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サナトリウムの記憶

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 というものであったが。もし、何らかの手段で伝わったとしても、それぞれの文化の違いをいかに理解させる形でこれらの話が出来上がったのかということである。
 それは、
「西洋文化、日本文化などというのは、それぞれの民族が勝手に言っているだけで、実際には、もっと広い意味での発想が渦巻いているのではないか」
 と思うのだった。
 そんなおとぎ話や神話を考えていると、ここでの真っ白いお城は、
「明らかに、西洋風」
 であり、まわりの森は、日本の樹海を思わせ、大きな湖は、アメリカの五大湖を彷彿させる。
 といっても、秋元は、海外に行ったことがなかった。
 それなのに、海外を彷彿されるだけの光景が広がっているわけで、行ったこともない場所を、まるで知っているかのような感覚に、自分なりにビックリさせられたのを、怪奇な思いと感じさせるのであった。
 後ろの眩しい真っ白建物を凝視できないと、今度は、池をじっと見ていると、今度は水面からの乱反射をした光が眼に差し込んできた。
 白い建物を眩しいと思い、勢いをつけて目を逸らすということが普通にできるのに、今回は、目の前に見える水面に映る光から、目を逸らすことができなくなっていたのであった。
 それを考えると、
「建物は、微動だにしないが、その大きさに圧倒されるが、水面は本当に小さな隙間が、一瞬にして、形を変える」
 ということを感じている。
 と思うと、
「圧倒されるものからは、目を逸らすことができるが、圧倒されるわけではなく、微妙に変化するという感覚は、今度は目が離せないという理屈からか、顔を逸らしても、目線だけは離すことができない」
 というものであった。
「これは、本当にすごい。
 という感覚があった。
 というのも、差し込んでくる光の眩しさに、
「目をあけていられない」
 と思いながらも、必死に開けていると、眠気が襲ってくるのだった。
 先ほどの、痺れのようなものなのだが、今回は、気絶するほどのひどさではない。
 しかし、その感覚を感じながら、今度は、目が森の方に行ってしまった。
 森は今までと違って、
「決して明るさを目に焼き付ける」
 という感じではない。
 むしろ、実に眩しいわけではなく、動きから目が離せないわけではない。
 それなのに、気になって仕方がないのは、やはり、
「色というものがついている」
 ということだろうか。
 今までであれば、これらの感覚は、
「ゆっくりと目の前にある、目立ちもしない、動きもしない深緑の、決して眩しきはないその光景が、今までと違って、なぜ、このようなハッキリとした光になっているのかが分からなかった:
 と感じるのだった。
「本当に、明るいわけではないのに」
 と思って緑色を見ていると、目を瞑ると、瞼の裏に写ってる、今まで感じたことのないような明るさが瞼の裏に映っていた。
 そして、今度は、目の前の緑を見てから、おもむろに後ろを振り返ると、そこには、真っ白なお城の大きな壁が佇んでいるはずだったのだが、そこにあるのは、真っ赤な色を感じさせるのだった。
 色や光には、残像として残るのは、
「絶対色というものなのではないか?」
 と感じていた。
 そもそも、そんな、
「絶対色」
 などというものが存在するのかどうなのか分からないが、
 目の残像として残っているものは、その色が、対照的なものであるということを、人間は無意識なのか、知っているのだ。
「赤い色をずっと見ていると、瞼の裏の残像には、青い色が残っている」
 これは、逆でも一緒である。
 赤いという眩しさを感じさせる色から、青い目だない色を連想させるのは、きっと人間の中にある、
「中和効果」
 と言われるものが作用しているからではないかと感じるのだった。
「人間というものは、中和させることで、どちらかに寄ろうとするものを抑えるという、自浄効果のようなものがある」
 という。
 それは、中和させることで、
「どちらかによることで、平衡感覚が失われることを防いでいるのではないか?」
 と考えられるのだった。
 中和というものは、
「ハチに刺された時に、アンモニアを塗ることで、その痛みや奥性を中和させることができる」
 という発想に至り、
「待てよ」
 という思いは、
「一周回って、先ほどの感覚に戻ってきたのではないか?」
 と考えられるようになるのだった。
 瞼の裏において、残る残像がいかなるものかということを思っていると、
「このあたりの光景は、絶対色というものを、絶えず考えさせることで、光っているものが、自分の中でちゃんと消化できているものかどうかということが、分からなくなってきている」
 と感じさせるのだ。
 この池に来たのは、偶然だったが、見つけたことは偶然ではなかったのかも知れない。そんな感覚に陥るのだった。

                 サナトリウム

 その日は、普通に温泉に入り、そして、おいしいものを食べるという、
「旅行という癒し」
 を堪能していた。
 それが、翌日になって、
 朝の目覚めは、今までにないくらいにいいものだった。
「仕事に行かないでもいい」
 というだけでも、気分が違う。しかも、いつもの喧騒とした街中にいるわけではなく、「空気のおいしいところにいる」
 というだけでも気分がいいというものだ。
 そんな状態において、目覚めが心地よいのは有難いことだった。
 ただ、なぜか、軽い頭痛があったのも事実であった。
 それでも、頭痛薬を呑まなければいけないほどではなかったのだが、気持ち的に、頭痛薬を呑んでおいた。
「せっかく空気がおいしいところにいるんだから、なるべく、気持ちいい時間を長く過ごしたい」
 という気持ちになるというのは、当たり前にことだった。
 そんな空気を感じながら、薬を飲むと、また、指先の痺れを感じてきた。
 今回は、朝食を食べた後だったので、
「お腹が空いている」
 という発想ではなかったのだ。
 ただ、痺れは、
「お腹が空いている時」
 と、ほとんど変わらない感じだったのだが、それを感じると、
「お腹が空いているわけではないのにな」
 ということであった。
 もっと言えば、
「空気のいいところに来ていることで、自分の中に、油断のようなものがあるのかな?」
 という思いがあった。
 確かに、いい空気を味わいながら、歩いていると、その向こうに、見える森が、自分の中で、
「額の中に映った絵画」
 のように見えたのだった。
 その時に感じたのが、
「最近になって、描き始めた絵」
 のことであった。
 今回も、実は、午前中、散歩から帰ってきてから、少し休憩して、このホテルの近くにいい場所を決めて、絵画に勤しもうと思っていたのだ。
 特に今回の散歩も、
「絵を描くに最適の場所」
 ということで、その場所を探すという、
「自分なりの使命を課していた」
 のであった。
 実際に、その場所を探そうと思いながら歩いていると、最初に痛かった頭が少しずつ、楽になっていくのを感じた。
「よかった」
 と感じたが、
「このまま、歩いていると、見えている景色に、錯覚を覚えるのを感じた」
 今までも、絵を描こうと思って、そういう場所を物色していると、
作品名:サナトリウムの記憶 作家名:森本晃次