サナトリウムの記憶
彼は、ある日、行方不明になったようで、その彼が、普段から、どこかミステリアスな生活をしているということで、彼が行方不明であるということも、実は一か月ほど分からなかったのだ。
特に今の時代、マンション生活をしていても、
「隣はどんな人が住んでいる」
などということも分からないだろう。
今から数十年くらい前であれば、何かあった時、警察が聞きこみに来た時など、
「お隣の方なんですが、どんな方だったんですか?」
と聞いたとしても、
「隣の人? さあ、遭ったこともないから分からない」
の一言で済んでしまう。
「会ったことがない」
というのは、言い換えれば、
「遭遇したことがない」
といっているのと同じで、もし、そうだとすれば、引っ越してきた時、挨拶がなければ、後は、偶然仕事に出る時間が一致したりだとか、朝のごみ捨てで会ったりだとかいう程度でしかありえないだろう。
マンションではない、自宅を持っている人であれば、奥さんが庭の掃除などをしている時、隣のご主人が出かける時、
「おはようございます」
などという、
「朝のご挨拶」
という程度が、当たり前ということになるだろう。
朝の挨拶など、昔であれば当たり前だった。しかも同じ時間に旦那同士、出勤ということになれば、
「駅まで、御一緒に」
ということもあるだろうが、今であれば、車通勤の人も多いということで、
「駅まで、一緒というのは、時代とともに少なくなるだろう」
などということは、考えられないようになることであろう。
それを考えると、
「隣に住んでいる人の顔も知らない」
などというのは、当たり前のことである。
そもそも、
「挨拶が面倒だから」
という理由で、
「遭遇するだけでも鬱陶しい」
と考えている人は、ざらにいるということになるだろう。
だから、普通に、
「都会のマンションで一人暮らし」
をしていて、今まであれば、普通に無遅刻無欠勤という、まったく目立たない社員であれば、会社の方では、一度、
「体調を崩したので、仕事を休む」
といえば、一週間くらい出社してこなくても、気にされることはないだろう。
会社によっては、
「来ない場合は、何も言わずに、1カ月何の連絡もなければ、そのまま解雇にしよう」
と思うところもあるだろう。
要するに、
「無断欠勤なのだから、その日にちが多ければ、自然消滅的に、解雇にすればいいだけだ」
と言えるだろう。
そのまま、書類だけを送りつけて、会社としては、形式的なことをするだけで、それでいいはずだからである。
「企業と雇用者というのは、しょせんそんな関係なのだ」
といっても、いいのではないだろうか?
「社員にどこまで関わるか?」
という問題は難しいが、本当であれば、社員のことだから、もう少し気にするのが普通なのだろうが、
「今までに、無断欠勤から辞めていく社員が多かった」
という企業であれば、
「ああ、またいつものことか?」
ということで、何もしないということも当たり前であろう。
もっと言えば、
「本来なら、欠勤するのが当たり前になってしまった時点で、自分の会社の何が悪いのか? という根本的な問題に対して、目を瞑り、何も対策を取ろうとしなかったのが悪いわけで、そんな会社があるから、社員も、いい加減になっていく」
ということで、結局、
「どっちもどっち」
ということになるであろう。
少なくとも、
「社員が悪い」
というのは、間違いのないことで、それを踏まえた上で、
「じゃあ、企業側の対応は?」
ということに踏み込んでくれば、
「会社がブラックだったから?」
あるいは、
「社員のことを、ちゃんと管理すらしようとしない会社だったから」
ということになるのではないだろうか?
そう考えると、話が社員から、会社に移った時点で、
「会社が、これまでに、問題を置き去りにしてきたからだ」
ということが、一番の問題となり、
「会社の落ち度が初めて見直される」
と考えられるのではないだろうか?
もっといえば、
「会社の落ち度を見直させよう」
ということにするのであれば、
「社員は悪い」
ということで、一度、棚に上げた形にして、再度、会社というものを見直さなければいけないという形になるだろう。
「遠回りのように見えるが、その形になるのが一番、しっくりと来るようで、その問題をいかに解決させるかということは、一周回る必要がある」
ということになるのではないだろうか?
だが、そうなると、社員は、一旦置き去りにされることになる。
社員からすれば、
「ブラックであるということになって、果たしてどこまで自分が有利に決着できるか?」
ということを考えると、
「次の会社が決まった時、前の会社で、問題を起こさなかったかどうか」
ということが問題になるだろう。
もし、入社の時に、このことが分かったとして、それでも入社できたということで、丸く収まるというのだろうか?
入社というのは、結婚と同じで、
「その時がスタートなのだ」
と言えるだろう。
芸術家なども、新人賞を取ったりして、そこからデビューということになるのだが、問題は、
「受賞作よりも、よりよい次回作が出来上がる」
ということが最低限必要である。
それができずに、
「次回作が不評ということになると、あの作家は、受賞作で燃え尽きた」
と思われるのがオチである。
それを思うと、ここから書き続けることが問題なのに、本当に、それ以上の作品が書けないのは、燃えつきてしまったからだということが、
「自他ともに認める」
ということであれば、本末転倒もいいところであろう。
「急にどこかに行ってしまいたい」
という衝動に駆られるというのは、結構あることではないだろうか。
元々、秋元という男は以前から、旅行好きだった。
だから、学生時代から、気が付けばいないと思っていると、
「ごめん、旅行に行っていた」
と言われたり、旅先から、
「今、ここに来ています」
などというメールが届くことも珍しくなかった。
だから、急に連絡が来なくなったり、連休中、どこにいるのか分からないというのも、しょっちゅうだったりした。
そもそも、仕事の関係で、
「まったく休みが取れない」
ということは、前からあったが、最近では、
「その代わり、まとまった休みが取れるようになった」
ということもあり、元々好きだった旅行に出かけることができるようになったのは、悦びが倍増だった。
だから、特に最近は、温泉に行くことが多くなってきた。
若い頃は、もっとアクティブに、
「海外旅行」
ということも多かったようだが、ここ二年間くらいは、国内旅行で、しかも、温泉関係が多くなっていたのだ。
仕事の疲れもあってか、
「今は海外よりも、日本の温泉などの方がいい気がする」
というのだが、疲れというよりも、
「日本でもいいところがいっぱいある」
ということを、再発見したという方が大きいのかも知れない。
もちろん、温泉地だけではなく、近くの名所旧跡というものを見て歩くというのも好きだった。
さらに、