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サナトリウムの記憶

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「昭和初期くらいに出来上がった時のまま、老朽化だけが起こった、崩れかけの建物だ」
 といえるのではないだろうか?
 そんな建物を想像していると、
「案の定」
 想像していた建物が現れた。
「入り口がないというのは、どういうことだろう?」
 という意識はあったが、それ以上ではなかったのだ。
 ゆっくりと、空から、下に視界が下りてくると、最初に見た空が眩しかったせいもあってか、
「視界がハッキリとしないな」
 ということを感じさせるのだった。
 その状態で、またサナトリウムを見ると、先ほどの黒い物体が、あったそこに、入り口があるではないか?
 と思うと、
「なるほど、入り口が見えるようになるために、こんな何段階も要しないと、見ることができないような、厳重なものなのかも知れない」
 と感じるのだった。
 それだけ、
「建物を見られるのは、そうでもないが、中を見られたり、入られたりするというのは、お門違いだ」
 というものであった。
 実際に、中に入ってみると、ひんやりした。
 先ほどまでいた世界も、それほど暑いわけではなく、
「暑くもなくも寒くもない」
 という感覚であり、それが、
「サナトリウムというものの、正体なのではないか?」
 と感じさせられるのであった。
 真っ暗ではあるが、大きな窓から差し込んでくる日差しがあり、その窓くらいまでやってくると、音が、室内に、反響しているのが分かる。
 その日は、運動靴での行動だったので、乾いた革靴のような音がするわけがないのに聞こえてきたということは、
「思ったよりも、空気は乾燥しているのかも知れない」
 と感じるのだった。
 さて、目の前に現れたサナトリウムを見た時、
「これは夢だ」
 と思った。
 それは、当然のことであり、確かに、夢だと思うのは当たり前のことで、何と言っても、
「今までなかったものが、まるで煙のように出現したのだから、蜃気楼でもない限り、夢だと思うのは、当たり前のことだ」
 といえるだろう。
 そんなサナトリウムの扉が見つからなと思い、一周してから、再度、
「もう一周しよう」
 と考えた時、気がつけば、別の場所にいたのだった。
 その場所というのは、目の前に広がっている光景としては、薄暗いところではあるが、
「無駄に広い」
 といってもいいところで、
「音を立てれば、音が響く」
 というところであった。
 その音が、乾いた音ではなく、湿気を帯びているので、その音は、かなり鈍重な音ではないかと感じるのだ。
 その音を感じていて、その場所が、
「まわりは、コンクリートに包まれた、まるで結露が溜まっているような場所ではないか?」
 と感じた。
 まるで、コウモリが無数に住んでいるような、薄暗く、気持ち悪い場所、絶対にありえないのは、
「さっき感じたサナトリウムだ」
 ということだった。
 サナトリウムというのは、
「結核療養の場所である。ここほど、清潔でなければいけないところだ」
 といえるだろう。
 しかし、逆をいえば、
「サナトリウムというと、戦前のものなので、実際にあったのは、戦前くらいまでだろう」
と思うと、その跡地が荒れ果ててしまい、そのまま現存しているとすれば、このような湿気や暗さで、気持ち悪さが醸し出されたそんな場所になるのではないだろうか?
 そもそも、
「サナトリウム」
 というと、当時は、
「不治の病」
 として、特効薬もない時代には、伝染病でもある結核は、
「隔離」
 というのが、必須だったのだ。
 ということは、
「死ぬことが決まっているのに、隔離され、自由がない」
 という、罹れば死ぬまで、隔離という、とんでもない境遇となってしまう。
 そこで、少しでも、隔離の際、死んでいくまでに、少しでも、楽な思いをさせようと考えられたのが、
「サナトリウム」
 であった。
「新鮮な空気」
 あるいは、
「栄養価の高い食事」
 などを得られることで、
「少しでも、延命できれば」
 ということも考えられていたのだ。
 戦後になると、
「ストレプトマイシン」
 などの抗生剤という、
「特効薬」
 ができたことで、サナトリウムは、自然と消えていったが、当時は、
「とても重要な場所だった」
 ということであろう。
 さらに、サナトリウムの近くでは、この場所はどうか分からないし、聴いた話だというだけで、その信憑性はm十分に疑うべきことであったが、
「サナトリウムの近くに、伝染病研究所のようなものがあった」
 ということであった。
 つまり、
「伝染病患者」
 を使って、開発された薬の、
「実験台」
 にしていた。
 というような話も、実しやかに語られていたということもあったようだ。
 もちろん、
「今となっては、分からない」
 ということでもあるし、
「今とでは、まったく時代が違う」
 ということもあるだろう。
 しかも、昔であれば、特に、大日本帝国の考え方とすれば、今の日本国でいうところの、
「民主主義」
 ではない時代だった。
「主権は、天皇であり、国民は、臣民として、天皇の命令には従わなければいけない」
 と、極端にいえば、そんな時代だったのだ。
 臣民というのは、
「平時であれば、普通に認められる権利」
 であるが、これが、宣戦布告の詔などにおいて、天皇が、
「戦時中においては、この詔にある、戦争目的を完遂するために、国民は、一定の権利がなくなり、一致団結して、目的の完遂に勤める」
 ということを義務化されてしまうのだ。
 大日本帝国というのは、そういう時代で、今のような、
「民主主義」
 ではなく、
「立憲君主国家」
 なのである。
 つまり、
「憲法に則った、君主を持った国」
 ということで、その、
「大日本帝国憲法に、主権は天皇だ」
 と書いているではないか。
 そもそも、大日本
「帝国」
 なのだ。
 帝を祀り上げる国なのである。
 だから、教育も、国家のスローガンも、国民ではなく、天皇を中心とした国家体制が、一番大切な時代だったのだ。
 そんな時代において、国民に課せられた義務として、
「徴兵」
 というものがあった。
 一定年齢になれば、兵役検査を受けて、軍に入隊する
 というものである。
 だから、学校も、陸軍を例にすれば、
「陸軍大学」
「陸軍士官学校」
 などと、
「職業軍人」
 になるための、学校があるくらいである。
 だから、昔の子供に、
「将来、大人になったら、何になりたいか?」
 というようなアンケートを取ったとすれば、ダントツで、
「兵隊さん」
 という答えが返ってきたことだろう。
 確かに、職業としての軍人であれば、
「天皇陛下をお守りして、家族を守り、国民を守る」
 という大義名分があり、それが絶対的に正しいと教え込まれてきているのだから、
「軍人になりたい」
 という考え方は、当たり前のことであろう。
 兵役を免除される人も一定数いたりした。
 もちろん、老人、子供は除外であるし、身体に何らかの疾患のある人も、志願することはできない。
 だから、
「兵役検査」
 ということが行われ、軍隊に入隊するための、試験があったり、身体検査があったりしたのだ。
 一時期は、
作品名:サナトリウムの記憶 作家名:森本晃次