力の均衡による殺人計画
と、支持率はどんどん落ちていき、結果、また元の与党に政権が戻ってしまうということになるのだ。
国民も、
「のど元過ぎれば熱さ忘れる」
とでもいえばいいのか。
「あれだけ文句があった与党だったのに、それ以上ひどい政権であった」
ということで、
「やっぱり、前の方がよかった」
といってさっさと、元の政党に戻ってしまった。
「皆、年金を消された」
という事実を忘れてしまったのだろうか?
と考えるのだ。
あれだけ、
「これ以上ひどいことはない」
と思っていたはずで、自分の年金を確認するために、どれだけの人が、税務署を訪れたというのか?
ということを考えれば、
「これ以上ひどいことってあるのだろうか?」
と感じたあの時が、どこに行ってしまったのだろうか。
それこそ、
「徳川慶喜がやりたかったこと」
ではないだろうか?
実際に与党に戻ったからといって、よかったわけではない。誰もが、
「ソーリが変わるたびに、どんどん最悪になってきている」
といってもいいだろう。
特に、前述の、
「世界的なパンデミック」
の時には、ひどかった。
一番ひどかったのは、
「水際対策の遅れ」
ということであった。
「伝染病が流行れば、最初にしなければいけないのは、菌やウイルスが入ってこないように、鎖国をしなければいけない」
ということである。
それなのに、最初の頃は、
「学校閉鎖」
は行っていたが、国外からは、どんどん人が入ってきていた。
しかも、隣国政府首脳を、
「国賓」
として、招待しようということを、何と、学校閉鎖をした後でも、まだ考えていたというほどの、
「バカさ加減」
であったのだ。
しかも、マスクが不足しているということで、ソーリは、自分の
「お友達」企業の、
「まったく聞いたことのないところ」
に発注して、さらに、その費用を、
「中抜きしていた」
というのだから、どうしようもないだろう、
「これだったら、禁止した転売ヤーと、やっていることは、同じだ」
といってもいいのではないだろうか?
そんな政府は、さらに、緊急事態宣言を行った時、
「皆さん、自宅で待機してください」
という意味での宣伝動画を、勝手に許可なく、人気シンガーの画僧を流用して、
「ソーリ本人が、コラボしているかのようにして、自宅で優雅に過ごすソーリの姿が映されていた」
それを見て。国民感情はひどかったことだろう。
「この大変な時に、自宅で優雅にとはどういうことか?」
ということである。
自宅にいても、仕事をしていないのだから、金が入ってくるわけではない。
いつ会社から首を切られるかわかったものではない状態において、政府が、
「家にいろ」
というから、いているだけなのに、それを、優雅な映像を流すというのは、これからどうなるか分からないというストレスの下に、自粛しなければいけない国民の感情を逆撫でしているとは、まさにこのことであった。
それを考えると、
「ここまで政府がバカだったとは?」
ということになるだろう。
そして、そのソーリも、実は、最長記録を達成したのだが、その数日後に、
「体調不良による入院」
を理由に、病院に逃げ込んだのだった。
ただ、これは、最初ではない。
この男は年金が消えたあの頃にも、一度ソーリになっている、
あの時も、
「体調不良による入院」
を理由に、
「政権を投げ出した」
という前科があったのだ。
「どうせ、また同じことをするだろう:
と思っていたら、
「本当にやった」
という、マジの笑い話だったということである。
もうこうなると、笑い話では済まされない。
しかも、その次に就任したソーリは、
「パンデミック」
によって医療崩壊などが、ちまたで起きているにも関わらず、しかも、
「国民の八割が反対している」
というオリンピックを強硬に実施したのだ。
しかも、そのスローガンというのが、
「パンデミックに打ち勝った」
ということのようで、実際には、国内では、たくさんの人がバタバタと死んでいき、医療崩壊しているので、救急車に乗せても、受け入れ病院がないということで、そのまま、
「死ぬのを待っているだけ」
という悲惨な状態だったのだ。
それでも、
「パンデミックに打ち勝った」
と言い張り、国民の大多数の意見を無視して実施したのだった。
確かに、失敗ではなかったかも知れないが、成功ともいえないものだった。
そのせいで、その後すぐに総裁選があったのだが、支持率が、最底辺にいるということで、党内の議員から、
「間違いなくあの人がソーリだったら、議席数をかなり減らす」
ということで、当落ギリギリの人からすれば、
「今のまま、あの人で選挙になれば、党は負けないかも知れないが、自分が、国会議員であることができなくなる」
ということで、若手議員から、
「あのソーリでは戦えない」
ということから、
「元老たち」
の説得によって、ソーリは時期総裁選に立候補はしなかったということであった。
そんな状態において、
「こんな政府はどうしようもない」
と言われ、さらには、
「これ以上ひどいソーリはいない」
と言われた前ソーリよりも、もっとひどい連中が、ソーリになっていくのだから、日本という国は、
「どこまで落ちればいいということになるのだろう」
ということであった。
それを考えていると、
「政府というのは、どこまでが許されるんだ?」
という、底辺しか見ることができなくなってしまったことで、国民も、このような状態を憂いているに違いない。
そんな政府に対して、元々政府であった、
「野党第一党」
は、どうなったかというと、
結局は、元々が烏合の衆だったので、
「政策の違い」
などで、分裂を重ね、本当にひどい状態である。
政府が最悪な時なのだから、野党が力をつければいいものを、野党も最悪の支持率。
下手をすれば、
「政府よりも、その下がり幅が激しい」
と言えるだろう。
それを思うと、
「政府、政治家というものは、元々、自分たちの給料であったり、簡単に動かしている政府予算が、どこから出ているのかということを忘れているのか?」
ということである。
「国民の顔がお金というより、一票に見えるのではないか?」
としか言えないのだろう。
そんな時代において。
「世界的なパンデミック」
というものが、(今後は分からないが)現在は一定の収まりを示しているのだが、そんな状態で、ちょうど、衆議院の任期満了の時期がやってきた。
正直、今のソーリは、オリンピックの時のソーリよりも、
「さらに最悪」
という状態になっていた。
血税を、他の国で困っている人がいるからといって、簡単に、寄付するというとんでもないソーリだった。
なぜなら、まだまあパンデミックの影響や、さらには、物価高の影響で、
「国民の一人一人が悲鳴を上げているのに、それでも外国にばらまく」
という、とんでもない男で、本当に、
「オリンピックソーリ」
よりもひどいといってもいいだろう。
そんな中において、今回は、前の時のように、
「ソーリを変えよう」
作品名:力の均衡による殺人計画 作家名:森本晃次