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サナトリウムの記憶

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「この場所には、以前から備わっているのかも知れない」
 と感じさせられるのだった。
 どれくらい歩いたのか分からないが、脚が張っているのを感じると、
「結構歩いたのではないか?」
 と感じるのだった。
 まるで、脚が攣った時のような痛みが残っているのは、それが、
「筋肉痛」
 なのか、精神的な疲れなどから来る、
「他の病気を誘発されるもの」
 ということで、これからの恐怖感を感じさせられるものに思えてならなかった。
 森を少し歩いていると、先ほどまで、そんなところに、
「そんなものが存在するのだろうか?」
 と思えるものが佇んでいた。
 それは建物であり、この建物に対しても、
「既視感」
 というものを感じさせられた。
「いや、今回は、既視感ではなく、状況を思わせる、デジャブなのではないだろうか?」
 と感じたのだった。
 つまり、
「その建物は、当然建物なのだから、動くはずはないのだが、それでも、感じるのはデジャブであった」
 ということは、問題は、
「その建物の中にある」
 ということになるのだ。
 その建物が見えてくると、初めて見る建物であれば、まず考えることとして、
「入り口はどこだろう?」
 ということを考えるだろう。
 それだけ、
「中に入る気、満々だ」
 ということになるのであろう。
 その建物の中を想像しながら、まわりをゆっくりを回っていると、なかなか入り口が見えてこない。
「このままいけば、一周してしまうじゃないか」
 と感じるのだった。
 そして、
「見覚えのある光景だ」
 というところに出てくれば、それも当たり前のこと、このサナトリウムの存在を感じた時だったのだ。

                 大日本帝国時代

 だが、
「見覚えのある光景なのだが、どこかが違う」
 と考えた。
 それは、先ほど感じた、
「既視感」
 とは、何かが違っている。
 その理由はすぐに気が付いた。
「最初に見た光景と、どこかが微妙に違っているということであった。
 と感じると、
「じゃあ、今なら、入り口が見つかるかも知れない」
 ということで、今度はゆっくりと周りを見て回った。
 一度見ている光景なので、もう一度目の前の状況を、必要以上に意識する必要はないだろう。
 しかし、
「もう一周すると、また微妙に違ってくるのだろうか?
 そうやって考えると、何周か回っているうちに、まるで、
「マトリョシカ現象」
 のように、限りなく、似通っている、
「似て非なる者だ」
 ということになるのではないだろうか?
 そう思い、また少しまわりをまわってみた。
 すると、今度は人がいて、その人はこちらをまったく意識せずに、何か黙々とやっているのだ。
 最初は気づかないふりをしているように見えたが、次第に。
「本当に見えていないのではないか?」
 と感じるようになり、本当に見えていないと感じると、その人が、このサイクルの中に入ることはないと思われたのだ。
 そこで佇んでいて、最後までこちらに気付かなかった人も、どこかデジャブを感じるのだ。
 このデジャブは、
「目で感じたものではなく。状況に感じたものだ」
 と言える。
 だから、
「似て非なるもの」
 であっても気付くことはある。
 というものであった。
 そして、その既視感が、
「状況によって刻々と変わる」
 という、現実世界では、当たり前のようになっていることを、感じさせるのであった。
 もう少し歩いてみると、そこに存在しているのは、
「黒い、吸い込まれそうな四角い空間」
 だったのだ。
「ああ、これが入り口だ」
 と感じるまでに、そこまで長くは感じなかった。
 思わず苦笑いをすると、
「「この既視感が、デジャブとなり、さらに、入り口を浮かび上がらせる」
 まるで、最初からそこにあった、
「シナリオ」
 以外の何者でもないといえるのではないだろうか?
「ちょっと怖い」
 という感覚は、最初からあった。
「サナトリウム」
 といっていい場所を見つけた時、今までその入り口のまわりは、明らかに、
「深い森の奥」
 だということで、その森の深さによって、
「果てしなく続いてはいるが、最終的には、限りなくゼロに近い、マトリョシカ現象となってしまう」
 ということで、
「それ以上、何をどう意識していいのか分からない」
 ということになるのであった。
 今度は、森の中から見えていた、
「雲一つない、透き通るような青空」
 というものを、凝視していた。
 一度見てしまうと、なかなか目が離せなくなるのは、
「もしかすると、何かに襲われるかも知れない」
 と感じると、
「これ以上恐ろしいことになるわけはない」
 と思うのに、空から目を離すことはできなかったのだ。
 ゆっくりと目を凝らしながら、空を見ていると、
「目が離せない」
 という感情が、
「何が襲ってくるか分からない」
 という恐怖感よりも、強かったといってもいいだろう。
 だが、空を見てから、その空から目が離せなくなるまでに要した時間というのは、自分が思っているよりも、
「相当短かったように思う」
 と感じた。
 しかし、それは、
「まるで、夢を見ているような感覚だ」
 といえるのではないだろうか?
「夢というのは、目が覚める数秒前の、一瞬に見るものだ」
 という。
 それがどんなに長い夢であったとしても、本当に、
「数十年という感覚を、数秒で感じることになる」
 というもので、それが、
「夢の夢たるゆえんか?」
 と感じさせられるのだった。
 今回は、夢のように、物語になっているわけではないが、まったく動いていないものに対して、警戒心であったり、恐怖心をあおられ、一種の、
「脅迫観念」
 というものを覚えているのではないか?
 と感じるのであった。
「脅迫観念」
 というのは、
「相手が、それ以外ではありえないという感情に至るために、外的要因として、恐怖心を抱かせることで、まるで脅迫を受けているかのような観念に気付かされてくれてありがとう」
 と言いたかったのだ。
 その
「脅迫観念」
 というものが、自分を抑圧し、
「空を見上げる」
 ということから、自分の意識を避けて通るとことができなくなってしまっているのではないだろうか?
 それでも、
「首が疲れる」
 というもので、次第に、見上げる角度が低くなっていき、それでも我慢をしていると、今度は頭痛がしてくるのだった。
「うぅ」
 と思わす、声が漏れてくる。
 その声が、まるで、森の中に反響したように、こだまが聞えてきたのだった。
 そのこだまを聴きながら、また歩いていると、そのあたりで、サナトリウムという施設のイメージが頭に沸いてきた。
 その建物は、決してキレイだとはいえない。
 本来であれば、清潔で、キチンとした、細菌やウイルス対策を施した、
「キレイな建物」
 という意識があったはずなのに、
「サナトリウム」
 と聞いて、思い浮べる雰囲気は、
「雨ざらしになって、水が流れた後が残っている、まだらになった壁」
 であったり、
「まるで廃校寸前の、誰もいない、トイレからお化けが出てきそうな学校」
 であったりと、
作品名:サナトリウムの記憶 作家名:森本晃次