力の均衡による殺人計画
ということで、連鎖だと言われたからではないだろうか?
そんなオカルト的な話を、そう簡単に信じられるわけもないが、事件が起こると、どうしても、
「事実は小説よりも奇なり」
という言葉が示すように、
「事件と事故の連鎖反応は、昔からいわれる、オカルトのようなものではないだろうか?」
と言えるのだった。
今の時代において、迷信的なことは、すべて、偶然で片付けられてしまうのだろうが、それも、社会の中に潜む、
「鬱憤のようなものが、表に出てきているからではないか?」
と言えるだろう。
考え方によってでもあるが、事件を捜査していると、浮気相手というのが、数日前に殺された、
「村上信夫」
だということを考えれば、
「この二つの事件は、結びつく」
と考えるのが当たり前だろう。
「偶然ということであれば、あまりにも偶然が重なりすぎている」
といってもいいだろう。
ただ、あの時の捜査では、被疑者と思われた人間をすべて洗ったが、被疑者となりそうな人物には、すべて、完璧と言っていいくらいのアリバイがあった。
大都会のど真ん中で、大衆に見られていて、
「証人もたくさん出てきた」
ということであり。
それよりも、
「都会のど真ん中」
にどうしていたのか?
という偶然の方が怖かったりするではないか。
さらには、もっと明らかなことで、
「海外にいた」
ということであり、現地の防犯かめらで見れば、明らかに写っていて、
「帰国した形跡もない」
と考えれば、
「これ以上のアリバイはない」
ということになる。
だが、逆にいえば、
「あまりにも完璧すぎるのは、調べられることが分かっていたのだ」
ということになれば、却って、
「疑惑だけが残る」
といってもいいのではないだろうか?
そんなことを考えると、
「事件の連鎖」
というのが、本当にあるのか、それとも、
「最初から作られた計画なのか?」
ということを考えると、
「時代が進むにつれて、トリックを計画しにくくなるという考えと結びついているのではないだろうか?」
と言えるのだった。
今回の事件で、もう一つ、
「探偵小説などでは、たまにはある」
と言われるが、
「実際の犯罪では、基本的には、不可能だ」
という考えに至っているのではないかと思うのだった。
これが、犯罪の難しいところであり、
「理論的には可能なのだが、実際には難しいものの代表ではないか?」
と考えるのだった。
今度の殺人事件の中で、一つ気になっていることがあった。それを感じていたのは、田所刑事であった、
田所刑事は、昔から、探偵小説が好きで、そのために刑事になったという、「
「ベタなところのある刑事」
だったのだ。
今回の事件の中で、一つ気になっているのは、
「すべての人間にアリバイがある」
ということであった。
そもそも、犯人と思しき人すべてにアリバイがあると、基本的には、
「共犯者がいる」
ということになるのだ。
「共犯者が、どのような役割を演じるのか?」.
というのが、結構なストーリー展開だったりする。
その中において、
「リアルではありえないが、探偵小説などではありだ」
という殺害スタイルと呼ばれるものがある。
しかも、これがうまくいけば、
「完全犯罪だ」
という意味でいけば、考えられることとすれば、
「密室殺人」
が、そうであろう。
密室殺人は、小説でも、現実にでも結構難しい。実際には、
「不可能なことなので、それができるとすれば、アリバイトリックや、叙述トリックとして組み合わせ」
たとえば、
「殺害時間を何らかの方法でずらず」
というようなものを、アリバイと絡ませたり、叙述によって、うまく行かせるということを考えるのである。
それと同じで、考えられるのが、
「交換殺人ではないか?」
ということであった。
交換殺人というのは、共犯というイメージの発展形で、
「実行犯と教唆犯が、それぞれいて、第一の犯罪と第二の犯罪にたすきをかける」
というような感じである。
だから、事件は二つ以上ないと成立しないし、その間に、
「片方の殺してほしいと思っている人は、その時に、完璧なアリバイをつくる必要があるのだ」
ということになる。
ここで問題になってくるのは、
「この事件が、リアルではありえない」
という発想にあることで、それが、なぜかということへの発想の持って行き方なのである。
というのは、
「犯行を同時にはできない」
ということと、心理的な問題からである。
その問題というのはどういうことなのかというと、
「この事件のミソは、実行犯と教唆がそれぞれ別にいるということで、本当に殺したい教唆側のアリバイをつくらせて、自分が殺してあげる」
というものだが、
「自分が殺してしまうと、今度は相手が自分のために殺してくれる」
ということに本当になるだろうか?
相手は、すでに殺したい人が死んでるのだから、しかも自分には完璧なアリバイがある。その状態で、誰が人のために、殺しをしなければいけないのか?
という、実に当たり前のことで、冷静に考えれば分かることであろう。
それを思うと、
「交換殺人はリアルではありえあいが、うまくいけば、完全犯罪となるだろう」
ということだ。
警察の方も、当然、
「交換殺人などというのはありえないだろう」
と考えているに違いないからだ。
今回に犯罪を見抜いたのは、田所刑事だった。
彼は、
「交換殺人が、この事件の根幹にある」
とは思っていた。
しかし、
「基本的に交換殺人というのは、普通に考えてありえない」
ということを考えたのだ。
その時に感じたのが、
「何かが一つ足りない」
ということに気が付いた。
それが何だったのかというと、今二つの事件を考えた時、ここの家族において、
「それぞれに、何か、殺したい人がいるのではないか?」
ということを考えた。
不倫相手、さらに、旦那の孝弘にも、殺したい人がいた。
そして、その時、最初は二人では、
「交換殺人はできない」
ということに気付き、そこで、
「毒殺されたご主人を、今回の殺人に絡める」
ということに行きついた。
「そこで、本来は殺されるはずではなかった。ご主人が、何かのはずみで殺されたのだとすれば、家族の間で、何らかのトラブルがあり、計画が頓挫しているのではないか?」
と思ったのだ。
しかし、そこで考えられることとしては、
「ただ、御主人が殺されたことで、遺産が手に入ると考えると、御主人も殺されるだけの動機はある」
と考えると、
「今回の殺人は、何かのカオスではないか?」
と感じるようになった。
その時、もう一つ思ったのが、
「交換殺人がうまく行かないのは、最初、二人は同じ立場だったが、一人が、行動を起こし、第一の殺人を成功させた時点で、失敗なのだ。実行犯は、このままであれば、教唆の濡れ衣まで着せられて、何もできないまま、相手の作戦にまんまと引っかかり、相手の脅かされるか、それとも、すべての罪を背負う形で、警察に捕まるかである」
どちらも地獄である。
作品名:力の均衡による殺人計画 作家名:森本晃次