力の均衡による殺人計画
であったり、
「軍師」
と呼ばれる人がいなければ、有力大名になれたり、天下を取ったりなどできなかっただろう。
軍師や名参謀というのは、
「何人いてもいい」
というわけではないが、少なくとも、
「軍事面」
あるいは、
「政治面」
と、それぞれに長けている人がいるというのが、当時の常識だっただろう。
群雄割拠の戦乱の時代には、
「軍指摘立場」
の人が重宝される。
その中には、
「諜報部隊」
の人間も当然必要で、例えば、
「わっぱ」
などと言われる、
「忍者」
のような人であったり、スパイのような形で入り込み、戦になると、内部から、裏切ろモノを出させるような人もいたりするのだ。
だから、戦における勝敗の裏には、必ず、
「裏切り」
であったり、
「謀反」
のようなものがあり、それが、前々から決まっていたということも少なくなかったりするだろう。
その代表例が、
「天下分け目の関ヶ原」
だったといってもいいだろう。
戦が長引けば、攻める方も不利だったりする。どちらもm、基本的には、
「短期決戦」
を挑みたいだろう。
長期にわたると、間違いなく陥るのが、
「消耗戦」
といってもいいだろう。
金銭的な、そして、人員的な犠牲もハンパではなく、どちらも、損ないたくないものだろう。
戦において、優秀な参謀が戦死するということになれば、たとえ勝利できたとしても、その痛手は計り知れなかったりする。
関ヶ原で見えたのは、
「動かないだけでも、大いなる裏切りになる」
ということであった。
何と言っても、西軍の、
「毛利一族」
が最初はまったく動かなかった。
これは、西軍側から見れば大きかっただろう。
それでも、だいぶ盛況をよくした西軍だったが、とどめが、毛利家の分家といってもいい小早川家の秀秋軍が、一気に西軍に襲い掛かっただけで、西軍は総崩れだった。
何と言っても、今まで味方として布陣していた
「一万の兵」
が、一気に内部から、
「味方」
に襲い掛かってきたのだ。
せっかくの陣形も崩されるということになり、それを予期していた、
「大谷吉継軍」
が、必死の抵抗により、ちょっとの時間稼ぎはできただろうが、結局はそこまでだった。
小早川軍の裏切りが、まわりに波及し、結局、裏切る武将が続出した。
それだけ、
「暴漢していて、状況によって、態度を変えると思っていた大名がたくさんいたということであろう」
さすがにそうなっては、勝ち目もなく、逃げるところを捕まったということである。
つまりは、
「一人でも裏切りがあれば、どれだけの裏切りが潜んでいるのか分からない」
そうなると、
「味方を、すべて味方として見ているのは、恐ろしい」
ということになる。
下手に裏切りを前提にしてみていると、
「大将としての、器を疑われる」
ということになりかねない。
それが、すべてにおいての疑心暗鬼につながることで、
「ストレスによって、神経がやられてしまったり、情緒不安定となり、常軌を逸するような命令を出しかねない」
そう思うと、
「大将がこんなことをいうなんて」
と、あまりにも無謀なことを言い出したとしても、もう、戦が始まってしまったが以上、大将を諫めるということもできないだろう。
そんな暇はないのだ。
だから、諜報活動は、
「戦前からしておく必要がある」
ということだ。
「戦が始まった時には、すでに勝敗は決している」
といってもいいだろう。
すべては、
「戦が始まる前に、見た目の勢力図と、実際の勢力図で、違いが大きく、自分に有利に表れていれば、戦において、勝ち負けが、戦前から分かっていた」
といっても過言ではないだろう。
関ヶ原ほどの規模には、
「足元にも及ばない」
ということになるが、それでも、戦国時代に、
「激戦」
が行われた場所でもあった。
実際に、その戦の勝敗が、
「今のK市の土台を作った」
といってもいいだろう。
その後に、江戸時代や、明治以降の近代にいたるまでの歴史が、すべて、この戦以降に影響しているのだ。
この街の発展は、江戸時代にその礎があって、それ以前というと、元々から、国衆などの小規模な勢力が均衡した地区だったのだ。
それが、
「勢力図から、国衆の力を吸収し、でかくなっていった」
という意味で、特筆すべき土地でもあった。
元来、このあたりには、大きな戦というと、前述のものくらいで、それ以前は、ちょっとした小競り合いくらいで、戦のあとには、完全に領主が決まり、そこから、時代の流れを見ているとすると、
「これが街本来の姿だ」
ということにあるのだった。
この時の勝者である領主が、今の与党政治家の、
「祖先であった」
ということは、結構有名なことだった。
昔の、
「地元の英雄」
が、
「今の地元の英雄」
を応援するという形にしたことで、有権者の心を掴んだといってもいい。
特に、かつては、
「戦後からこっち、特に、民主主義が根付いてきた頃からは、保守という意味で、利害が一致する政権与党と、街の伝統である保守が結びついた」
ということで、この土地における力関係が、大きくのし上がってくるのだ。
ただ、いつも、
「よきライバル」
として存在している野党第一党の歴史は、かつての戦の時に、
「裏切りを前面に押し出し、一気呵成に、勝利に導いた」
という勢いを買って、江戸時代になっても、旗本として、大いに、政治的発言力も影響力もあるといってもいいだろう。
そんな時代を乗り越えて、
「明治以降も、参謀として、力を発揮していたが、彼らは、軍に対しての力を持っていたのだ」
という状態だった。
歴史の中で、
「裏切った過去がある」
ということが、明治以降では、
「あまりいいイメージを持たれない」
ということで、
「過去の歴史を封印する」
ということで、身内でさえも、そのことは、他言無用となっていた。
下手にそれを公言してしまうと、家から干されてしまうようになり、下手をすると、
「縁を切る」
と言われかねない状況になりそうなこともあったくらいだ。
だから余計に、
「過去の封印した歴史に抵触するのは、タブーだということになっている」
ということで、結局、そのまま分家の立場を貫いてきたのだった。
それは、
「生き残るために大切なこと」
ということで、
「守られてきた歴史」
というのか、それとも、
「公言することのできない、黒歴史」
ということになるのか難しいところだ。
しかも、この政党は、
「清廉潔白」
ということをスローガンとしている。
「まるで、潔白ではない。つまり、何か曰くがある」
と言わんばかりのことだったのだ。
そんな歴史を持った政党が、今は、野党第一党となったのだ。
野党第一党が、
「清廉潔白」
というのを、スローガンとするというのは、何もこの地区だけのことではない。
それは、政党が全国に影響を与えるのだから、当たり前のことであり、それだけ、現在の政府与党が、
「汚職に塗れている」
ということを示しているのだ。
数代前のソーリがいい例ではなかっただろうか?
作品名:力の均衡による殺人計画 作家名:森本晃次