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サナトリウムの記憶

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 と思うようになった。
 絵画だと、確かに、
「絵具で汚れる」
 という、昔の課題をクリアできていないというのもあったが、最初から、下に敷くものを用意したりと、準備さえ整えておけば、そこの問題はないのだった。
 それを思うと、
「俺が芸術を避けていたのは、そのあたりの前準備を面倒臭いと思い、その言い訳を考えていたからではないか?」
 と感じるようになったのだ。
 芸術というところを考えると、
「絵画の方が、持ち運びもできるし、旅行先などでも、キャンバスを広げて描ける」
 ということを考えると、
「やりがいという意味でも、楽しきできそうな気がする」
 と考えたのだ。
 今回も、絵を描くための、セットを持ってきていた。
 大きなものは、最初から宅配便で送っていたので、もちろん、そのことも、宿の人には話しているので、快く了承してくれた。
 しかも、その時、
「僕は趣味なんですけど、絵を描きたいと思うんですが、いいスポットはありますか?」
 という風に聞いた。
 もちろん、絵画について相手が詳しいとは思わなかったが、含みとして、
「他の泊り客でも、絵を描くことを目的にしてくる人がいるのか?」
 ということが知りたかったのだ。
 すると、宿の人は。
「ええ、ありますよ。時々、絵を描くに来られる人も数組いらっしゃいますからね」
 というではないか。
「それは、アマチュアの人ですか? プロの人ですか?」
 と聞くと、
「どちらもおられますよ」
 という。
 それを聞いて秋元は安心できた。
「なるほど、ここで絵画を描くというのは、恥ずかしいことではないのだ」
 と改めて思った。
 もっとも、これだけの風光明媚なところなので、絵を描きに来る人、写真を撮りに来る人、または、釣りにくる人と、趣味は様々だろう。
 そういう意味で、
「絵画や、写真は、明らかな芸術であるが、釣りは趣味でもあるし、もっといえば、スポーツでもある」
 と言えるであろう。
 今回は、
「芸術としての絵画を、趣味で勤しむ」
 と思っていたので、
「プロだってくるところだから、アマチュアの遊びくらいは、宿の人も気を遣うこともないだろう」
 と感じた。
 今回、宿に泊まった昨日は、
「今日は、客は俺一人かな?」
 と思っていると違ったようだ。
 一人の客が、ちょうど温泉に入ると、先客として入っていたのだ。
 初老と言ってもいいかも知れない人で、温泉に浸かりながら、遠くを見ているのが印象的であった。
 こちらが入って行っても、何も言わない。
 別にそれでいいのだが、
「見る限り、髪の毛がかなり白くなっていて、いかにも芸術家」
 という感じだったので、思わず話しかけてみた。
「すみません。こちらは初めてですか?」
 と聞いてみた。
 自分が初めてなので、もし、前にも来たことがあるのだとすれば、そこから話が盛り上がると思ったからだ。
 すると、その男性は。
「ええ、私は、ここ数日ここに泊まっておりますよ」
 というではないか。
 連泊ということは、少し考え方が違い、次に考えたのが、
「湯治目的ではないか?」
 と思ったのだ。
「そういえば、お世辞にも、身体が丈夫そうにも見えないので、何か持病があって、それに対しての治療を兼ねての旅行ではないかと思ったのだ」
「どこか、お悪いんですか?」
 と聞くと、男性は一瞬、こちらに眼を向けて、すぐに今まで見ていた明後日の方向に眼をやったのだ。
「いやいや、わしは湯治というわけではない」
 と、こちらが思い描いたことを、すぐに分かったのだった。
「じゃあ、他に目的が?」
 と、病気でもないのに、数日泊っているというのは、
「それなりに目的がハッキリとしているからだろう」
 と感じたのだった。
「わしは、小説を書いておるのでね」
 というではないか。
「ああ、なるほど、編集者から逃げるためかな?」
 とも思ったが、結局は、逃げても作品を書かなければいけないというジレンマには変わりはないのだから、こんなに落ち着いているのを見ると、
「どうも、逃げてきているようには思えない」
 ということであった。
「芸術というのは、どこまでが、考え方に沿うものなのだろうか?」
 という、自分でもよく分からない発想をしたものだった。
 そんな絵を描きたいと思って、絵を描けるような場所を探っていると、何やら、いつの間にか、
「森の中」
 に彷徨いこんでいた。
 森の中は、自分で思っているよりも、さらに、奥に入り込んでしまったのか、後ろを振り向くと、
「あれ? こんなに奥の方まで入り込んでしまったというのか?」
 と感じたのだった。
 その奥を覗いてみて、さらに突き進んでいくと、次第に、深緑が、さらに、黒さを増幅させているようだった。
 その奥に入り込んでいることに気付くと。
「木々の隙間が、見えているようで見えなくなっていて、上を見ることで、帰り道が分からなくなっているのではないか?」
 と感じるのだった。
 まるで、
「つり橋の真ん中にいるような感じだ」
 来た道を戻ればいいのか、さらに先に進めばいいのか、考えれば答えはおのずと見えてくるはずなのだが、見えている答えが、見えないのは、
「前と後ろの感覚も見えないくせに、上を気にするというのが、言語道断だといえるのだろう」
 ということであった。
 前を歩いていると、どんどん、寒気がしてくるのは、その空気に誘われているという感じを受けたからだった。
 見えているつもりで見えないのは、
「半分まで来ているとつもりで、まだ、どこまでしか来ていないのかということを考えるという意識があってのことである」
 と言えるだろう。
 深く入り込むことで、
「まるで不治の樹海のようではないか?」
 と感じた。
 確かに、このあたりには、
「樹海」
 というものが多く、
「自殺の名所」
 として知られている場所で、
「このあたりの樹海を舞台に書かれた小説も多い」
 という話を聴いたことがあった。
 そういえば、バスの運転手が、ここの入り口のところで、そのあたりに、
「作家の石碑」
 が建っているというような話を聴いたのだった。
「その先生は、ミステリー作家で、社会派小説家として有名だったけど、よくこのあたりの樹海で、自殺したという人の話を書きにきていたようですよ」
 というのであった。
「このあたり出身の先生なんですか?」
 と聞くと、
「いや、そういうわけではなく、社会派なので、自殺者の悲哀や、大手ゼネコンが関わっているかのような事件が多いので、どうしても、会社の倒産であったり、詐欺のような事件に巻き込まれたりと、自殺者が多いようです」
 という。
「でも、自殺なんだから、一人で自殺するということだろうから、樹海などもありなんでしょうね」
 というと、
「いえいえ、それが、かの先生の作品では、心中という事件も結構あります。その場合は、睡眠薬を服用しているんでそうが、その場合は、樹海に迷い込むというのが、セットになっているようですね」
 というのだった。
「心中ですか?」
 というと、
「ええ、心中だから、その相手との間にトリックがある作品もあって、社会派の中でも、トリックなどを用いた、
作品名:サナトリウムの記憶 作家名:森本晃次