われているが、まさにその通りである。
 つまり、軽擦は、本当に、
「事件性のある」
 ということでなければ、動かない。
 自殺の可能性がある人もしかりであるが、
「ひょっとしたら、どこかに旅行に行っているだけかも知れない」
 という可能性が強い人は、いくら捜索願が出されたとしても、基本的には動かない。
「かつて、自殺したことがある」
 ということで、警察にその時の調書が残っているような人は、当然、捜査されるだろうが、そうでなければ、なかなか捜査されることはない。
 いくら、その時事件が起こっておらず、暇に見えたとしても、
「いつ何時、事件が起こって、一刻を争う事態になるかも知れない」
 ということであれば、警察もそう簡単に動くわけにはいかないというものだ。
 ただ問題は、
「何かの事件に巻き込まれているかも知れない」
 という場合で、そんな状態になっているかどうかは、捜査してみないと分からない。
 しかし、事件性がないと見ると、初動捜査すらやらない。だとすれば、
「事件に巻き込まれたかどうか」
 というのは、当然、
「何かが起きないと分からない」
 ということになる。

                 隠れ家の宿

 だからこそ、
「警察は、何か事件が起きないと動かない」
 と言われるのであって、
「事件が起こってからでは遅いのだ」
 と、何度もいわれてきているはずなのに、それでも、動こうとはしない。
「何にこだわっているというのだろう」
 地震などの災害は、ほとんど予知が難しいので、
「起こった後でしか、行動できない」
 そもそも、地震が、
「いつどこで起きる」
 などということが分かるわけもない。
 しかも、地震が起こるのが、予知できたとしても、何もできないではないか。
 もっといえば、予知できて、避難民を誘導しようとしても、実際に、起こっていないのだから、いくら、地震が起こるといっても、
「限りなく百パーセントに近い確率で的中する」
 ということでもなければ、誰が信じるということであろうか。
 住民だって、暇なわけではない。いくら、当たる確率が高いと言われているとしても。仕事を放棄して、いつ起こるか、どこで起こるか分からないものを信じて、逃げ出すわけにはいかないというものである。
 そんなことを考えると、
「警察は、事件が起きないと動いてくれない」
 というのもある意味、しょうがないことなのかも知れない。
 しかし、実際に当事者になってみると、
「警察がいかに頼りないか?」
 ということが分かる。
 これは警察に限ったことではない。
 例えば、
「家庭内暴力や、親が子供を虐待している」
 などという状況も結構あったりするが、それも、学校の先生が、自治体の、
「児童相談所」
 のようなところに連絡し、そこで、出張訪問のような形で、その実態を知ろうということになるのだろうが、相手の親も、
「自分が、子供を虐待している」
 ということを悟られないようにしようと、必死になっていることだろう。
 いくら、自治体からの相談員といっても、家の中までズカズカと入り込むこともできないだろう。
 実際には。
「一刻を争う」
 という状態になっていることもあるというではないか。
「警察の介入が、不可欠」
 というほどの虐待が、今こうしている間にも、どれだけ起こっているか分からないというほどになるのではないだろうか。
 実際に、
「手遅れ」
 というような状態に近かったことも限りないほどにあることだろう。
 それを考えると、確かに、
「プライバシーの問題」
 というのもあるが、警察の捜査範囲であったり、能力をもう少し広げるということも、これから、議論があってもいいのではないだろうか?
 これらは、どうしても、法律の根幹として、ジレンマに陥ることであり、それぞれにいい分もあるだろうから難しい。
 ただ、エスカレートしてきて、
「誰かが、死に至る」
 ということだけはあってはいけないことであろうから、警察の捜査権の拡大というのは、これから必須になってくるだろう。
 もちろん、そのためには、マニュアルや法整備が不可欠となり、これ以上の被害が増えないための、
「抑止力」
 ということも大切になってくるだろう。
 そんな、虐待を行う、家族というのが今どれくらいのものになっているのかということは分からない。
 なぜなら、分かっていることは、
「氷山の一角」
 であり、実際には、その数倍の実態が隠れているのは、分かっている。
 それは、学校の苛めにしてもそうである。
 学校などの、隠しようのない場所であっても、先生に分からないようにしているのだから、家庭内という、
「プライバシー」
 という言葉で守られているところであれば、なおさらのことである。
 こういう場合のことを考えると、
「プライバシーって何なのだろう?」
 ということを考えさせられる。
 片方では、
「守らなければいけない原則」
 のようなものなのに、実際には、それを隠れ蓑にして、犯罪行為が行われているという事実も実際にはたくさんあるのだ。
 それを考えると、
「警察だけに、捜査権があっていいのだろうか?」
 という、相談者の判断で行動できる範囲を増やすというのも、検討すべきではないかと思う人は、少なくはないだろう。
 警察の捜査に、時間的な限界があるのであれば、捜査員にも、警察とまではいかないが、もっと踏み込んだ対応ができるようにすればいいのだろうが、これも難しいことではないだろうか?
 というのも、
「警察と同じだけの権限を与えるということは、警察と同じだけのリスクを背負う」
 ということである。
「相手の領域に入るということは、警察のように、日ごろから、逮捕術の研修であったり、日ごろの鍛錬によって、少々のことでも、身を守ることができる」
 ということである。
 しかし、家庭相談員は、そんな警察で、日ごろ受けているような訓練も受けていないし、その判断力にも、マニュアルのようなものはあっても、
「深入りしないことが前提のマニュアルしかない」
 ということになると、
「相談員に何かあった時は、誰が守るというのか?」
 ということになるのだ。
 それだけ、今の世の中は、
作品名:サナトリウムの記憶 作家名:森本晃次